2009年1月26日月曜日

Imhausen 2003


古代エジプトの数学についての本で、題は「エジプトのアルゴリズム」。リンド数学パピルスが中心となりますが、モスクワ・パピルスなども扱われています。AeAのシリーズ(Aegyptologische Abhandlungen)から出されました。
著者の博士論文です。

Annette Imhausen,
Agyptische Algorithmen:
Eine Untersuchung zu den mittelagyptischen mathematischen Aufgabentexten.
Aegyptologische Abhandlungen, Band 65
(Harrassowitz Verlag, Wiesbaden, 2003)
xi, 387 p.

著者は大学で数学を学んだ後にエジプト学を始めたようです。修士論文はモスクワ数学パピルスを対象として書いた模様。今、もっとも古代エジプトの数学に詳しい人間です。

彼女のサイトが用意されています。古代の数学が専門領域なので、シュメール語、アッカド語、古代ギリシア語、ラテン語もできると書いてありました。

http://www.annetteimhausen.com/


さて、リンド数学パピルスに関してはすでにピートやチェイスなどによって出版されており、和訳も出版済み。ここでは算法が問題とされています。
セケド(seked)に関しては章が設けられ、特別な定め方ではなかったと述べています。この意見には賛成で、セケドそのものは、よく用いられたはずの簡明な方法でした。
ただ建設の現場では、「1キュービットにつき」という前提条件が省略されるために、一見、難解な言い方に見えるだけです。このことを知っていれば、第一アナスタシ・パピルスの「オベリスクの問題」も解くことができるように思われます。

中王国時代の数学については、最近、イタリア語でも研究書が出されました。一部をインターネットで見ることもできます。

Alice Cartocci,
La matematica degli Egizi: I papiri matematici del Medio Regno
(Firenze University Press, Firenze, 2007)
148 p.

冊子体(15ユーロ)とは別に、電子出版(10ユーロ)でも購入できる点が面白い。
セケドについてはしかし、新しい見方をしていないようです。

2009年1月25日日曜日

Heisel 1993


古代の建築図面をくまなく集めた珍しい本。労作です。
類書は見られず、これからもしばらくは出版されないと思われる奇書。

Joachim Peter Heisel,
Antike Bauzeichnungen
(Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt, 1993)
xii, 279 p.

さほど厚くない本なのに、註は635もあります。メソポタミア、エジプト、ギリシア、ローマの各時代の図面を収集し、分析を加えています。
国士舘大学で和訳が進められているとの話も聞きましたが、未だ出版されていない模様。

図面の例を丹念に集めている点に感心する一方、落書きに分類すべきと思われる図も加えられており、ここは判断が分かれるところ。
また絵画史料として残されているものだけを対象としているので、古代エジプトのオストラカで墓の寸法だけが文字として記されている例などは含まれていません。この辺も残念な点です。レイデンのDemareeなどがこの分野を手がけていますが、本当は総体として考えるべきではないかと感じられます。
その線引きも、実は考えてみると難しい。

地域や時代を横断して考えると言うことが困難になっている時代にあって、これだけのことができるというのは驚きです。建築という分野のいい加減さが、良い方向に働いている例で、見習うべきなのかもしれません。

ビブリオグラフィーでは、

Cicero, Marcus Tullius: Epistulae ad Quintum Fratrem.
Epistulae ad Brutum. Fragmenta epistularum,
Ed. H. Kasten, (2. Aufl.)
Munchen 1976.

Vitruv: De architectura libri decem - Zehn Bucher uber die architektur
Ed. C. Fensterbusch, (3. Aufl.)
Darmstadt 1981.

などという記述が見られ、現代の研究者による著作と、キケロやウィトルウィウスたちによるラテン語文献とが同列に扱われてアルファベット順に並んでいます。文献学者の方々にとってはたぶん、我慢ならない点かと思われます。
しかし、こういう記述があってもいいのかもしれません。
これに倣って「アテン賛歌」を、例えば

Akhenaten ca. -1340

と表記したい誘惑に駆られます。

2009年1月24日土曜日

Wright 2000-2005


全9巻からなるフォーブスの「古代の技術史」は名著で、改訂を重ねましたが、その和訳がようやく完結に近づいてきた模様です。2003年に上巻が上梓され、今は3冊目の「下巻1」が出たらしい。けれども一冊が600~700ページもあり、大変な訳業。この分野に属する書籍では他にチャールズ・シンガー、他による「技術の歴史」全14巻も和訳がなされています。
フォーブスの本はしかし、出てから相当の年代も経ったということで、版元のブリルが新たなシリーズの刊行を開始しました。つまりは

Robert J. Forbes,
Studies in Ancient Technology, 9 vols.
(Brill, Leiden, 1955-1964)

の改訂版といった位置づけです。
フォーブスは基本的にエジプト・ギリシア・ローマの世界を眺め渡していた人で、全部をひとりで良く書いたと思われるのですが、今回のシリーズ、"Technology and Change in History"では対象となる地域をさらに拡げるとのこと。その建築の領域を担当しているのがG. R. H. ライトで、この人はエジプトのカラブシャ神殿の修理報告書を執筆していることで知られています。著者は今年80歳代の半ば。

George R. H. Wright,
Ancient Building Technology.

Vol. 1: Historical Background.
Technology and Change in History , Vol. 4
(Brill, Leiden, 2000)
xx, 155 p.

Vol. 2: Materials
Part 1, Text
Technology and Change in History, Vol. 7/1
(Brill, Leiden, 2005)
xxxv, 316 p.

Part 2, Illustrations
Technology and Change in History, Vol. 7/2
(Brill, Leiden, 2005)
xxiv, 309 plates.

第1巻は全部で11章から構成されていて、"Non modo aedificantibus sed... omnibus sapientibus"と目次のすぐあとに記されている引用句は、ウィトルウィウスの「建築書」の冒頭に出てくる語。
第1章が「動物の巣」から始められているのが興味深い。最初の図版に鳥の巣の写真を載せている建築史の本なんて、他にはたぶん見当たらないと思います。建物を扱う際の敷居をできるだけ低くしておこうというのがこの著者の建築の見方で、その点が独特であり、G. R. H. ライトにとっては建築の見栄えを整えるという狭い意味での「デザイン」などは、どうでもいいことのように捉えられています。

世界のあちこちの建物を見て回ってきた人だからこそ書ける本で、新石器時代の建物について20ページほど書いていますが、その後の時代のギリシアもローマも、それぞれ同じ20ページずつの記述で終わらせています。
分け隔てなく建物を見るという姿勢が透徹されている本。実際、ピラミッドだろうがパンテオンだろうが特別視はしない、と序文に明言されています。徹底したこの平等主義が興味深い。

2009年1月23日金曜日

Curl 1991


欧米においてフリーメーソンが美術や建築に与えた大きな影響を辿った珍しい本。2002年のサー・バニスター・フレッチャー賞を受賞するなど評価が高い本格的な論考。モーツァルトの「魔笛」なども扱われます。

James Stevens Curl,
The Art and Architecture of Freemasonry:
An Introductory Study
(B. T. Batsford, London, 1991)
271 p.

フリーメーソンに関する怪しげな本が非常に多い中、込み入った話を30年以上かけて調べて著された書で、序文には

"The Select Bibliography and Notes give an indication of what is only the tip of an enormous iceberg of Masonic and related publications, and there must be many ideas and images I have absorbed over some thirty years of considering the subject which have simply become part of my understanding, and which I can no longer recall as being anything other than part of the total picture I have formed." (p. 7)

と記されており、この状況はエジプト学と似ていないこともない。フリーメーソンによって古代エジプトのモティーフが頻繁に援用されたことは後半で扱われます。
この建築史家はエジプト学を斜に構えて見据えることを通し、いくつかの論考も書いています。

Ditto,
The Egyptian Revival:
Ancient Egypt as the Inspiration for Design Motifs in the West
(Routledge, London, 2005. 3rd ed. and revised.
First published in 1982 under the title "The Egyptian Revival";
2nd ed. in 1994, "Egyptomania: The Egyptian Revival as a Recurring Theme in the History of Taste")
xxxvi, 572 p.

改訂を複数回、重ねている点が注目されます。人気のあった証拠。短い要旨は以下で読むことができます。

Ditto,
"Aspect of the Egyptian Revival in Architectural Design in the Nineteenth Century: Themes and Motifs,"
in C. M. Govi, S. Curto, S. Pernigotti (a cura di),
L'Egitto fuori dell'Egitto: Dalla riscoperta all'Egittologia
(Cooperativa Libraria Universitaria Editorice Bologna, Bologna, 1991), pp. 89-96.

彼はさらに西洋の墓についての研究書を著しており、

Ditto,
The Victorian Celebration of Death
(Sutton Publishing Ltd., Thrupp, 2000)

Ditto,
Death and Architecture:
An Introduction to Funerary and Commemorative Buildings in the Western European Tradition, with Some Consideration of their Settings
(Sutton Publishing Ltd., Thrupp, 2002)

もほとんど類例がない論考。後者の「死と建築」というタイトルには強いインパクトを感じます。
これらの論考は繋がって語られていると考えた方が良く、近世以降の西洋古典主義建築の基底を見直そうとする試み。
オクスフォードから建築事典も出している点も見逃せません。

2009年1月22日木曜日

Peden 2001


「王朝時代のエジプトの落書き」という題を持つ書。墓や神殿、あるいは石切場などに書きつけられた古代の『落書き』を集めています。各遺構の落書きは報告書などにその都度、報告されていますが、それらを概観するという目的を持つこういう本はこれまでありません。「非公式の書きつけ」に注目しているのだという点を強調した副題も、なかなかに刺激的。
要するに、石に刻まれたりパピルスに残されたりする公式の文書だけを追っている文献学者たちに喧嘩を売っている本でもあります。そんなことはどこにも書かれていませんが、読む者には、おそらく意図がそうに違いないとしか思われません。

Alexander J. Peden,
The Graffiti of Pharaonic Egypt:
Scope and Roles of Informal Writings (c. 3100-332 B.C.)
Probleme der Aegyptologie, Band 17
(Brill, Leiden, 2001)
xxii, 348 p., 11 maps

