2009年12月24日木曜日

Bierbrier 2008 (2nd ed.)


M. L. ビアブライヤーによる古代エジプト歴史事典の改訂版。全体の約2/3が事典で各項目の短い解説。これにアペンディクスとして参考文献リストなどの諸情報が加わります。
図版はほとんど掲載されていません。

Morris L. Bierbrier,
Historical Dictionary of Ancient Egypt.
Historical Dictionaries of Ancient Civilizations and Historical Eras, No. 22
(The Scarecrow Press, Lanham, Maryland, 2008, second edition. First published in 1999)
xxxix, 427 p.

すでに同じく改訂を重ねている「大英博物館古代エジプト百科事典」、つまりShaw and Nicholson 2008 (2nd ed.)の存在が強力であるため、項目説明の部分はどうしても見劣りがするかもしれません。しかし各々の説明を短くすることで、逆に項目数を大幅に増やしています。

例えば117ページから"KV"(テーベの「王家の谷」の略称)の説明が始まり、その直後の"KV1"から128ページの"KV63"まで延々と続いているのが典型。また私人名、タイトル(職名・肩書き)などをたくさん取り入れており、"High Priest of Ptah"などという項目があるのも本書の特徴。 アペンディクスAでは、紀元7世紀まで及ぶ支配者たちの人名が列記されるなど、工夫されています。ビザンティン時代の皇帝たちなどをも含んだ長いリストです。
アペンディクスBは古代エジプトの遺物を収蔵している世界の博物館の住所録。とは言え、日本の博物館はふたつしか掲載されていませんが。 そのひとつは東京の"Ukebukuro"にあるそうです。併記されている郵便番号は3桁しか無く、一体いつ頃に得た情報なのかと疑われるところ。インターネットで確認することがおこなわれていません。

311ページから最後まで続く参考文献リストに、本書の特色が最もあらわれているかもしれません。ほぼ100ページにわたって、エジプト学に関する基本的な文献が網羅されているからです。古いもの、また英語で書かれたもの以外はなるべく外されるという手続きがここでも取られていますけれども。 全体は「歴史」、「美術と建築」、「宗教」、「言語と文学」、「数学と天文学」、「科学と技術」、「博物館の収蔵品」というように20項目ほどに分けられており、最初の"General Works"ではいわゆる「総記」が扱われています。
特に"Archaeology: Excavations and Surveys"では遺構名がアルファベット順に並んでいますから、ポーター&モス(Porter and Moss (PM), 8 Vols.)の簡略版がここに挿入されているともみなされます。有用です。 膨大な文献リスト。
ただし、文献の選択眼には揺らぎが感じられ、今ひとつ中途半端な感じが否めません。重要な書籍をすべて網羅しようとした訳ではない、ということは承知されますけれども、もう一工夫があっても良かったのではないかと惜しまれます。

村上 2006


美術家の本。金儲けと美術とを直接結びつけたとして注目を浴び、また反発を覚えた向きもあったのではないかと想像しますが、しかしそのこと自体は、たぶん建築の分野ではあまり珍しいことではありません。建築というのは、基本的に人のお金で建物を造る作業ですから。
そこが個人的には面白いところです。

村上隆
「芸術起業論」
(幻冬舎、2006年)
247 p.

芸大の美術学部日本画科を出て、博士課程修了という経歴を持ちます。
日本画の世界は江戸時代からの流れを未だに脈々と汲んでおり、たとえば美術年鑑を見たことのある人ならば、そこに系統図が載っていたりしたのを御存知かもしれません。
淋派や狩野派という言葉は、まだ生きています。先生の先生の先生…というように遡ると、江戸時代まで行くということです。

長く続く伝統の良さもあるのですが、一方でこれを束縛と感じる学生も、もちろんいるかと思います。昔、芸大卒制展と東京五美大卒業制作展が合同で上野の東京都美術館にて開催されていました。芸大、武蔵美、多摩美、女子美、造形大、日芸、各大学の作品を見比べることができましたが、当時は芸大日本画科の人たち、自由に出品ができなかったのでは。

