2009年1月28日水曜日

Koenigsberger 1936


古代エジプトにおける扉の研究。神殿などは石造で建てられましたが、出入り口の扉は木で造られました。この際には通常の開け閉めができて、なおかつ必要に応じ、開かなくなるような仕組みを考えなければなりません。扉は重いため、柔らかい青銅製の蝶番は役に立ちませんでした。当時は鉄が自由に作れなかった時代です。軸受けを用いた扉の支持が一般的となります。

たとえ頑丈なしんばり棒や閂、あるいは鍵などによって扉自体を開けないようにできても、軸を壊されたら扉の全体が取り外されてしまい、それで終わりです。
扉の設置で重要な点は、軸受けを建物の外側から見た場合に隠すことでした。こうして内開きの扉が正式となり、扉板そのものにも表と裏が発生します。

Otto Koenigsberger,
Die Konstruktion der aegyptischen Tuer.
Aegyptologische Forschungen, Heft 2
(Verlag J. J. Augustin, Glueckstadt und Hamburg, 1936)
x, 87 p., XV Tafeln.

古代エジプトでは石材の転用がよくおこなわれました。木材も貴重品であったため、持ち去られることは多くあったと推定されます。
おそらく扉も例外ではありませんでした。現存する扉は少数です。扉の形式はそれ故、石造建築の戸口に残る痕跡の観察結果をもとにして復原されることが圧倒的に多くなります。

扉にも格式があり、もっとも簡単な扉というものは、小さな石に凹んだ穴を穿ち、そこに扉の軸を落とし込む方式でした。ですが王宮ともなると、戸口の敷石を一材で造ってそこに軸穴を開けるということをおこないます。貴族たちの住宅でもこの方式が真似されて、石で立派な戸口を設けることは、階級が高いことのあらわれでした。

本書で「扉」と呼称されるものは木製のものに限られており、石製の落とし戸などは扱われていません。複数の落とし戸は古王国時代のピラミッドの内部などに設けられ、良く知られています。スネフェル王による屈折ピラミッドの中には斜めに落ちる石製の戸が造られていて、こうした仕組みを知ることができるのは建築学的には楽しみのひとつ。
この他にも、古代エジプトでは石製の大きな「引き戸」があったりして驚かされます。

本書は古代エジプトの木製の扉について纏められた唯一のモノグラフ。いささか古い刊行物ですが、未だ貴重な文献として挙げられます。
ただし、フランス隊のB. ブリュイエールによるデル・エル=メディーナの労働者集合住居での扉の研究成果が反映されていない点が残念なところ。出版時期がちょうど重なったため、当時の最新情報を組み入れることができませんでした。

20世紀の終わりにメトロポリタン美術館のフィッシャーが、扉の開き方が或る意図のもとに逆となる場合の考察を発表していて、非常に興味深い。
また王家の谷の墓の入口に設けられた両開きの扉に関する考察も、別の人によってほぼ同じ頃に研究されています。
古代エジプトにおける扉の研究と言えば、以上のこの3つが最重要。

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