献辞は、師匠であって良き親友でもある学者ケネス・キッチンに捧げられています。
「台所」という奇妙な名字を持つこの文献学者は、きわめて有名。膨大な量にのぼるラメセス時代の文字資料を全部出版しようという無茶なことを、たった独りでおこなっている男。
第18王朝の主な文字資料については刊行されているのですが、続く第19〜20王朝の文字資料はあまりにも多いため、誰も手をつけようとしませんでした。
たぶん、彼の生存中には完結しないであろうKRI(Kitchen, Ramesside Inscriptions)は、しかしエジプト学において基本文献です。十数冊がすでに出版されていますけれども、まだ訳やコメントなどに関する刊行予定の半分が終わっていません。エジプト語の筆写はすべて手書きで、悪筆によるヒエログリフをすごい早さで書くというこの点でも、世界的に名を轟かせています。

キッチンはまた、メンフィスのトゥーム・チャペルとテーベのトゥーム・チャペルの違いを見取り図で描いたり、新王国時代のメンフィスの地図を復原したりしています。いずれも汚い絵なのですが、それは綺麗な図を描くことばかりに囚われている研究者たちを逆に笑っているわけで、こうした無言の批判を特に建築に関わる人間は、真摯に受け止めるべきです。

キッチンへの献辞の下には、旧約聖書のアモス書第3章3節から取られた

「約束もないのに、二人の者が一緒に行くだろうか?」

という字句が引用されていて、これも興味深い。この部分は旧約聖書のユダヤの神の非常に厳しい面を覗かせているところで、その直前の2節には、

「地上の全部族の中から私が選別したのはお前たちだけである。それ故に私はお前たちを、すべての罪のゆえに罰する」

と書かれています。
本書の次のページをめくると、

ROTAS
OPERA
TENET
AREPO
SATOR

という、四角く組まれたラテン語の回文がぽつりと印刷されています。古代ローマ時代の落書きとして知られたもの。終わりから読んでも、また上下に読んでも同じという呪文です。
従来の文字の読み手が書く本とは性格が違う、異色な構成が感じられます。

謎に向かって踏み入ろうとする意図がひしひしと伝わる本。「書かれたものの全体」から、人間の営為に関していったい何がどこまで復元できるかを、偉大な師匠とともに考えようとしている姿勢が強く感じられます。

2009年1月21日水曜日

O'Connor and Cline 1998


エジプトが一番栄えた時代を生きた王のひとりがアメンヘテプ3世で、この王を単独で扱ったモノグラフ。
このように王をひとりだけ取り上げて本によく纏められるのは、一般向けでは他にトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)やアクエンアテン(アケナテンもしくはイクナトン)、またラメセス2世などが多いように思われますが、メルエンプタハやセティ1世、トトメス4世などについてもモノグラフはあって、これらはもっぱら博士論文として書かれたものがほとんどを占めます。
有名なクフ王だけを扱った展覧会などありそうなものですが、この王に関連する適当な展示遺物というのが少なく、企画として難しいのだと思われます。ピラミッドや聖船を持ってくるわけにはいかない。

アメンヘテプ3世については大規模な展覧会が1990年代の初頭にアメリカとフランスで開催され、これに付随して出版物が盛んに刊行されました。その延長線上に並ぶ重要な一冊。1990年代は、アメンヘテプ3世に関連する研究書がたくさん出版された時期として記憶されると思います。

David O'Connor and Eric H. Cline (eds.),
Amenhotep III: Perspectives on His Reign
(The University of Michigan Press, Ann Arbor, 1998)
xvi, 393 p., 4 maps, 8 figs.

似たようなテーマを扱った古いものとしては、小さなペーパーバックの

Elizabeth Riefstahl,
Thebes: In the Time of Amunhotep III.
The Centers of Civilization Series
(University of Okulahoma Press, Norman, 1964)
xi, 212 p.

が知られており、この他にも

Hans Goedicke,
Problems concerning Amenophis III
(Halgo, Baltimore, 1992)
v, 108 p., 10 figs.

などが挙げられるかもしれません。
アメリカとパリでの大規模な展覧会では立派なカタログがそれぞれ出ていますが、両者の本で微妙な違いが見られる点は興味深い。その他にもこの展示会にあわせて催された研究会の報告書、"Art of Amenhotep III"も読み応えがあり、見逃せません。

アメンヘテプ3世による建築に関わる論考としては、D. オコーナーとR. ジョンソンによる文が面白い対比を見せています。
マルカタ王宮について、オコーナーは「一度で設計された」(p. 161)と書いていますが、ジョンソンは「何度かの建造過程を伴って」(p. 75)と記しています。この本に論考を寄せている学者はいずれも知られた人たちばかりですけれども、一冊の同じ本の中なのにも関わらず、このように言っていることですれ違っている部分がうかがわれるのは重要。要するに、遺構の基本的なことで未だ良く分かっていない部分がいくつも存在するということです。

この王が造営した遺構群の調査を一番多く進めているのは他でもない日本隊で、大きな課題がそこにあると言ってもいい。
巻末のbibliographyは60ページ近くに及び、この時代を知るためには必携の書。

2009年1月20日火曜日

Harris (ed.) 2006 (4th ed.)


アメリカのコロンビア大学建築・都市計画・歴史保存大学院コースの名誉教授による建築事典。版を重ね、第4版が近年出ています。1000ページを超える書で、足にうっかり落としたりすると大変危険な本。

Cyril M. Harris,
Dictionary of Architecture and Construction
(McGraw-Hill, New York, 2006, 4th edition.
First published in 1975)
xi, 1089 p.

建築英語事典はたくさん出ていますが、それぞれ一長一短があり、複数揃えることが必要になってきます。
この本は名門のコロンビア大学の建築の学生たちに長らく使わせてきた歴史もあって、図版も2300点を収めており、充実した一冊。当初は"Illustrated Dictionary of Historic Architecture"というタイトルでした。図版を多く入れて説明することに力を注いでおり、その点が特徴。最初の版のページ数のほぼ2倍になっています。

改訂に当たっては図版もかなり入れ替えをおこなっているようで、昔に見たものとだいぶ印象が変わっています。アジアの建築などにも言及していますので、簡単に調べる際には有用。ただし、建築構法の説明にも多くのページを費やしていますので、相対的に歴史関係の記述が少なめになっています。

建築史関連の辞書ということであれば、N. ペヴスナー卿・他による以下の本、

John Fleming, Hugh Honour, and Nikolaus Pevsner,
Penguin Dictionary of Architecture and Landscape Architecture.
Penguin Reference Books
(Penguin, New York, 2000, revised.)
656 p.

が有名です。各様式についても要領を得た説明がなされており、何よりも安くペーパーバックで提供されているのが魅力。この本も改訂を経ています。一冊だけ購入するとするならば、むしろこちらの方がお勧め。旧版については和訳も出版されており、翻訳を手がけているのは東大の鈴木博之教授。
ペヴスナー卿は非常に有名なイギリスの建築史家で、英国における歴史的建造物の基礎台帳を作成したことでも知られている人。

個人が辞書を執筆する場合もあって、

James Stevens Curl,
with line-drawings by the author and John Sambrook,
A Dictionary of Architecture.
Oxford Paperback Reference
(Oxford University Press, New York, 1999. Paperback 2000)
xi, 833 p.

こちらもペーパーバック。この著者は古代エジプト建築について造詣の深い人で、この本では文を800ページ書いている他、図まで作成しているというただならぬ人物。西洋における墓について、またフリー・メーソンについて、いずれも注目すべき本を出版しています。異能の学者です。

2009年1月19日月曜日

Dumarcay et Courbin 1988


フランス極東学院(EFEO)による刊行物で、これまで未発表であった図面を多数掲載している点は貴重。カンボジアのクメール建築遺構研究においては重要な本です。

Jacques Dumarcay,
Documents graphiques de la Conservation d'Angkor 1963-1973.

Paul Courbin,
La fouille du Sras-Srang.

Memoires archeologiques 18
(Ecole Francaise d'Extreme-Orient (EFEO), Paris, 1988)
59 p., 89 pls.

B. P. グロリエに捧げられた本です。
この学者はクメール学に多大な貢献を果たした大物。1986年に亡くなりましたが、1960年から1975年まで、アンコール地域の保存修復家として活躍しました。

しかしどこかがおかしな出版物で、一冊の本の中に、無理矢理ふたつの内容を詰め込んだ印象が拭えません。表紙ではデュマルセが纏めた図面資料に関する題を先に置き、スラ・スランの発掘報告が後になりますが、実際はその逆です。
序文をデュマルセが記し、十数枚の写真と図面を付しながら二つの内容の統一を図る書き方をしていますけれども、本の構成は半ば混乱をきたしているとしか思われない。むしろ89枚の図面を出版することのみが主目的であったのではと疑われる書籍です。

折り込みを利用して、大きな図面も掲載しようと試みています。例えばタ・ソムの平面図は3ページ分の幅を持ちます。
アンコールのプレア・カンの平面図に至っては、何と4ページ分の幅の紙に印刷されていますが、これを長軸に沿って南北に切り分けています。
常識から考えて、普通はまずやらないだろうなと思わせるのは、信じられないことにこの細長く切られた平面図を一枚の長い紙面の表裏の両面に刷るという荒技をやっていて、見にくいこと、この上ない。

"Collection de textes et documents sur l'Indochine XVII"と表紙には印刷されていますが、このシリーズの17番目については、実は別に"Nouvelles inscriptions du Cambodge"として1989年に刊行されており、EFEOのサイトでも確認することができます。
それ故、本当のシリーズ名は"Memoires archeologiques 18"であるらしい。EFEOのサイトではそうなっています。
どのような理由で間違ったのか、良く分かりません。

コンポン・スヴァイのプレア・カンの中心部の平面図が掲載されています。これを見るためだけでも入手する価値があります。

2009年1月18日日曜日

Lander 1984


古代ローマ時代の城塞を集成した本。四角く防壁を巡らせて、各隅に塔を建てる構えは古代ギリシアの時代に形成されました。これを継承し、各地に多数建造されたローマ時代の砦を丁寧に辿ります。

James Lander,
Roman Stone Fortifications:
Variation and Change from the First Century A.D. to the Fourth.
BAR International Series 206
(British Archaeological Reports (B.A.R.), Oxford, 1984)
x, 363 p.