記されている内容はしかし、ブルーノ・ラトゥール「科学が作られているとき:人類学的考察」(1987年)ときわめて近い部分があるかもしれないと思わせます。そう言えば、ラトゥールの本に繰り返し出てくるヤヌスのふたつの顔と、この本の装丁はそっくりです。
心を打つものを制作すれば、それは自然に注目されるようになるという考え方を真っ向から否定していますが、これは、学問において真実を発表すれば必ず広く認められるという大きな誤謬を突くラトゥールの考え方と酷似しています。

起業という言葉に鋭く反応するよりも、ここでは現在という時代における回路の積極的な恢復がめざされているのだと考えた方が分かりやすいと思われます。「ほんとうのこと」が今日では深く疑われており、それに対する過激な、また現実的な処方箋が提示されているのだということです。
本人がそれを実践しているのだから、説得力がある。

著者が芸大に提出した博士論文が「意味の無意味の意味」を巡る考察、というのも非常に興味深い。概念とメタ概念とを分ける考え方。
時代の空隙を見定める作業を続けている人なのだと言うことが、この題名だけでも伝わってきます。頭の回転が速い人なのだなと言うことも、同時に分かる題名の付け方です。

「です・ます」調で書かれているので、非常に読みやすい。海洋堂のプロ集団に認められていく経緯も面白いけれども、終盤のマチスとピカソとの対比がとても示唆的です。ウォーホールのやり方は分かる、という言い方にも興味が惹かれます。

Davies and Gardiner 1936


古代エジプトの絵画に関して網羅を図った代表的な著作で、第1巻と第2巻は高さが60cm以上もある大判の書籍。それぞれ50枚以上のきれいな図版を収めています。これもまたルーズリーフ形式で、各図版をバラバラにして見ることができます。全部で104枚の画集。第3巻は文章にて解説。
ニーナ・デーヴィスはエジプト学者の奥さんで、旦那と一緒にエジプトへ行くようになってから壁画の模写の仕事を覚え、有名な模写担当となりました。共同執筆者の相方は、優れた文字読みの研究者。

Nina M. Davies and Alan H. Gardiner,
Ancient Egyptian Paintings, 3 vols.
(The University of Chicago Press, Chicago, 1936)

Vol. I: I-LII Plates.
Vol. II: LIII-CIV plates.
Vol. III: Descriptive Text. xlviii, 209 p.

フランス語版も出ており、

Nina M. Davies, avec la collaboration de Alan H. Gardiner,
préface et adaptation de Albert Champdor,
La peinture égyptienne, 5 tomes.
Art et Archéologie
(Albert Guillot, Paris, 1953-1954)

はしかし、本の大きさも半分ぐらいに減じられているし、各々の巻に10枚ずつの図しか収めていません。
この2人による刊行物は他にもあって、ツタンカーメンに関するものでは

Nina M. Davies,
with explanatory text by Alan H. Gardiner,
Tutankhamun's Painted Box
(Oxford University Press for the Griffith Institute, Oxford, 1962)
22 p., 5 looseleaves.

を挙げることができ、これは長さ62cmほどの薄い木箱に入っている本。エジプト学に関する刊行物の中でも、こうした体裁はとても珍しい。
テーベの墓、アメンエムハト(TT82)についての本も彼らによるものです。夫やガーディナーたちに支えられて出版されていることが明瞭。

Nina de Garis Davies and Alan H. Gardiner,
The Tomb of Amenemhet (No. 82).
The Theban Tombs Series: Edited by Norman de Garis Davies and Alan H. Gardiner.
First and Introductory Memoir
(Egypt Exploration Fund, London, 1915)
vii, 132 p., XLVI plates.

