2009年1月18日日曜日

Lander 1984


古代ローマ時代の城塞を集成した本。四角く防壁を巡らせて、各隅に塔を建てる構えは古代ギリシアの時代に形成されました。これを継承し、各地に多数建造されたローマ時代の砦を丁寧に辿ります。

James Lander,
Roman Stone Fortifications:
Variation and Change from the First Century A.D. to the Fourth.
BAR International Series 206
(British Archaeological Reports (B.A.R.), Oxford, 1984)
x, 363 p.

BARの略称が、もしBARと記されるならば、エジプト学ではJ. H. ブレステッドの"Ancient Records of Egypt, Historical Documents from the Earliest Times to the Persian Conquest," 5 vols.を指す場合があります。
またBARと省略される雑誌名が他にもあり、時として分かりにくいところです。

古代エジプトにも大がかりな城塞は造営され、ブヘンやミルギッサなどが代表的です。しかしこれらは単独で存在した防衛拠点と言うべきものであって、あたかも鎖のように砦を並べ、外敵の侵入を防いだローマのやり方とは異なります。

或る間隔を置いて砦を配置し、築かれた防衛線は「リメス limes」と呼ばれました。特にライン川とドナウ川はローマ帝国にとっては非常に重要な川で、このふたつの川がヨーロッパのどこを流れているかを調べると、自ずとその理由が了解されます。ヨーロッパの地図において左と右との両側から中央に向かって走るこのふたつの裂け目としての川は、ヨーロッパ全体の広さを勘案するならば、上流ではほとんど触れ合わんばかりにまで接近しているとみなしても良く、自然の防衛線としてローマ人たちはこれを利用しました。つまりライン川とドナウ川に沿って砦を次々に築いたわけです。いくつかの砦はその後、ヨーロッパ有数の都市にまで成長していきます。
ランダーのこの著作は城塞建築の考察に主眼を置いたものです。一方、延々と伸びるリメスに軸足を置いて考察をおこなった著作もあり、

Joelle Napoli,
Recherches sur les fortifications lineaires romaines.
Collection de l'Ecole Francaise de Rome 229
(Ecole Francaise de Rome, Rome, 1997)
vi, 549 p.

などが挙げられます。

古代ローマ時代の建築については膨大な量の研究が重ねられており、とうてい古代エジプト建築研究の比ではありません。古代ローマの軍事建築だけを扱う専門雑誌も刊行されており、かなりの程度、研究分野の細分化が進んでいます。
イギリスに設けられた古代ローマ時代のリメスである「ハドリアヌスの長城」は世界遺産。ライン川沿いのリメスも後にこれに加えられています。

城塞は中世の城に受け継がれますけれども、その後、火薬の発明と火器の発展によって根本的な変化を強いられます。「カタパルト」として知られる投石機による攻撃の時代が終わり、星形の要塞が考案されました。ヴォーバンによる堅固な要塞の計画方法が流布し、その影響はヴェトナムのフエの王宮(これも世界遺産)、また北海道の五稜郭にまで及んでいます。このことは、旧来の城の形式が完全に形骸化したことを意味しており、ディズニーランドのシンデレラ城はその典型。

軍事建築の5000年と言うことを考えた場合、要に位置する書。
参考文献を巻末に挙げていますが、"Primary sources"と"Secondary sources"とのふたつに分けられており、ギリシア語・ラテン語文献は前者で扱われます。

0 件のコメント:

コメントを投稿