BARの略称が、もしBARと記されるならば、エジプト学ではJ. H. ブレステッドの"Ancient Records of Egypt, Historical Documents from the Earliest Times to the Persian Conquest," 5 vols.を指す場合があります。
またBARと省略される雑誌名が他にもあり、時として分かりにくいところです。

古代エジプトにも大がかりな城塞は造営され、ブヘンやミルギッサなどが代表的です。しかしこれらは単独で存在した防衛拠点と言うべきものであって、あたかも鎖のように砦を並べ、外敵の侵入を防いだローマのやり方とは異なります。

或る間隔を置いて砦を配置し、築かれた防衛線は「リメス limes」と呼ばれました。特にライン川とドナウ川はローマ帝国にとっては非常に重要な川で、このふたつの川がヨーロッパのどこを流れているかを調べると、自ずとその理由が了解されます。ヨーロッパの地図において左と右との両側から中央に向かって走るこのふたつの裂け目としての川は、ヨーロッパ全体の広さを勘案するならば、上流ではほとんど触れ合わんばかりにまで接近しているとみなしても良く、自然の防衛線としてローマ人たちはこれを利用しました。つまりライン川とドナウ川に沿って砦を次々に築いたわけです。いくつかの砦はその後、ヨーロッパ有数の都市にまで成長していきます。
ランダーのこの著作は城塞建築の考察に主眼を置いたものです。一方、延々と伸びるリメスに軸足を置いて考察をおこなった著作もあり、

Joelle Napoli,
Recherches sur les fortifications lineaires romaines.
Collection de l'Ecole Francaise de Rome 229
(Ecole Francaise de Rome, Rome, 1997)
vi, 549 p.

などが挙げられます。

古代ローマ時代の建築については膨大な量の研究が重ねられており、とうてい古代エジプト建築研究の比ではありません。古代ローマの軍事建築だけを扱う専門雑誌も刊行されており、かなりの程度、研究分野の細分化が進んでいます。
イギリスに設けられた古代ローマ時代のリメスである「ハドリアヌスの長城」は世界遺産。ライン川沿いのリメスも後にこれに加えられています。

城塞は中世の城に受け継がれますけれども、その後、火薬の発明と火器の発展によって根本的な変化を強いられます。「カタパルト」として知られる投石機による攻撃の時代が終わり、星形の要塞が考案されました。ヴォーバンによる堅固な要塞の計画方法が流布し、その影響はヴェトナムのフエの王宮(これも世界遺産)、また北海道の五稜郭にまで及んでいます。このことは、旧来の城の形式が完全に形骸化したことを意味しており、ディズニーランドのシンデレラ城はその典型。

軍事建築の5000年と言うことを考えた場合、要に位置する書。
参考文献を巻末に挙げていますが、"Primary sources"と"Secondary sources"とのふたつに分けられており、ギリシア語・ラテン語文献は前者で扱われます。

2009年1月17日土曜日

Voros 2007


ハンガリー隊の100年の歴史を追う本で、9つの調査現場を扱っています。本来は時代も地域もばらばらに異なる調査地。これらを「エジプトの神殿建築」という題で統括して纏めたのは著者の力量によるもので、興味深い。
著者は建築学で博士号を取得しており、9つの現場のうち、半数には参加していません。もともとハンガリー語で書かれた本ですが、同年中に英語訳が出されています。

Gyozo Voros,
Egyptian Temple Architecture:
100 Years of Hungarian Excavations in Egypt, 1907-2007
(Kairosz Press, Budapest, 2007.
Originally published as "Egyiptom templomepiteszete az Egyiptomi Magyar Asatasok (1907-2007) fenyeben", Budapest, 2007)
202 p.

Contents:
Introduction
Field Research
I. 1907-1909: Sharuna
II. 1926-1950: Western Desert
III. 1956-1963: Savaria
IV. 1964: Abdallab Nirqi
V. 1983-: Thebes - Cemetery of the Nobles
VI. 1985-1987: Oxyrhynchus - Bahnasa
VII. 1994-1998: Thebes - Thoth Hill
VIII. 1998-2004: Taposiris Magna
IX. 2004-: Nea Paphos
Survey of New Results of Field Research
Egyptian Temple Architecture in the Light of the Hungarian Excavations in Egypt
Conclusion
Epilogue
Acknowledgements
Appendix
(以下略)

まだ30歳の半ばと思われる研究者自身の個人史と、100年にわたるハンガリー隊の調査の経緯とが平易に語られており、面白い読み物になっています。エジプト考古庁の長官だったカドリ博士の名前も出てきて懐かしい。
ピートリの"Ten Years' Digging in Egypt 1881-1891"や、あるいはM. マレーの"My First Hundred Years"、ロザリンド・M. ヤンセンによる"The First Hundred Years: Egyptology at University College London 1892-1992"などを思い浮かばせる本。

1907年の1月1日にハンガリー隊はエジプトで初めて調査を開始したらしく、その100年後の2007年の1月1日のイヴにこの本が書き終えられたことが冒頭に出てきます。序文に添えられた日付は2006年12月31日。
つまり、自分が正統なのだということが宣言されているわけです。

189ページの註131には、或る書籍から「私の名前が消されている」という苦言なども記されてもいます。エジプトの歴史でも、こういうことが繰り返されてきたという点を思い出しました。
著者の自画自賛が、少しばかり気にはなるところ。
しっかりとした造本で、カラー図版も豊富です。

2009年1月16日金曜日

De Putter and Karlshausen 1992


古代エジプトで用いられた石の本。地質学者とエジプト学者が組んで一冊の本を書いています。クレム夫妻による古代エジプトの石切場の総覧が出版されるまでは、唯一の詳しい本と言って良かったのですが、しかしまだ価値を失っていません。

Thierry De Putter et Christine Karlshausen,
Les pierres utilisees dans la sculpture et l'architecture de l'Egypte pharaonique:
Guide pratique illustre
. Etude no. 4
(Connaissance de l'Egypte Ancienne, Bruxelles, 1992)
176 p., 54 plates

石の名前をフランス語、英語、ドイツ語の各国語で見出しとして挙げ、他にヒエログリフによる名称も記されています。建築や彫刻だけではなく、宝飾品に使われたラピス・ラズリや水晶などの貴石も広く扱っているのが特徴です。
巻末にはカラー写真を多数収め、さまざまな石の色や模様が分かるというのも便利。

古代エジプトの石に関心を持って調査を進めている人としては、他にトレド大学のジェームス・ハーレルという研究者がいて、この人も石のカラー写真をたくさん載せたホームページを作成しています。

http://www.eeescience.utoledo.edu/faculty/harrell/Egypt/Q...

どうやら膨大な量のエジプトの石のコレクションを持っているらしく、「エジプトの石を調べてもらいたいのなら、無料で鑑定します」なんて書いてあります。

エジプトで石の研究をしている人たちはごく少数ですが、これがギリシアやローマ時代の石の研究者となると、数がもっと増えてきます。特にこの時代には仕上げ石としての大理石が好まれたので、それらの流通の問題などが深く関わってくるためです。ギリシア語やラテン語による文字資料も、飛躍的に多くなります。
それらを専門的に研究する学会が"ASMOSIA"で、日本語で言うと「古代における大理石やその他の石を研究する学会」。

ASMOSIA:
Association for the Study of Marble and Other Stones In Antiquity
http://www.asmosia.org/index.html

第9回の国際学会はスペインで2009年の6月に開催するとのこと。
年会費はたったの10ドル、もしくは8ユーロです。1000円ちょっとで、すごく専門的な内容の会報が送られてくるから、面白いかもしれません。
これだけ会費が安いと、銀行での手数料でその大半が失われてしまいますから、小切手などでは送らないでください、と注意書きも添えられています。

2009年1月15日木曜日

Reeves 1990a and 1990b


N. リーヴスはイギリスのダーラム大学に博士論文を出して学位を取得しましたが、その内容は古代エジプトの「王家の谷」の総まとめで、これを執筆するため、どれだけの資料に目を通さねばならなかったのかは、下記の書の本文の前に置かれているページの分量を見れば分かります。博覧強記を誇る彼の方法が良くあらわれている本です。全部で400ページを超える博士論文の刊行物。

Carl Nicholas Reeves,
Valley of the Kings: The Decline of a Royal Necropolis.
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London and New York, 1990)
xliii, 376 p.

ケガン・ポールから出されているこの「スタディズ・イン・エジプトロジー」のシリーズは重要。「アマルナの境界碑」や「カルナックにおけるアクエンアテンのセド祭」など、現在ではかなりな高額で取引されているものが少なくありません。

リーヴスのこの博士論文がたくさん売れたという話は聞いていませんが、しかし同じ年に「コンプリート・ツタンカーメン」を出版しており、これはもちろん彼が博士論文を書く上で収集した資料のごく一部を流用した内容。
最初はカイロから出版されましたけれども、イギリスのテムズ・アンド・ハドソン社が引き継ぎます。こちらの本はヨーロッパ各国語に訳され、類書がなかったために爆発的な売り上げを見せました。
これが「コンプリート」シリーズの始まりで、以後はピラミッド、神殿、墓など、たくさんの本が出されるようになり、いくつかは和訳もなされています。

Carl Nicholas Reeves, foreword by the Seventh Earl of Carnarvon,
The Complete Tutankhamun: The King, the Tomb, the Royal Treasure
(The American University in Cairo Press, Cairo, 1990)
224 p.

この2年後、彼はまた2冊の本を出しており、「ビフォー・ツタンカーメン」はハワード・カーターの前半生記を扱ったもの、また「アフター・ツタンカーメン」は王家の谷の調査に関する国際シンポジウムの記録です。いずれも博士論文の延長線上に位置する仕事。内容も出版社も異なるものの、題名に関連を与えて同時期に刊行するという方法がとられているのが興味深い。

Carl Nicholas Reeves and John H. Taylor,
Howard Carter before Tutankhamun
(The British Museum, London, 1992)
201 p.

Carl Nicholas Reeves (ed.),
After Tut'ankhamun: Research and Excavation in the Royal Necropolis at Thebes.
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1992)
xv, 211 p.

「コンプリート・ツタンカーメン」の成功を受け、彼の博士論文や国際シンポジウムでの成果をもとにしながら、一般向けに内容が手直しされたものが後年の「コンプリート・王家の谷」で、刊行はさらにその4年後でした。

Nicholas Reeves and Richard H. Wilkinson,
The Complete Valley of the Kings: Tombs and Treasures of Egypt's Greatest Pharaohs
(The American University in Cairo Press, Cairo, 1996)
224 p.

