早大の研究所に出向き、また本を見せてもらいましたが、アブ・ラワシュ(もしくはアブー・ロワシュ)に残存するラージェドエフ(ジェドエフラー)王のピラミッドの報告書が面白かった。文章編・図版編の2巻本から構成されている2011年に出た書物です。
上部が大きく失われ、もはやピラミッドの基部しか残されていないピラミッドの残骸ですが、丹念に発掘調査を進めた結果、複数回にわたる建造過程を明らかにしており、とても面白い読み物になっています。
かなり損なわれている遺構なので、どこまで復原できるのか、調査者の力量が問われるところ。これに対して積極的に応えるべく、CGを駆使したカラー図版の復原図を交えながらさまざまな検討をおこなっています。
勾配はギザにあるクフ王のピラミッドと同じで52度。また四角錐を呈するピラミッドの外装は基本的に真っ白な石灰岩ですが、最下層の数段にだけ赤い花崗岩が仕上げ材として積まれた姿が復原されています。
これはカフラー王のピラミッドでも見られる目立った特徴。
Michel Valloggia,
avec des annexes de José Bernal et Christophe Higy,
Abou Rawash I: Le complexe funéraire royal de Rêdjedef.
Étude historique et architecturale, 2 vols (texte et planches)
Fouilles de l'IFAO 63.1 et 63.2
(Institut Français d'Archéologie Orientale [IFAO]: Le Caire, 2011)
Texte: xii, 148 p.
Planches: (iv), 212 p. (307 figs.)
Texte: Table des matières
Preface (vii)
Avant-propos (ix)
Introduction (p. 1)
Première partie: Le complexe funéraire royal
Chapitre I: Les éléments des superstructures (p. 25)
Chapitre II: La pyramide royale (p. 39)
Chapitre III: Les aménagements périphériques (p. 51)
Deuxième partie: Survivances et réoccupations du site
Chapitre IV: Survivance du toponyme et du culte funéraire royal (p. 81)
Chapitre V: Les installations postérieures à l'Ancien Empire (p. 83)
Conclusion (p. 87)
Annexes
I. Relevés topographiques du site archéologique d'Abou Rawash, par Christophe Higy (p. 91)
II. Étude des niveaux d'implantation et de construction, par José Bernal (p. 93)
III. Investigations géophysiques (p. 125)
Table de concordance entre l'inventaire IFAO et le Conseil Suprême des Antiquités de l'Égypte (p. 128)
Bibliographie (p. 131)
Indices (p. 139)
Table des matières (p. 145)
上記は文章編の目次を抜粋したものであり、細項目は適当に割愛しました。図版編の目次は挙げません。
「目次」の中に目次そのものが項目として含まれることはあまりないと思われるのですが、ここではそれが行なわれています。従来の書物を目にしてきた者からは、たいへん奇異に映ります。なお、これは仏語文献なので、目次は本の最後。
「本」というのは独自の構成によって成り立っており、特に「目次」は上位概念によってその本の全体をあらわそうという箇所ですから、英語・独語等の書籍では本文と切り離して前の場所に置かれ、同時に本文とは異なるページネーション(本文では1, 2, 3, 4, ...;その前の部分では、i, ii, iii, iv, ...。印刷方法が活字とは異なって、本文の後に置かれることが多い図版の番号ではI, II, III, IV, ...)が振られることになります。従って「目次」の中に目次を記すという、上位概念に下位の概念を混交する行為は通常なされてきませんでした。概念の水準に従った線引きがあったということです。
意欲的な本であることには間違いがないのですけれども、ああもしかしたらあまり報告書の類を書き慣れていないのではと思わせるところは他にもあって、たとえば
「治世第1年、ペレト期第3月…」
というグラフィートが発見されており、これは偉大なクフ王の後に王位を継承した第4王朝の権力者が、王になったとたん、ただちにピラミッドの建造に着手したことを明瞭に示すとても貴重な文字史料であるはずなのですが、これを報告している文章編のp. 48では
"An III, 3e mois de per(et)..."
と誤訳しており、図版編のFig. 178でうかがわれるインスクリプションの内容とは齟齬を呈します。一方でその前のページでもこのインスクリプションに簡単に触れているのですけれども、そこでは「治世3年」ではなく、正確に「治世1年」と記しており、重要な説明の場での誤記は残念。
図版編の中では、ちょっと唐突に感じられるトランスクリプションの引用。
復原図で下降通路の上に断面が三角形の空隙が設けられているのも興味深い。この話題は2012年7月23日にEgyptologists' Electronic Forum (EEF) にて投稿された、メイドゥム(マイドゥーム)のピラミッドで見られる下降通路の上部の空隙と一緒です。
Gilles Dormion and Jean-Yves Verd'hurt,
"The Pyramid of Meidum, Architectural Study of the Inner Arrangement."
8th ICE, Cairo, 28th of March - 3rd April, 2000
http://www.egyptologues.net/archeologie/pyramides/meidum.htm
Cf. Jean-Yves Verd'hurt and Gilles Dormion,
"New Discoveries in the Pyramid of Meidum,"
in Zahi Hawass ed., in collaboration with Lyla Pinch Brock,
Egyptology at the Dawn of the Twenty-first Century:
Proceedings of the Eighth International Congress of Egyptologists, Cairo, 2000. 3 vols.
(The American University in Cairo Press: Cairo, 2003),
Vol. I, pp. 541-6.
斜路の勾配の決定方法の考察はもっと進められるべきです。それはセケドの概念の拡張に繋がると思われますから。
ピラミッドの一辺が203キュービットで、また外周壁に穿たれた北門とピラミッドの北縁との距離が同じ203キュービットというのも注意を惹きます。なぜ完数の200キュービットちょうどではないのか。
27ページでは、3-4-5の比例を有する "triangle sacré" に
ピタゴラスの定理によって定まる直角三角形のうち、これはもっとも有名な3:4:5の「聖三角形」で、「正三角形」ではないところが話題をどんどん混乱させていくわけですが、この三角形はなんと、ピラミッドの断面図へ適用されているものではなく、ピラミッド外周の付属施設に見られる3つの門を結ぶ直線と、南側の外周壁との平面図の位置関係の中で見出されています。壁が立ってしまえば3つの門の位置が見通せるわけでもなかった平面図における作図で、3:4:5の直角三角形が適用されていたとみなすには、もう少し詳細な検討が欲しかったと思われます。
"Therefore, while it cannot be excluded that Egyptian mathematics and architecture might have used Pythagorean triplets, most notably 3-4-5, it must be kept in mind that our actual 'evidence' for this is based only on measurements of the remains of buildings, which --- as we have already seen --- may well be misleading."
(ibid., p. 793)
「自分が知っているようにしか、ものごとは見えない」という誤謬から引き起こされる異界のひとびとへの間違った解釈を避けるために、繰り返しますがエジプト学者たちはきわめて慎重です。それは知の発達というものが一体何を意味するのかという反問にも通じている、そういうことになるかと思われます。