2008年12月25日木曜日

Janssen 1980


土器片や石灰岩片に文字や絵が記されたものをオストラコンと呼びますが、大英博物館には特別に大きなものが一点収蔵されており、O.BM 5634として知られています。それだけを取り上げて詳細に論じた考察で、デル・エル=メディーナ(ディール・アル=マディーナ)に関してヤンセンの書いた論文の中でも、最も面白いもののうちのひとつ。

Jac J. Janssen,
"Absence from Work by the Necropolis Workmen of Thebes,"
Studien zur Altaegyptischen Kultur (SAK) 8 (1980), pp. 127-153.

O.BM 5634は王家の谷で王墓の造営に関わった労働者たちの欠勤簿で、たくさんの人名と日付、また休んだ理由が黒と朱のインクでこと細かに書いてあります。石片に文字を刻んでいるわけではありません。このような記録が残っていることそのものが驚きなのですが、休んだ理由がまた興味深い。ヤンセンが片目をつぶってみせながら書いている様子が良く伝わってくる論考。

このオストラコンは両面に文字が記されていて、こういうのは珍しくはないのですけれども、まず挙げられている労働者の人名と記され方を検討し、このオストラコンには表と裏があることが指摘されます。王家の谷の労働者たちは、「右班」と「左班」のふたつの班構成で作業をおこなっていました。この点を明らかにしたのはJ. チェルニーで、これを踏まえ、「右班」の人名が挙げられているのが表の面である可能性を考察しています。

書かれた年代。冒頭には、王の名前は記されていません。しかし40年以上にわたる治世年を有するのは、新王国時代の王の中ではラメセス2世だけです。このオストラコンの場合がまさしくそうで、書かれている治世年だけで王が特定できる典型例。ラメセス2世時代に属するとはっきり判断されているオストラカはしかし、全体としてみるとあまり多くは遺されていません。

作業を休んだ理由で多いのは「目の病気」。眼鏡のない時代ですから、岩窟墓の掘削に当たっては、飛び散る岩石片で目を痛める者が多く出たに違いないと思われます。蛇に咬まれた、という休日の理由もここでは記録されています。
労働者たちによって崇められたのが『メルト・セゲル』、「沈黙を愛する女神」でした。

研究者たちを悩ませているのが「個人のお祝いの日」で、これが何を意味するのか、良く分かっていません。王墓の造営ですから、鞭打たれながら強制的に働かされていたような印象が拭えませんが、これがまったく違うことを明らかにしたのはW. ヘルクで、驚くべきことに年間では相当の日数の休日があったらしいことが指摘されています。

Wolfgang Helck,
"Feiertage und Arbeitstage in der Ramessidenzeit",
Journal of Economic and Social History of the Orient (JESHO) 7 (1964), pp. 136-166.

記録に残る欠勤日が調べ上げられた結果、その記録で触れられない日が特定の日に集中することに気づき、当時の一週間は10日間で、ラメセス時代にはこの週末に当たる第9-10日、第19-20日、また第29-30日が休日であったという考察も導かれました。働くべき日を休んだことを列挙する記録ですから、当然休んで良いはずの休日については、この欠勤簿では触れられないという逆説。

O.BM 5634で注目されるのは、妻や娘のために休んだ記録が書かれている点です。出産に関わる休みではないかとあれこれ可能性を考えているのですけれども、「男には分からないことがあるし」と言うことで、密かに女性のエジプト学者に聞いてみた、と述べられている下りがとても可笑しい。詳細は読んでみてください。

極めつけは、「飲み会の準備」で仕事を休んだという記録です。これがしばしば記されていて、どうも「お祝いの日」には深酒を伴う盛大な飲み会が開催されたように推定されています。
ある研究者はこうした研究結果を受け、

"Frequently also men were absent 'brewing' for a day or two before a festival. The ideal feature of festivals at Deir el Medina seems to have been a general drunkenness."

と記しています。
酔いどれ人夫たちの管理をおこなった班長たちの仕事は、おそらく大変であったに違いありません。半ば同情しつつ、しかしその班長たちもまた一緒に、かなり飲んでいたのではないかとも疑われるところです。

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