ここで最初に掲げた本と最後に挙げた本とを比べると、専門家向けと一般向けとで大きく構成を変えている点が一目瞭然で、面白いところです。両者の間に情報の質と量の差異がどれだけあるかということを確認できる例。エジプト学のあり方を詳しく見てみたいという場合、双方の本の作り方を見比べる作業から大きな示唆を受けることがあるかもしれません。
なお彼は近年、アクエンアテンに関する本も出版しています。

2009年1月14日水曜日

Dumarcay 1967-1973


アンコール・ワットと並び、アンコール地域で注目されるバイヨン寺院に関する報告書。著者はクメール建築のみならず、広く東南アジア建築を知る重鎮。特に1970年代、彼はたくさんの報告書を刊行しました。どれもフランス極東学院による調査が重ねられながらも、報告書が出ていなかった遺構ばかりです。
すでにH. パルマンティエが、この複雑きわまる構成を持つ寺院の概要を発表していましたが、それも自分の説を途中で訂正したりと、内容の把握には骨が折れます。しかしながらパルマンティエによる修正後の説をデュマルセは良く受け継いでおり、現在言われているバイヨンの建造過程の4段階説は正確には、パルマンティエ・デュマルセ説と表現すべきだと思われます。

Jacques Dumarcay,
Le Bayon: Histoire architecturale du temple: Atlas et notice des planches.
Publications de l'Ecole Francaise d'Extreme-Orient (PEFEO),
Memoire Archeologique III(-1)
(Ecole Francaise d'Extreme-Orient (EFEO), Paris, 1967)
11 p., 68 planches.

Jacques Dumarcay,
Le Bayon: Histoire architecturale du temple (Textes).
Bernard Philippe Groslier,
Inscriptions du Bayon.
Publications de l'Ecole Francaise d'Extreme-Orient (PEFEO),
Memoire Archeologique III-2
(Ecole Francaise d'Extreme-Orient (EFEO), Paris, 1973)
(iv), 1-76 p., 1-53 planches, 81-332 p., 54-72 planches.

最初に図版だけを出版し、6年後に文章編を刊行しています。あとで出された方には、バイヨンのあちこちに見られる文字資料の報告もなされており、こちらはグロリエによって執筆されました。アンコール・トムの城門が3つの建造過程を有する点に短く触れており、これも重要な報告。

パルマンティエとデュマルセの見方に基づき、さらに問題を展開させたのがオリヴィエ・クニンによる非常に分厚い博士論文で、

Olivier Cunin,
De Ta Prohm au Bayon, Analyse comparative de l'histoire architecturale des principaux monuments du style du Bayon, 4 vols.
(Nancy, 2004)
http://tel.archives-ouvertes.fr/tel-00007699

のURLで見ることができます。
「タ・プロームからバイヨンまで:バイヨン様式の主要遺構に関する建築史の比較分析」という題で、PDFで4冊分、総計200MBを超えます。プリンタで打ち出すのは一日がかり。バイヨン期に属する遺構群についての詳細な論考で、図版が多数収められており、専門家にとっては必見の書。バイヨンについてクロード・ジャックが唱えている説は、完全に排除されています。
このように、クメール研究に当たっては未刊行資料にも目を通す必要がある点は銘記されるべきで、エジプト学におけるデル・エル=メディーナ(ディール・アル=マディーナ)研究と似たところがあります。
デュマルセはまた近代文学と建築を取り結ぶ小さな本も書いたりしており、この人の器が示唆されます。

2009年1月5日に亡くなった桜田滋には、クメール建築調査の際にさまざまな面でずいぶんと助けてもらいました。日本国政府アンコール遺跡救済チーム(Japanese Government Team for Safeguarding Angkor: JSA)のシェムリアプの現地事務所の所長を務めた男です。高校の時から30年のつき合いでした。
黙祷。


2009年1月8日木曜日

JAEI 1:1 (January 2009)


今年、創刊されたエジプト学の電子ジャーナル。1月の発行ですから、現在、一番若い専門誌ということになるかと思います。アリゾナからの刊行で、年に4回の発行を予定しています。個人の年間購読料が30ドル。論文ごとの購読も将来、可能になるとのこと。

Journal of Ancient Egyptian Interconnections (JAEI),
Vol. 1, No. 1 (January 2009)
iv, 46 p.
http://www.uair.arizona.edu/holdings/journal?r=uadc://azu_egypt/

電子媒体を用いたエジプト学の雑誌というのはすでにいくつかありますが、ここでは古代エジプトと近隣諸国との間の相互の接触や影響について考える雑誌ということになります。先輩格の似たような雑誌としてAegypten und Levanteが説明文に挙げられており、これはウィーンにいるマンフレッド・ビータックが編集している雑誌。エジプトと東地中海沿岸、もしくはエーゲとの関わりを論じる専門誌です。

ここではアリゾナ大学にいるリチャード・H. ウィルキンソンが編集者で、和訳されている本が何冊もあるので日本人にも知られている存在。編集委員会としてビータックの他にサリマ・イクラム、ナンノ・マリナトス、デヴィッド・オコーナー、ドナルド・レッドフォード、トーマス・シュナイダー、ウィレミナ・ウェンドリッヒ、ニコラス・ワイアットらの名が挙げられています。なかなか豪華な布陣ということができると思います。

実はここ数年でエジプト学に関連する新たな雑誌がいくつも立ち上げられていて、とうていその全部に目を通すことが困難な状況を招いています。
トーマス・シュナイダーもJournal of Egyptian Historyという新しい雑誌の編集者。発行はレイデンの老舗出版社であるブリルで、2008年の創刊です。

Journal of Egyptian History (JEH) (2008-)
https://www.eisenbrauns.com/ECOM/_2JY0VKH3Z.HTM

JAEIというこの雑誌は、ですから権威ある他雑誌の編集主幹を複数、編集委員として招待している珍しいものとみなすことができ、周到な準備のもとに発行されたことが推察される刊行物。"Executive Production Board"としてKMTのデニス・フォーブス、またEESの機関誌であるEgyptian Archaeologyのパトリシア・スペンサーの名前もうかがわれるのが興味深く思われます。穿った見方をするならば、権威づけに急いでいる印象も感じられないことはない。

Nanno Marinatos,
"The Indebtedness of Minoan Religion to Egyptian Solar Religion: Was Sir Arthur Evans Right?," pp. 22-28.

Nicholas Wyatt,
"Grasping the Griffin: Identifying and Characterizing the Griffin in Egyptian and West Semitic Tradition," pp. 29-39.

が連続して掲載されています。ふたつとも編集委員自身による論考。雑誌が造られる場合には第1号に重鎮から原稿を投稿してもらうことは重要で、ここでは2人によってそれがなされています。内容も相互で関わっており、

"The implications of this ornament have been discussed by Richard H. Wilkinson and are explored in the present issue of this journal by Nanno Marinatos." (p. 34)

と、お友達感覚が若干、気になるところ。しかしこの2本の論文は面白く、並行して読まれるべきです。聖書にも登場する想像上の動物「グリフィン(グリフォン)」が扱われます。
年に4回発行という頻度はかなり忙しいはずで、今後の展開が注目されます。

2009年1月7日水曜日

Shaw and Nicholson 2008 (2nd ed.)


I. ショーとP. ニコルソンによる「大英博物館古代エジプト百科事典」の改訂版が出ました。すでに内田杉彦先生によって和訳されているためによく知られたもののうちのひとつ(cf. LÄ (Lexikon der Ägyptologie) 1975-1992)ですけれども、40ページほどを追加し、項目数も増えています。

Ian Shaw and Paul Nicholson,
The British Museum of Ancient Egypt
(The British Museum Press, London, 2008, 2nd ed.
First published in 1995, 328 p.)
368 p.

白地であったブックカバーが今度は黒地に改変。
序文には、

「アマルナやグラーブ、メンフィスなど、重要な地域における最新の調査の成果を盛り込んだ」

などと書いてあって、確かにその通りなんですけれども、グラーブは執筆者のひとりであるショーの現在における調査現場でもあるわけで、ここは自分で自分の成果を褒めている結果となっています。
「ガラス」の項目が比較的詳しいのも笑えるところです。もうひとりの著者、ニコルソンの専門分野。

主なエジプト学者やその写真、また遺構の平面図・カラー写真などを加え、たいへん見やすくなっています。日本隊の成果も反映され、「ダハシュール」、「カエムワセト」、「マルカタ」の各項目には参考文献とともに紹介されています。
「アコリス」の項目で鈴木まどか先生による論文しか載っていないのは、しかし片手落ち。

巻末には本書で取り上げられることとなった88人のエジプト学者たちのリスト、王家の谷の墓の番号と埋葬者のリスト、またテーベにおける私人墓の墓番号と埋葬者のリストなどが加えられてもいます。Porter and Mossを持っていればそれを見れば良いのでしょうが、特にTT No. (テーベの墓番号)は一般書においてはL. Manniche, City of the Dead: Thebes in Egypt (London, 1987)の巻末等、一部にしか掲載されていなかったはずでしたので有用。

エジプト学のハンディな事典と言えば、1960年代に刊行の、G. ポズナーによるフランス語で書かれたものがありました。小さいけれども要所にカラー写真が添えられ、良い本でした。しかしもう50年前のものであるし、役割を終えつつあると言って良いのかもしれません。
判型も、英語で読めるこちらの方が大きい。

巻末の3ページにわたる王ごとの年表では、「紀元前690年より前の年の数字は全部だいたいです」(!)と簡単で大胆な注意書きがしてあって、一般向けにはこれで良いという判断。
参考文献については英語で書かれたものをできるだけたくさん挙げたと断っており、これが万能で唯一のものではないことを充分知っておく必要がありますが、非常に使いやすく、お勧めの一冊です。

2009年1月6日火曜日

Eldamaty and Trad (eds.) 2002


1902年に開館されたカイロ博物館の100周年を記念し、収蔵されている遺物などに関連した論考を世界中の研究者たちから募集して編まれた2巻本です。総計で1300ページ以上、130編の論考を所収。
日本からは2編が寄稿されており、河合望先生と吉村作治先生による論考がそれぞれ第1巻と第2巻に掲載されています。

Mamdouh Eldamaty and Mai Trad (eds.),
foreword by Zahi Hawass,
Egyptian Museum Collections around the World, 2 vols.
(Supreme Council of Antiquities, Cairo, 2002)

Vol. 1: xiii, pp. 1-701.
Vol. 2: pp. 702-1276 + arabic, (viii), 101 p.

