要するに、石に刻まれたりパピルスに残されたりする公式の文書だけを追っている文献学者たちに喧嘩を売っている本でもあります。そんなことはどこにも書かれていませんが、読む者には、おそらく意図がそうに違いないとしか思われません。
Alexander J. Peden,
The Graffiti of Pharaonic Egypt:
Scope and Roles of Informal Writings (c. 3100-332 B.C.)
Probleme der Aegyptologie, Band 17
(Brill, Leiden, 2001)
xxii, 348 p., 11 maps
献辞は、師匠であって良き親友でもある学者ケネス・キッチンに捧げられています。
「台所」という奇妙な名字を持つこの文献学者は、きわめて有名。膨大な量にのぼるラメセス時代の文字資料を全部出版しようという無茶なことを、たった独りでおこなっている男。
第18王朝の主な文字資料については刊行されているのですが、続く第19〜20王朝の文字資料はあまりにも多いため、誰も手をつけようとしませんでした。
たぶん、彼の生存中には完結しないであろうKRI(Kitchen, Ramesside Inscriptions)は、しかしエジプト学において基本文献です。十数冊がすでに出版されていますけれども、まだ訳やコメントなどに関する刊行予定の半分が終わっていません。エジプト語の筆写はすべて手書きで、悪筆によるヒエログリフをすごい早さで書くというこの点でも、世界的に名を轟かせています。
キッチンはまた、メンフィスのトゥーム・チャペルとテーベのトゥーム・チャペルの違いを見取り図で描いたり、新王国時代のメンフィスの地図を復原したりしています。いずれも汚い絵なのですが、それは綺麗な図を描くことばかりに囚われている研究者たちを逆に笑っているわけで、こうした無言の批判を特に建築に関わる人間は、真摯に受け止めるべきです。
キッチンへの献辞の下には、旧約聖書のアモス書第3章3節から取られた
「約束もないのに、二人の者が一緒に行くだろうか?」
という字句が引用されていて、これも興味深い。この部分は旧約聖書のユダヤの神の非常に厳しい面を覗かせているところで、その直前の2節には、
「地上の全部族の中から私が選別したのはお前たちだけである。それ故に私はお前たちを、すべての罪のゆえに罰する」
と書かれています。
本書の次のページをめくると、
ROTAS
OPERA
TENET
AREPO
SATOR
という、四角く組まれたラテン語の回文がぽつりと印刷されています。古代ローマ時代の落書きとして知られたもの。終わりから読んでも、また上下に読んでも同じという呪文です。
従来の文字の読み手が書く本とは性格が違う、異色な構成が感じられます。
謎に向かって踏み入ろうとする意図がひしひしと伝わる本。「書かれたものの全体」から、人間の営為に関していったい何がどこまで復元できるかを、偉大な師匠とともに考えようとしている姿勢が強く感じられます。
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