彼女は単独で、テーベの墓の壁画についての抜粋も出しています。

Nina de Garis Davies,
Private Tombs at Thebes IV:
Scenes from Some Theban Tombs (Nos. 38, 66, 162, with excerpts from 81)
(Griffith Institute, Oxford, 1963)
xi, XXIV plates.

「エジプトの絵画」という、薄くて小さな本も1954年に執筆していますが、これはもう顧みられることが極めて少ない刊行物。

2009年12月23日水曜日

Jéquier 1911


新王国時代のテーベにおける私人墓の天井画を集めた画集。フリーズ文様も扱っています。
高さが40cmほどの本で、カラー図版を印刷したルーズリーフ形式をとり、バラバラにして見比べることができます。
古くはオーウェン・ジョーンズによる名高い「装飾の文法」(Owen Jones, The Grammar of Ornament. Messrs Day and Son, London, 1856)でも、古代エジプトの天井画とおぼしき文様がカラーで見られますが、ここではもう少し詳しく紹介がなされているのが特色。
お墓の天井画を集めようとしている本というのはなかなかなくて、この他にはElke Roik, Das altägyptische Wohnhaus und seine Darstellung im Flachbild, 2 Bände(Peter Lang, Frankfurt am Main, 1988)などがあるのみですけれども、Roikのこの本には残念ながらカラー図版が掲載されていません。

Gustave Jéquier,
L'art décoratif dans l'antiquité décoration égyptienne:
Plafonds et frises végétales du Nouvel Empire thébain (1400 à 1000 avant J.-C.)

(Librairie centrale d'art et architecture, Paris, 1911)
16 p., XL planches.

G. ジェキエと言えば、マスタバ・ファラオンやペピ2世の葬祭建築を扱った報告書が知られています。建築と装飾に関する資料の収集を心がけた学徒としても有名で、以下の3冊による写真集は50cmを超える高さを有し、20世紀の中葉には良く参照されました。
これもまたルーズリーフ形式で、研究者の便宜を図っていることが分かります。ただ図版はモノクロ。最近ではカラー図版を豊富に載せている本が多数出版されているので、古写真を集めた本として逆に価値が高まっているかもしれません。

Gustave Jéquier,
L'architecture et la décoration dans l'ancienne Égypte (3 tomes)
(Albert Moranc, Paris, 1920-1924).

Les temples memphites et thébains des origines a la XVIIIe dynastie
(1920)
v, 16 p., 80 planches.

Les temples ramessides et saïtes de la XIXe a la XXXe dynastie
(1922)
v, 11 p., 80 planches.

Les temples ptolémaïques et romains
(1924)
iii, 10 p., 80 planches.

主著はおそらく、以下の書。
日本建築史でいうならば、天沼俊一博士を彷彿とさせるエジプト学者でした。

Gustave Jéquier,
Manuel d'archéologie égyptienne:
Les éléments de l'architecture

(Picard, Paris, 1924)
xiv, 401 p.

2009年12月22日火曜日

Frankfort (ed.) 1929


フランクフォートによるアマルナの壁画集。王宮だけではなく、住居の壁画も掲載しています。
F. G. ニュートンを追悼した刊行物。模写を担当したニュートンのカラー作品の他、デーヴィス夫妻によるものも載っています。
現在では入手の困難な書籍のひとつ。もし今、市場に出たとしても、おそらく10万円ほどは覚悟しなければなりません。

Henri Frankfort (ed.),
with contributions by N. de Garis Davies, H. Frankfort, S. R. K. Glanville, T. Whittemore,
plates in colour by the late Francis G. Newton, Nina de G. Davies, N. de Garis Davies,
The Mural Painting of El-'Amarneh.
F. G. Newton Memorial Volume
(Egypt Exploration Society, London, 1929)
xi, 74 p. XXI plates.