南アフリカ、ウルグアイ、セルビアといった国に収蔵されている古代エジプトの遺物の様子も伝えられており、興味が惹かれるところ。

ナルメル王のパレットで見過ごされてきた詳細部があると、V. Davies とR. Friedmanが報告しています。100年以上も気づかれなかったと書いてありますが、それだけ些細であるということ。
しかし、エジプト学者たちにとって長く特別視されてきた名高い遺物でさえ、未だに不正確に報告されている部分があるという問題点の指摘の仕方に結論を持ってくるところは上手です。論文の書き方のお手本。首などを切り取られた人物像を扱い、内容も面白い。

この他にも、注意すべき論考が掲載されており、第1巻ではたとえばE. Brovarskiが建物の姿から取られたヒエログリフの見直しをやっていたり、G. Burkard, M. Goecke-Bauer, S. Wimmerたちがディール・アル=マディーナ(デル・エル=メディーナ)のオストラカに関するインターネットを使った公開を報告しています。粗く見積もってその総数はおよそ20000点と記されており、主要なこれまでの刊行物がリストアップされています。
似たようなデータベースはレイデンでも作成されていて、体系的で詳細な文献リストも発表されているのですが、ドイツ系の学者たちによる方法はまたそれとは異なり、カラー写真なども添付。
第2巻ではA. Nibbiが地鎮祭について書いています。

図版、特に写真の状態はあまり良くありません。
1208ページの"PL. XYX"では、同じ写真を2枚掲載するなど、多少の乱れも目につきます。ここの論文を書いているのはS. P. Vleemingで、カイロ博物館におけるナンバリング・システム、つまり番号付けの方法に関する文献を紹介しているのは参考となります。

B. v. Bothmer, "Numbering Systems of the Cairo Museum," 
Textes et langages de l'Egypte pharaonique, III (BdE 64-III, Cairo, 1974), pp. 111-122.

しかしこれほど多くの研究者たちの論文を集めている本は近年、珍しい。国際エジプト学者会議録を除くと、ほとんど絶無です。
ただ何事にも例外はあって、フランスの大御所であるJ. ルクランの献呈論文集は4冊からなり、索引も付された献呈論文集という点が前代未聞です。4冊で2000ページに及ぼうとする大著。

Chatherine Berger, Gisele Clerc et Nicolas Grimal (eds.),
Hommages a Jean Leclant, 4 vols.
Bibliotheque d'Etude (BdE), tomes 106/1-4, IF 741A-D.
(Institut Francais d'Archeologie Orientale (IFAO), Le Caire, 1994)

Vol. 1: Etudes pharaoniques (548 p.)
Vol. 2: Nubie, Soudan, Ethiopie (431 p.)
Vol. 3: Etudes isiaques (503 p.)
Vol. 4: Varia (491 p.)

多数の執筆者から成り立っている本は、面倒でも最初から見ていくしかありません。自分が興味のある論文が2〜3本あった場合には、購入してしまえば数年経ってから後悔することが少なくなるかと思われます。

2009年1月5日月曜日

Killen 2003


古代エジプトの家具に関する一般向けの紹介。たぶん、キレンの執筆によるごく最近の論考です。家具の寸法分析などを記述。
キレンがこうした考察を書くのはおそらく初めてで、注目されます。

Geoffrey Killen,
"Woodworking in Ancient Egypt: The Skills of Ancient Artisans.
Part 3, Measurement, Scale & Proportionality of Ancient Egyptian Furniture,"
Ancient Egypt, Vol. 3, Issue 4
(January / February 2003),
pp. 32-35

これは以下に示す論文の続編で、本稿は3番目に当たります。
すでにキレンの本を何冊か目にしている人は、以下の論考を読む必要はありません。
既出著作の抜粋と考えて構わないかと思います。

Ditto,
"Woodworking in Ancient Egypt: The Skills of Ancient Artisans.
Part 1, Tools and Processes,"
Ancient Egypt, Vol. 3, Issue 2
(September / October 2003),
pp. 24-29

Ditto,
"Woodworking in Ancient Egypt: The Skills of Ancient Artisans.
Part 2, Materials and Decorative Techniques,"
Ancient Egypt, Vol. 3, Issue 3
(November / December 2002),
pp. 24-28

黄金比というものがあって、1に対する1.618という比率を指しますけれども、これが古代エジプトの家具にも適用されたのではないかという意見を書いています。
僕はこの見方に与しませんが、彼がこれを記しているという点は重要。古代エジプト研究における寸法計画を探る際には、広範に論破しなければいけないことが、ここでも明らかにされるからです。

雑誌Ancient Egyptは、古代エジプト文明に興味を抱く一般読者向けに刊行されているイギリスの隔月刊誌で、コンサルタント・エディターとしてロザリー・ディヴィッド(Rosalie David)を迎え入れています。
若い雑誌ながら、アメリカの同系統の雑誌KMTと双璧をなすメディア。

ヨーロッパでは古代エジプトを専門とする一般向けの雑誌というものが他にもいくつかあり、欧米における読者層のものすごい厚さを象徴しています。
キレンはHPを持っているので、この人の著作は容易に調べられます。

http://www.geocities.com/gpkillen/

2009年1月4日日曜日

Kemp 2006 (2nd ed.)


大まかには古代エジプト文明の通史に含まれる論考ですが、経済人類学など現代思想の成果も取り入れているため、類書とは一線を画しています。
副題が良く本書の性格をあらわしており、ひとつの文明がどのように誕生し、展開を遂げたのかを掘り下げて論じています。

Barry J. Kemp,
Ancient Egypt: Anatomy of a Civilization
(second ed., Routledge, London, 2006)
x, 437 p.

初版は1989年で、同じ出版社から刊行されました(vii+356 p.)が、この第2版では大幅な改訂と増補が施されました。
この改訂はきわめて重要で、まずはアマルナに関する記述が大幅に削除されています。自分が発掘調査隊長を務めていた遺跡について直接詳しく書くことを控える結果となっており、代わりとして冒頭部分には「古代エジプト人とは誰であったのか?」が加えられました。
ケンプの名を一躍高めたのは初期王朝における葬祭建築の分析でしたが、その視点の延長上をさらに充実させています。

古代エジプト研究に携わる学者の中でも、5本の指に入る論客によって書かれた著作。文献学上の資料をもとにした考察に時として偏りがちなエジプト学内の歪みを熟知した上で書かれていますから、さまざまな示唆に富んでいるのが特徴です。大学院博士課程の学生でも、あるいは読みこなすのが困難な側面を持っているかもしれない。

建築学的観点からは153ページの、古代エジプト建築の系統樹がもっとも注目されます。こういうものは断片的には言及されてきた経緯はあっても、これまで包括的には提唱されませんでした。平面が入れ子状にされている古代エジプト建築への注目も重要です。
また185ページの、アスワンの未完成のオベリスクに関する新たな解釈も非常に面白い。図のキャプションだけに短く記された、新しい観点。見過ごしがちですけれども、検討する価値のある見方。

本には謝辞がつきものですが、この人の場合、たったの6行です。
誰にも恩恵を受けなかったという姿勢が、ここでは密かに宣明されています。
ケンブリッジ大学での教員生活を終え、現在はカイロにも居を構えているという話があります。残る人生をアマルナ研究に捧げようとしているのかも知れません。
古代エジプト史を語る上で欠かすことのできない一冊。

2009年1月3日土曜日

Hellmann 2002


古代ギリシア建築に関する包括的な解説書。建造技術に興味がある研究者にとっては必携の、きわめて重要な本です。全4巻の刊行が予定されており、これまで第2巻まで出版されました。
出版社Picardはパリの老舗の本屋さんで、とても有名です。

Marie-Christine Hellmann,
L'architecture grecque, vol. 1: Les principes de la construction.
Manuels d'art et d'archeologie antiques
(Picard, Paris, 2002)
351 p.

図版は豊富で、このうちのpp. 8-16, 233, 236-237, 240-241, 244-245, 248-249, 252-253などはカラー図版です。白い大理石で造られた古代ギリシアの神殿が、もともとは赤や青、緑といった原色で塗られ、ものすごく派手な建物であったことが丁寧に紹介されています。
古代のギリシア神殿が原色で塗られていた点は19世紀に初めて明らかにされ、最初から大理石造の全体が真っ白な建築であったに違いないと、誰もが疑いもせずに思い込んでいたことが間違いであると分かって、当時は大騒ぎになりました。いわゆるポリクロミー論争。
パルテノン神殿の屋根構造が木で造られていたことも、案外と一般には知られていないのでは。

この種の本で、これまでの権威ある書としては、

Roland Martin,
Manuel d'architecture grecque
(Picard, Paris, 1965)
522 p.

や、A. K. オルランドスA. K. Orlandos:非常に貴重な書)によるものなどが挙げられますが、40年ぶりに、これを大きく乗り越えようとしている意図があることは一目瞭然。
ちなみに4巻の構成は、

Vol. 1: Les principes de la construction (2002)
Vol. 2: Architecture religieuse et funeraire (2006)
Vol. 3: Les composantes de l'urbanisme: l'habitat et les fortifications (en preparation)
Vol. 4: Architecture civile, edifices d'education et de spectacle (en preparation)

完結まで、あと数年がかかる見込みです。
第2巻目には日本人研究者の名も復原図とともに載っており、新しい時代が到来したことが実感されます。

2009年1月2日金曜日

Robins 1994


古代エジプトの美術を専門とする学者による書で、壁画に興味があるものにとっては基本文献となります。Goettinger MiszellenDiscussions in Egyptologyといった、比較的審査の緩い専門雑誌において多く考察を重ね、10数年経って集大成された本。

Gay Robins, drawings by Ann S. Fowler,
Proportion and Style in Ancient Egyptian Art
(Thames and Hudson, London, 1994)
x, 283 p.

しかしこの本を読むにはまず、イヴァーセンによる研究書を知らなければなりません。イヴァーセンによる、よく知られた本を批判している内容を持つからです。

Erik Iversen in collaboration with Yoshiaki Shibata,
Canon and Proportions in Egyptian Art
(Aris and Phillips, Warminster, 1975. Second edition
fully revised. First published in London, 1955)
94 p., 34 pls.

