2008年12月20日土曜日

DeLaine 1997


カラカラ帝の共同浴場は、よく紹介されているように、これは大規模な娯楽施設とみなすことができます。円形闘技場のコロッセウムと双璧をなす古代ローマの建築遺構で、当時の建物の特質が顕著にうかがわれる名作。こういう公共施設は、それまでの世界のどこにもありませんでした。

題名で浴場が"Baths"と複数形になっているのは、浴室がたくさん並んでいたからで、男女別に分かれ、それぞれに熱浴(カルダリウム)・温浴(テピダリウム)・冷浴(フリギダリウム)のための場が用意されていました。復原図が研究者によっていくつか作成されていますけれども、風呂と言うよりは、そのありさまは屋内の温室プールとほとんど一緒。各地に建つ今日のスパリゾートの原型でもあります。図書館や店舗などが付設され、隣には広大な運動場も作られていました。

Janet DeLaine
The Baths of Caracalla: A Study in the Design, Construction, and Economics of Large-scale Building Projects in Imperial Rome.
Journal of Roman Archaeology Supplementary Series Number 25
(Journal of Roman Archaeology, Portsmouth, Rhode Island, 1997)
271 p., 4 folded plans

この建物がどのように造営されたかを丁寧に探っていく書です。冒頭を占めている平面計画の分析や、どのような装飾が施されていたのかを推定する考察などは珍しくありません。
けれども、多量の建材を世界中のどこから集めてきたのかを問う85ページ当たりから、この本の特徴が出てきます。石材に関しては今で言うトルコ・ギリシア・エジプト・アルジェリアなどから輸入してきたもので、他には土、縄、木材についてもどこから工面したかを尋ねています。

この壮大な建物に、どれだけの量の煉瓦が使われたかを考え、それにとどまらず、煉瓦を焼くための燃料の調達、人手の推量、煉瓦を焼くための窯の大きさ、土を練って型抜きした煉瓦は何日乾燥させるのか、一回焼くと煉瓦がどれだけできるのか、何日間冷却するのか、運搬に当たっての人手の数、煉瓦を積む際のモルタルの総量、足場に使う木材の量など、およそ考えつく限りの事柄を全部調べ上げています。驚くべき本です。あんまり類例がありません。

第9章では、この建物を建てるに当たり、一体いくらかかったかを積算しています。
細かい数字が並んだ表がたくさん収められている書ですから、これだけで敬遠する人も多いかと思われますが、人間ひとりが一日にどれだけの量の石を切り出せるのか、あるいは土を一日当たり、ひとりがどれだけ運べるのかといった問題に触れる際には、必ず参考となる論考。

著者の博士論文で、1981年に研究を始めたと序文に書いてありますから、16年かかってこの本を出版したことになります。
「調べていくうちに話題がどんどん拡がってしまって・・・」と記してありますけれども、そりゃあそうでしょう。古代ローマを代表する大きな複合建築であるカラカラ帝の共同浴場をケース・スタディの対象として選んだ時から、それは見えていたはず。エジプトのカルナック神殿を論文のテーマに選択するような無謀さがあります。

ちなみに彼女のこの博士論文を指導した主査がF. Sear(Sear 2006)で、古代ローマ時代の劇場の集成を出版した学者。師匠の方法論が色濃く反映された本格的な本です。

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