Contents:

Francis Giesler Newton. A biographical note by Thomas Whittemore (vii)
Note (ix)
List of Plates (xi)
I. Francis Giesler Newton (Frontispiece)
II. "Green Room," East Wall
III. The Doves (Detail from Plate II). In colour
IV. "Green Room," West Wall
V. Pigeons and Shrike (Detail from Plate IV). In colour
VI. Kingfisher (Detail from Plate IV). In colour
VII. Three fragments of border designs: A and C, Details from Plate II; B, From east half of south wall of North-eastern Court. In colour
VIII. Kingfisher and Dove (Details from Plates II and IV)
IX. Shrike (Detail from Plate II); Vine-leaves and Olive (unplaced fragments). In colour
X. Geese and Cranes, from West Rooms of North-eastern Court of Northern Palace
XI. Goose (Detail from Plate X). In colour
XII. Various Fragments from the Northern Palace
XIII. Paintings from the Palace of Amenhotep III near Thebes
XIV. Plan of the Northern Palace
XV. Detail of flowers and fruit in Fayence and Wall-paintings
XVI. Garland designs on Mummy Cases
XVII. Ducks from House V.37.1. In colour
XVIII. Mural Designs from Houses
A. A Garland Fragment, House V.37.1
B. Frieze, Official Residence of Pnehsy
C. Garland, House R.44.2
XIX. Garland and Ducks, House V.37.1. In colour
XX. Garland and Ducks, House of Ra'nûfer
XXI. False Window Frieze, House V.37.1

Chapter I. The Affinities of the Mural Paintings of El-'Amarneh, by H. Frankfort (p. 1)
Chapter II. The Decoration of the Houses, by S. R. K. Glanville (p. 31)
Chapter III. The Paintings of the Northern Palace, by N. de Garis Davies (p. 58)

Index (p. 73)

50cmに迫る高さの本で、大判。
「グリーン・ルーム」という名で知られている部屋の壁画の詳細を見ることができます。
アマルナ型住居の彩色に関しても、この本を見ることが必要。第2章にその解説があります。関連書としてはまず、Wheatherhead 2007が重要で、この他にKemp and Weatherhead 2000Weatherhead and Kemp 2007もあります。

最後に掲げられている「疑似窓」の図版は資料として貴重。実際には外光を取り入れない、室内から見上げた時に窓のかたちに見えるように造られたニセの窓。扉だけではなく、部屋の対称位置にまがい物の窓も造られたようです。
ドイツ隊による報告書でも、カラー図版による巻頭の復原図の中で、このニセの窓の存在を確認することができます。

Ludwig Borchardt und Herbert Ricke,
Die Wohnhäuser in Tell el-Amarna.
Wissenschaftliche Veröffentlichung der Deutschen Orient-Gesellschaft (WVDOG) 91.
Ausgrabungen der Deutschen Orient-Gesellschaft in Tell el-Amarna 5
(Gebr. Mann Verlag, Berlin, 1980)
350 p., 29 Tafeln, 7 site plans, 112 plans.

とっくのとうに亡くなっているボルヒャルトの名前が著者として出されているものとしては最新刊です。アマルナ型住居に関する、もっとも詳しい図面集。

2009年12月21日月曜日

Kuentz 1932 (CG 1308-1315, 17001-17036)


"CG"は一般にコンピュータ・グラフィックスを指しますが、Catalogue Generalの略称、つまり博物館に収蔵されている遺物の目録を意味する場合が時としてあります。特にエジプト学において、"CGC"とはカイロ・エジプト博物館から出ている収蔵遺物カタログを指し、これは100年以上も前からすでに数十冊出ていますけれども、今もなお刊行が継続している膨大なシリーズ。しかし既刊分をすべて揃えている研究機関というのは、日本では皆無かもしれない。
そのうちの、オベリスクを扱ったもの。

Charles Kuentz,
Obélisques.
Catalogue Général des antiquités égyptiennes du musée du Caire (CGC), nos. 1308-1315 et 17001-17036
(Institut Francais d'Archéologie Orientale, Le Caire, 1932)
viii, 81 p., 16 planches.