イヴァーセンの初版と再版とは内容が全然異なりますから、ここにも面白い問題が潜んでいます。1955年の論考があり、これを根本的に変える必要があってほぼ20年後に同じ著者によって再考がなされた本が出され、でもまだ不明なところがあったので、また約20年後に、今度は別の著者によって本が出たという経緯を踏んでいます。

問題は、未完成の壁画などでしばしば見られる下書きの格子線(キャノン・グリッド)で、これがどのような役割を果たすのかという点、古代エジプトの尺度であったキュービットとどのように関わるのかという点、そして時代による変遷があるのかという点です。
いずれも悩ましい問題で、本当のことを言うと、未だに良く分からない部分もあったりします。古代エジプトの尺度については、200年ほど、ああでもないこうでもないと言っているところがありますので。
古代エジプトの絵画におけるキャノン・グリッドについては美術史家のフランカステルも触れており、和訳された論文が出版されていますので、見る価値があります。

この本にはたくさんの分析図が収められており、それを見るだけでも楽しめます。
著者の夫は大学に席を置く数学者。一緒に論文を書いたりしていますが、下記の論文は古代エジプト建築の研究においてはきわめて重要な論考。リンド数学パピルスに出てくる、ピラミッドの勾配の決定方法であるセケド(sqd = seqedあるいはseked)の概念に関する拡張を考えています。

G. Robins and C. C. D. Shute,
"Mathematical Bases of Ancient Egyptian Architecture and Graphic Art,"
Historia Mathematica 12 (1985), pp. 107-122.

残念なことに、旦那さんは数年前に亡くなってしまいました。
この本の謝辞の最後には、「結婚したばかりの時に、夫から古代エジプトの尺度について聞かれ、それを契機にイヴァーセンの本を読み直すことになった。本書を夫に捧げたい」と記してあります。

カラー写真をたくさん収めた古代エジプト美術史の本も、彼女は大英博物館から出しています。これは欧米の大学で教科書あるいは副読本として広く学生に読まれているはずですから、持っていて損はありません。

Gay Robins,
The Art of Ancient Egypt
(British Museum Press, London, 1997)
271 p.

2009年1月1日木曜日

Gardiner 1935


古代エジプトにおける「夢」と言えば、トトメス4世の「夢の碑文」が有名。ギザの大スフィンクスの前足の間に立てられている大きなステラに、その内容が刻まれています。
当時は王子であったトトメス4世が大スフィンクスの傍らで寝ていた時に、「砂に覆われている自分(=スフィンクス)を掘り出してくれるならば、エジプトの王にしてやろう」というお告げを夢に見たという逸話。
王の継承権を正当に継いでいるかどうかが、当時どのように考えられていたか、それを端的に示す文字資料として知られており、しばしば参照がなされています。

夢占いのパピルスというのも一方で残っていますが、不思議なことにはこの文字資料に強い興味を示す人はあまりいないように思われます。
本書は碩学ガーディナーによる、世界最古の「夢の書(夢の本、あるいは夢占いの本)」として知られているチェスター・ビッティ・パピルスの読解などを含んだもの。ヒエラティックをヒエログリフに書き直し、英訳を添えたものです。原典は中王国時代にまで遡るとのこと。

Alan H. Gardiner,
Hieratic Papyri in the British Museum, Third Series:
Chester Beatty Gift, Vol. I, Text
(The British Museum, London, 1935)
xiii, 142 p.

各文章は短く、いずれも決まり文句の

「夢のなかで・・・・・を見たら、」

という書き出しで始められます。
日本語で、ある程度の訳もなされています。下記の本ではデモティックによって記された後の時代の「夢の書」についても同時に触れられており、概要を知るにはこちらの方が便利かもしれません。夢の解釈は、時代を超えて共通しているという興味深い話が展開されています。
没後も稀代のドイツ文学者として今なお人気の高い、種村季弘の著書です。

M. ポングラチュ/I. ザントナー著、
種村季弘・池田香代子・岡部仁・土合文夫訳、
「夢の王国 -夢解釈の四千年-」
(河出書房新社、1987年)
viii, 408 p.

それぞれの夢に吉凶が記されており、例えば家に関する夢については以下の通り。

「夢のなかでおのれの家を建てるのを見たらーーー凶、不快な言葉が身に迫る。」
「夢のなかでおのれの家が揺れるのを見たらーーー凶、病災あるの前兆。」

当方の専門である建築に関しては、いずれもあまり良いことが望めないようである点が甚だ残念です。
今年は丑年ですので、牡牛の夢をパピルスの文中から探りますと、

「夢のなかでおのれが牡牛を殺すのを見たらーーー吉、敵は殺されるであろう。」
「夢のなかでおのれが牡牛の群を牛舎に入れるのを見たらーーー吉、神は彼のために人を集めてくださるであろう。」

と記されていました。
初夢には是非、牡牛の夢を見ていただくことを願っています。

古代エジプトの夢に関して近年書かれた包括的な論考は

Szpakowska 2003

で、重要です。

2008年12月31日水曜日

Gardiner 1957 (3rd ed.)


ここ20年ほどの間に、何冊も古代エジプト語、つまりヒエログリフの文法書が海外で出版されています。HochやAllenの書いた文法書は、アメリカの大学で教科書として扱われているのではないでしょうか。吉成薫先生、秋山慎一先生、永井正勝先生といった方々により、日本でも本格的な文法書が数冊刊行されている点は非常にありがたい。
でも下記のガーディナーの本は時々振り返るべきもの、ということになるかと思います。

Sir Alan H. Gardiner,
Egyptian Grammar: Being an Introduction to the Study of Hieroglyphs
(Griffith Institute, Oxford, 1959. 3rd ed., revised. first published in 1927)
xxxvi, 646 p.

C. H. ゴードンは有名な「古代文字の謎:オリエント諸語の解読」(津村俊夫訳、現代教養文庫988、社会思想社、1979年)の中で、ガーディナーのこの本に言及しており、

「標準的なテキスト・ブックとしては、アラン・ガーディナーの『エジプト語文法』があるが、この本は多くの点で驚くべき本である。初級者向けの本として、エジプト語より英語へ、英語よりエジプト語へ、と累進的に練習問題をのせている。そして、それは、文法のトピックごとに各課にわけられており、全分野の文学作品からの抜粋を豊富に扱って、例をあげつつ説明をしている。その語彙集は大切なものであるが、注釈付きの徹底的な記号表はさらに不可欠なものである。初歩的なテキスト・ブックとして書かれたものが、ついにはエジプト学のバイブルになったのである。ガーディナーの『文法』を学ぶことは、エジプト語に習熟するための基礎である。どんな学者も、いかに上級にまで進んだとしても、この本を不要とするようになることはない」(p. 61)

と、最大級の賛辞を寄せています。
ガーディナーのこの本の読みにくさや、練習問題に解答欄が設けられていない不便な点については吉成薫先生が書いておられました。しかしゴードンが書いているように、記号表はきわめて有用。ガーディナーのサイン・リストについては秋山慎一先生が拡張版を出されていますが、原点はやはりこの本と言うことになります。

説明の仕方がもう古い、という批判があるかもしれません。海外で近年、文法書が複数出ているのはそのためですが、でも永井正勝先生にとっては、それらの最新刊でさえ、欧米の限定された考え方に囚われている、不都合な点がいっぱいある説明のしかたなのだ、ということになるかと思います。

永井正勝
「必携 入門ヒエログリフ -基礎から学ぶ古代エジプト語-」
(アケト、2002年)、(iv), 118 p.

が出ていますので御参照ください。
永井先生が開設されているブログ、

http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/

でもエジプト語に関する情報が参考文献とともに多数紹介されており、貴重。

日本人がエジプト学をやる利点を発揮できる分野は、少なくとも3つあるのではないかと心ひそかに考えています。碑文学、宗教学、建築学の3つです。欧米の発想と違った考え方が提示できる可能性が、そこにはあるように思われます。

Moiso (ed.) 2008


イタリアのエジプト学で活躍したE. スキアパレッリに関する書。
たくさんの人が原稿を寄せていますが、S. Donadoni, S. Curto, M. C. Guidotti, A. Rocatti, A. M. Donadoni Roveri, S. Einaudiなど、いずれもこの国で知られている人ばかりです。
この国のエジプト学は女性が牽引している側面があり、上記のグイドッティはフィレンツェ考古学博物館の館長、アンナ・マリア・ドナドーニ・ロヴェリは前トリノ・エジプト博物館の館長。トリノ博の現館長であるエレーニ・ヴァシリカ、またピサ大学のエジプト学を率いているエッダ・ブレスキアーニも女性です。グイドッティのところには小さな子供を連れて調査に行ったり無謀なことをした時も、親切に受け入れてくれたりしました。

Beppe Moiso (a cura di),
Ernesto Schiaparelli e la tomba di Kha
(Adarte, Torino, 2008)
330 p.

「エルネスト・スキアパレッリとカーの墓」という題の本で、学者たちを輩出した彼の家系図が掲載されていたり、発掘途中のデル・エル=メディーナ(ディール・アル=マディーナ)の写真、また発見されたカーの墓内に遺物が並んでいる写真など、貴重な資料が豊富です。Schiaparelli 1927のところで書きましたが、一族の中では天文学者ジョヴァンニ(ジョバンニ)・スキアパレッリが有名。ファッション・デザイナーで一世を風靡したエルザ・スキアパレッリも親戚。

1902年から1920年までの間の、彼が率いたイタリア隊による発掘調査の経緯も纏められていて、ここの部分があるいは最も重要かもしれません。
1905年から1906年にかけてはアシュート、デル・エル=メディーナ、女王の谷、カウ・エル=ケビール、アシュムネイン(ヘルモポリス)、ヘリオポリスなど、多数の地域を手がけていたことなどが分かり、この点は知りませんでした。彼の野帳も掲載されています。

「スキアパレッリの仲間たち」というページも設けられており、興味深いのですが、参考文献の欄にはイタリアで刊行された関連論文が並んでいるなど、これもまた重要です。もちろん、スキアパレッリの経歴も充分に紹介されています。

イタリアにおけるエジプト学の様子を垣間見ることのできる本です。
イギリスでピートリーに関し、こういう本が出ているかというと、伝記が近年出たばかりであるはず。例えば、フランスにおけるシャンポリオンの位置づけと同じなのだと考えると、理解がしやすいのかもしれません。本国で大切に考えられている研究者なのだということが良く了解されます。

トリノ・エジプト博物館がこれまで刊行しているカタログがリストとして挙げられている(p. 310)のも便利。これはカイロのエジプト博物館から出されている"CGC"と似た名称の、"CGT"として知られているシリーズですが、現在では入手するのが非常に苦労するものもいくつかあります。

ローリング 2007


ハリー・ポッター・シリーズの最終巻です。面白かった。
実は他の書評をまだ読んでません。7月下旬のエジプトへの出国日がちょうど刊行日で、成田空港で2冊を買ったものの、帰国後にようやく読了。

J. K. ローリング作、松岡祐子訳
「ハリー・ポッターと死の秘宝」、上下巻
(静山社、2008年)
565 + 565 p.

原著:
J. K. Rowling,
Harry Potter and the Deathly Hallows, 2 vols.
(Bloomsbury Publishing, London, 2007)

シリーズの第1巻が出た時からこの作品にはそれまでのファンタジーの読み手からの異論が強く、3大ファンタジーである「指輪物語」、「ナルニア国ものがたり」、「ゲド戦記」と比較されたりで、厳しい意見も出ていたように感じられます。でもこの作者の高い力量は一目瞭然で、長い期間を通じ、しかも映画化が同時に進行するというとてつもないストレスを受けつつ、良く書き通せたなという思いがします。
どんでん返しに次ぐどんでん返しを、普通は7回にもわたって完遂できるものではありません。並の才能ではない。ルイスによるナルニア最終巻「さいごの戦い」を彷彿とさせるこのシリーズの最終巻でも、終章近くのヴォルデモートとの一騎打ちの前に、死んだはずのダンブルドアとの対話を挿んだりと、構成がしっかり考えられていて感心します。「分霊箱」、あるいは魔法の杖は本当は誰に仕えるのかというプロットも素晴らしい。

少年少女向けの本に色恋沙汰、あるいは性的な場面を交えるのはいかがなものか、という誰もが何となく思っていた点についてはル・グウィンの「ゲド戦記」の4巻目で、嵐のような論議が巻き起こされました。しかし、それももう古い話です。この巻の最後のポッターの落ち着き先に文句を言う人がいるでしょうけれども、こうした終わり方は悪くない。というか、どんでん返しを最後まで繰り返した結果、このような落ち着いた終章「十九年後」を選び取るしかなかったのではないかと推測されます。

このシリーズではヴォルデモートが饒舌であることに失望した人も少なくないかと思います。確かに大作の「指輪物語」では、サウロンがしゃべるのはあの非常に長い物語の中で、たったの二言三言しかありません。それだけ悪と言う存在の描き方が巨大であったわけです。
「叩き上げの悪人」という親近感がある点は、しかしヴォルデモートの魅力にも繋がります。この悪人も、けっこう苦労してるんだと思わせるところがすごく面白い。映画の「スター・ウォーズ」に登場する皇帝と同じ側面がある。
太字や斜体字、感嘆符など、活字上の目障りな効果の多用に辟易し、離れていった読者もいるかと推察されますが、でもこれらは単に、今日の文学表現における些末的な工夫と見ればいいかと感じます。

3大ファンタジーにこの長編を加え、では4つの中ではどれが一番なのかと聞かれたら、「指輪物語」にも「ナルニア国ものがたり」にもそれぞれ愛着がありますが、個人的にはやはり「ゲド戦記」でしょうか。
前にも記した通り、学校の解体というモティーフが含まれていて、僕はル・グウィンの作品を高く買っています。長年にわたり書き続けてきた内容を壊すというモティーフ、その創作の意図に興味を惹かれます。

Eaton-Krauss 2008


イートン・クラウスによるトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)の玉座や椅子などの報告書。1980年代から予告されていた本が、ようやく出版されました。
全体は3つに分かれており、最初に玉座、次に椅子と腰掛け、最後に足置き台が扱われます。ただ文章量は均等ではなく、最初の4つの玉座を記した部分だけで、本文の半分以上を費やしています。
カラー図版が一枚もない点は残念。その代わりに、日本で開催されたトゥトアンクアメンの展覧会のカタログのカラー図版まで紹介されており(p. 63, note 9)、この学者が万遍なく目を光らせていることがうかがわれます。

M. Eaton-Krauss,
incorporating the records made by Walter Segal,
The Thrones, Chairs, Stools, and Footstools from the Tomb of Tutankhamun
(Griffith Institute, Oxford, 2008)
224 p.

建築家が実測して残した図面を報告の中に組み入れているのが特色です。このために各部の実寸値が分かり、例えば黄金の玉座の場合には全高が 104.0 cm、幅が53.0 cm、座の高さが51.7 cmであることが了解されます。古代エジプトで用いられた王尺の52.5 cmを意識して造られたことが一目瞭然で、35ページにはキュービット尺との関連が確かに書いてある。
でも深くは立ち入っていません。家具とキュービット尺との関わりの問題には、もう少しデリケートな議論が必要で、それを熟知しての対処。今後の詳しい検討が望まれるトピックです。

報告書を書き慣れた人の本だから、いろいろな目配りがされていることに気づかされます。たった30ぐらいの遺物しか紹介していない本なのに、コンコーダンス(遺物番号対照表)が4つも掲載されていますが、これはカイロ博物館での展示番号とJE登録番号、及びH. カーターによって振られた遺物番号がばらばらであるための処置。丁寧と言えば丁寧ですけれども、形式にとらわれ過ぎたやり方と見ることもできる箇所かもしれません。
ページネーションについては冒頭から図版掲載ページまでを通しで振ったり、見やすくする工夫がなされています。これは近年の出版形態に合わせたやり方ですが、一方でプレート番号に関しては相変わらずLXXXIV、などと記しています。

家具に白く塗料を施すことの説明に一節を設けるなど、家具をよく見ている人だという印象が残ります。詳細な註が付されており、玉座に触れている章だけでその数は150を超えます。河合望先生の論文が引用されている点にも触れておきましょう。
Svarthという人が古代エジプト家具を模型で造って紹介している綺麗な本があるのですが、不正確な点を挙げています。でもSvarthの本は、もともとそういう厳密なことをめざした本ではないし、この指摘はちょっと可哀想。

最後に扱われている箱が、はたして本当に足置き台かどうかは疑問なしとしません。運搬用と言われる取っ手が両脇についており、何に使われたのか、想像するのが楽しい遺物です。
古代エジプトの家具を扱った専門書の中で、重要な位置を占める重厚な内容の報告書。

EA (Egyptian Archaeology) 33 (2008)

EAの最新号。イギリスのEgypt Exploration Society(EES)が年に2回、発行している紀要です。カラー写真がふんだんに掲載されており、たいへん見やすく造られている薄手の雑誌。

Egyptian Archaeology (EA): Bulletin of the Egypt Exploration Society,
No. 33 (London, Autumn 2008)
44 p.

商業雑誌ではなく、学術団体がこのようにカラーページを豊富に用いる紀要を出しているというのはエジプト学では珍しい。ウェブサイトの拡充にも努め、また電子メールでニューズレターを送るようにもしました、と冒頭で触れています。EESの正規の年会費は57ボンドですから、10000円を超えますが、学割もあります。数年前から会費をクレジット・ カードで決済できるようになりました。

ロードス島で開催された第10回目のInternational Congress of Egyptologists(ICEと略記されます)の報告がまずあって、これはエジプト学者が数年に一回、世界中から集まってくる特別な祭典なので、1ページ半を充てています。

次に掲載されているのはアマルナ王宮のコム・エル=ナーナについての論考で、アメリカの大学の博士課程の学生が執筆しています。たいへん微妙な書き方をしていますが、現地におけるごく一部分の精査をおこなうことによって、この施設の名前を解明する文字資料を見つけ出しており、ケンプの推量が正しかったことが証明されています。発掘をおこなう調査隊長ではなく、成果を学生が単名で発表しているわけで、見えないところでのケンプやEESの後推しが感じられる内容。
書かれていることにはことさら新しい情報はないのですが、発表形式が面白かった。つまりケンブリッジ大学を退任したケンプやEESが、これからアマルナの発掘をどうやっていくつもりなのかが、ここでは暗示されているように思われます。

Notes and Newsの欄の最後では、世界のエジプト学者たちの異動をさらっと知らせており、こんなコーナーが設けてあるのも興味深い。イギリス人のウィットなのかもしれません。エジプト学の講座は狭くなりつつあって、数少ない研究教育機関の席を世界中の学者が、もう国籍などは関係なく、奪い合う状況なのだと言うことが良く了解されます。

フランス隊によるタポシリス・マグナの発掘報告では、図面表現の美しさに目を奪われました。錯綜する地表面の遺構、そして地下の諸室の様子をどのように描き分けるかが工夫されています。影を落として立体感を出しているのもうまい方法。
カスル・イブリムから出土したサンダルなどの提示も、非常に上手で感心しました。片方の足は足裏を地面につけていますが、もう一方の足はつま先立ちにしており、これによって履き物の裏面の状態も明瞭に見せ、復原された履き物の様子が良く了解されます。

書評の欄ではケイト・スペンスがローマーの"The Great Pyramid"を評しています。ローマーの提案しているクフ王のピラミッドの断面計画案には異論を呈しており、この評者は建築的な問題点をやはり良く分かっている人だという印象を受けました。僕も基本的にこの考え方に賛同します。
スペンスはセセビにおける調査を試みている研究者。セセビはアクエンアテンによる遺構があることで知られています。
彼女の博士論文は古代エジプト建築の向きについて纏めたもので、数年前にはピラミッドに関する論文をNatureに投稿し、注目を浴びました。

2008年12月30日火曜日

Dodson and Ikram 2008


古代エジプトの墓を包括的に扱った初めての新刊書。数千年にわたる歴史の中で、墓の造り方がどのように変わっていったのか、また身分の違いでどの程度、墓の形式が異なるのかを通覧しています。

Aidan Dodson and Salima Ikram,
The Tomb in Ancient Egypt:
Royal and Private Sepulchres from the Early Dynastic Period to the Romans
(Thames & Hudson Ltd, London, 2008)
368 p., with 402 illustrations, 28 in color

序文でも触れられている通り、これまでは墓のタイプや時代ごとに述べられることが多く、全部を通じて語る試みはありませんでした。この意味では確かに画期的です。

死後の世界を重視した古代エジプトでは、墓というものはたぶん特別で、まず支配者によって凝った造りがなされました。その後に展開を遂げ、出土例も増加し、形式も数多くて豊かであったから、エジプト学ではおそらく最初から形式や時代によって別々に研究が開始されたと思われます。
これは、ピラミッドをやる人はピラミッドを調べるだけで精一杯だし、新王国時代の王墓の研究者は王家の谷に専念し、また私人墓をやる人はそれにかかり切りになるということを意味します。

この枠組は今日でも相当に強固で、それを乗り越えようと試みた本なのだと言えないこともない。テムズ&ハドソン社からは、すでに「コンプリート」シリーズが何冊も出ていますから、その延長上の企画という位置づけもあります。
ここでは時代として初期王朝からグレコ・ローマン時代まで、また形式としてはマスタバから始まって、ピラミッド、サフ墓を含む岩窟墓、空墓(セノタフ)、シャフト墓、神殿型貴族墓(トゥーム・チャペル)、その他一切合切の墓がヌビア地域をも含め、全部まとめて出てきます。

欲を言うならば、雑駁な印象がどうしても拭い難い。相互の連関が強く打ち出されていないからであるように感じられます。
新しいことが書かれていない、という不満を感じる向きが多いのでは。古代エジプトにおける墓の平面図が全部見たかったという期待も裏切られます。

しかし古代エジプト建築で葬祭建築を扱うとなると、これまで見つかっている遺跡の半分以上に言及せざるを得ないわけで、その線引きと、基本的な構成案との双方に難があったのではないかと疑われます。膨大な情報量の既往研究に、溺れかかっているようにも思われます。
入門書として活用されるべき図書。
書評がEgyptian Archaeology 34 (Spring 2009), p. 41に出ました。

糸井(編) 2007


アーシュラ・ル=グウィンによるファンタジーの代表作「ゲド戦記」へ誘うために作られた小さな冊子。無料で配布されました。
直接には「広告としての役割」を負った本で、良く考えるとこの書籍(?)は奇妙な存在です。

糸井重里(プロデューサー)
中沢新一、宮崎駿、河合隼雄、清水真砂子、上橋菜穂子、中村うさぎ、佐藤忠男、宮崎吾朗
「ゲドを読む。」
(ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
 ブエナ ビスタ ホーム エンターティメント,2007年)
非売品。206 p.

中沢新一による解説「『ゲド戦記』の愉しみ方」(pp. 13-59)がとても良い。特に「ゲド戦記」の第4巻の扱いが非常に上手で、秀逸です。
長い間隔を置いて発表されたこの4巻目に対しては、「がっかりした」、というような感想が寄せられることが多いかもしれないのですが、そうした反発は実は大したことではないのだという見方がなされており,作者ル=グウィンが本当にやろうとしたと思われるモティーフが見据えられています。

3冊が刊行された後、20年近くの歳月を隔てて書かれたこの4巻目と,さらに10年以上を経て出版された5巻目がなかったら、この作品は凡庸なものに終わっていたに違いないという解釈が,文章でははっきりと書かれていないのですが、ここではなされていると思います。
自分の書き継いで来た世界を、4巻目と5巻目は壊そうともくろんでおり、そのためにだけ2冊が後に書き加えられたといった見方には興味が惹かれます。
表現というものの本質がここでは問われている、そう考えて良いかもしれません。
レヴィ=ストロースではないけれども、「女性とは何か」、そういうこともこの4巻目と5巻目における読解では問われています。大地と結びついた女性と、そこへ降り立った名うての魔術師が魔法の能力の一切を奪われる、という対比の鮮やかさ。

最終の第5巻では、魔法学校であるローク学院の存在意義が疑われる格好になって終わっており、個人的にはここも面白かった。「学校の解体」に鋭く反応してしまうのは,ただの職業病。
6巻目の「外伝」にも,佳作が集められています。小さな断片がいくつも散らされて、本編との間に無数のものがたりが展開していることを想像させます。

映画を見に来る人たちを増やすことだけを狙ったのではない、巧みな導入を図った小冊子です。

2008年12月29日月曜日

Goddio 2007


ヒルティ財団から研究資金を得てなされたエジプト・カノープスにおける水中考古学調査の報告書。ロゼッタ・ストーンが見つかったことで知られているロゼッタと古都アレキサンドリアとの中間地点にカノープスは位置しています。
この町についてはストラボンによる記述の中にうかがわれ、そこではヘラクレスを祀った神殿「ヘラクレイオン」にも言及されています。

フランク・ゴディオが率いるアレキサンドリアの海中調査に関しては、すでに広く知られているところ。このカノープス地域における調査も大がかりで、対象となる海域が 約110平方キロメートル、と記しています。1990年代の初頭から予備調査が始められ、長い年月にわたる調査ですけれども、もちろんこのような広さの海底全部を潜って精査できるはずもなく、最新の探査機器やGPSなどが駆使されています。
2009年の6月、ゴディオ隊による調査の成果は横浜において「海のエジプト展」として公開され、そこでは多様な遺物とともに大画面に映し出される映像も見ることができるとのことですが、おそらくはここに記された内容が中心のひとつとなるはず。

Franck Goddio,
Underwater Archaeology in the Canopic Region in Egypt:
The Topography and Excavation of Heracleion-Thonis and East Canopus (1996-2006).
Oxford Centre for Maritime Archaeology (OCMA): Monograph 1
(Institute of Archaeology, University of Oxford, Oxford, 2007)
xvi, 136 p.

Contents:
Chapter 1: Introduction: The Canopic region - presentation of the project
Chapter 2: The ancient topography of the Canopic region - East Canopus
Chapter 3: Heracleion

朝日新聞社による「海のエジプト展」の 公式ページは、

http://www.asahi.com/egypt/?ref=recc


となります。
カラー図版がふんだんに盛り込まれた贅沢な作りの報告書で、ほとんど全ページにカラー図版が挿入されているといっても過言ではありません。海底における等高線が作成され、そこに遺物が書き込まれるという基本的なシステムが組まれています。

かつては陸地であったカノープスの町は、その後、海の底に沈んでしまいました。その復元をこの巻ではおこなっています。
注目される遺物は鉛などで造られた船のアンカーで、これが深い場所から相当数、見つかっています。この情報を元に、昔は船が行き来していた運河や水路の領域が大まかに特定され、等高線と重ね合わせて考えるならば、どこに往時の海抜があったのかを推定することができます。沈んでしまった陸の輪郭を描き出す作業がおこなわれたら、石材が散らばる建物址も見つけ出されていますから、島に建っていた神殿の位置も割り出すことができるという過程を踏んでいます。
「海のエジプト展」において提示されるこの都市の復原では、こうした考察の流れを経て復原されているのだと考えると判りやすい。

ヘラクレイオンの建材、石碑(ステラ)、彫刻像、その他の出土遺物が多数のカラー写真とともに紹介されていますし、報告書としては非常に分かりやすい書き方がなされています。
研究資金面で協力しているヒルティは小国リヒテンシュタインの会社で、土木建設業を主とし、現在では世界中に支社を構えています。民間から資金を得、学術的にはオクスフォード大学からの強力なバックアップを背景に出版された本。

Janosi (ed.) [Festschrift D. Arnold] 2005


古代エジプト建築研究の碩学、D. アーノルドへ向けた実質的な献呈論文集。でも体裁は風変わりで、書名にはそのことが副題にもまったく明記されていません。
歪んだ部分を含む本と言えないこともない、いろいろな意味で興味深い書です。

Peter Janosi (ed.),
Structure and Significance: Thoughts on Ancient Egyptian Architecture.

Osterreichische Akademie der Wissenschaften,
Denkschriften der Gesamtakademie, Band XXXIII.
Untersuchungen der Zweigstelle Kairo des Osterreichischen Archaologischen Institutes;
Herausgegeben in Verbindung mit der Kommission fur Agypten und Levante der Osterreichischen Akademie der Wissenschaften von Manfred Bietak, Band XXV
(Verlag der Osterreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien, 2005)
xviii, 555 p.

本当は、この本を紹介するタイトルには単に、

(Festschrift D. Arnold) 2005

とか宛てればいいのかも知れないとか迷いましたが、それを逡巡させる何かがこの厚い本の構成の中にはあります。編集者のP. ヤノシの名を書誌として挙げたのはそのためです。
上記の書誌がとても長くなっているのは、ドイツ語系の刊行物でしばしば良くある話。ここではオーストリアにおける研究機関による刊行のシリーズ名が重なっているためです。

献呈論文集、あるいは記念論文集(Festschrift)とはそもそも何か、ということがあります。
普通は、これまでその先生にお世話になり、指導を受けてきた門下の研究者たちが本の企画をおこなって、各自の論考を新たに執筆し、それらを集成して取り纏めるという経緯を辿ります。
しかしこの本の場合は奇妙で、どういう訳か、アーノルドの奥さんによる最初の論文が一番長い。何と、70ページも書いてます。
本の目次の順番は幸か不幸か、姓のアルファベット順なので、アーノルドの奥さんの次にはアーノルドの息子フェリックスの論考が並んでいます。この両者による論文だけで100ページを超える。

まあ、普通は姓名の順であることが多いので、仕方がないところはあるかもしれない。
しかし僕はこれまでの中において、「フェストシュリフト」で家族による執筆論文が本の冒頭を飾り、しかもその分量が全体の1/5を占めるという本を、この20数年の間で初めて目にしました。たぶん、前代未聞だと思います。

で、アーノルド本人のbibliography、すなわち彼がこれまで何をやってきたのかという研究業績の紹介というものもまた、この本には一切、掲載されていません。

「皆さん、よく御存知でしょうから」

などと、編者のヤノシは序文にて、さらっと書いてます(!)。
こういう事態も献呈論文集としては、すごく珍しい。結局は、古代エジプト建築に知悉するごく少数の人間同士が読む本なんだから、ということを考えた末なんでしょうか。
個人的な興味としてビータックとカルロッティの論文には、大いに惹かれました。とても面白い。

編者のP. ヤノシは近年、盛んに重要な出版物を重ねている人物です。古王国時代の建築、特にピラミッドを詳しく知りたいという人ならば、この研究者の本に目を通すことが欠かせません。
本書は古代エジプト建築に関して興味を持っている人にとって、10年に一度出るか出ないかという貴重な刊行物。