博物館に収めることのできる程度のものの報告ですから、あんまり大きいオベリスクは扱われていません。報告は丁寧で、本来は各辺が等しくなるように造られるべきだったんでしょうが、実際はかなりの誤差があり、ここでは各辺の実測値が挙げられています。勾配も記されていますけれども、片側だけを測った値で、エンゲルバッハの考え方はまったく反映されていない点が興味を惹かれるところです。

CGCのうち、古いもののいくつかは今日、ウェブで見ることができます。もう入手することが困難なものも多く、古本屋ではかなりの高額で扱われていますので、こういう基本的な図書が簡単に見られるというのは非常にありがたい。下記のCGCリストはEEFの有志によって纏められているもの。

http://www.egyptologyforum.org/EEFCG.html

このCGCとは別に、20世紀の半ばに、"CAA"という出版企画も立てられました。このシリーズも、すでに数十冊の刊行がなされています。

Corpus Antiquitatum Aegyptiacarum (CAA)

というのは、世界の博物館が収蔵しているエジプトの遺物を、一定の記述項目の定めに従って順次出版しようという壮大な試みで、考えは素晴らしい。特色は各ページを綴じず、ばらばらにして読むことができることで、ルーズリーフ形式を採用しています。各遺物を見比べられるという大きな利点がここにはあります。
ただ、出版の進捗状況は思わしくなく、多くの人が見たいと考えているはずの新王国時代のレリーフや壁画片などはなかなか刊行されず、後回しにされている状況です。

もっと問題なのは、このシリーズを図書館が購入した場合、ページがなくなることを恐れて製本してしまう場合が多いことで、こうなるとルーズリーフで出版される意味がありません。不特定多数の人に公開する際に生じる盗難や攪乱などの問題の回避のため、不便な方法が選択されるという点が、ここでもうかがわれます。

2009年12月20日日曜日

Arnold 1999


古代エジプトの末期王朝からグレコ・ローマン時代までの建築を詳しく扱う本。ほとんど類書がありません。アレキサンダー・バダウィが古代エジプト建築史について、それぞれ古王国時代、中王国時代、新王国時代を述べた3巻本を書いており(Badawy 1954-1968)、末期王朝以降を扱う第4冊目の刊行が予告されていましたが、結局は出版されませんでした。
30年以上経って、それが実現されたことになります。

Dieter Arnold,
Temples of the Pharaohs
(Oxford University Press, New York, 1999)
viii, 373 p.

王別によって建物が豊富な図版とともに順次紹介されており、たとえば流されてしまって今は失われた、ヤシ柱の列柱室を前面に有するカウ・エル=ケビール(アンタエオポリス)の神殿、あるいはアルマントの誕生殿などは、コンピュータ・グラフィックスによって復原されているという具合。
計画寸法の話、木造屋根の復原考察、柱頭の装飾モティーフの配列など、怠りなく説明されています。

近年はHölblなどが出版を重ねて、グレコ・ローマン時代に関する文献も増えつつあります。

Günther Hölbl,
Altägypten im römischen Reich:
Der römische Pharao und seine Tempel.


Band I:
Römische Politik und altägyptische Ideologie von Augustus bis Diocletian, Tempelbau in Oberägypten
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2000)
v, 122 p.

Band II:
Die Tempel des römischen Nubien
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2004)
iv, 160 p.

Band III:
Heiligtümer und religiöses Leben in den ägyptischen Wüsten und Oasten
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2005)
116 p.

なども有用。
この人は1994年に"Geschichte des Ptolemäerreiches"を書いており、英訳された本、

Günther Hölbl,
translated by Tina Saavedra,
A History of the Ptolemaic Empire
(Routledge, London, 2001)
xxxvi, 373 p., 2 maps.

なども出しています。

2009年12月19日土曜日

Arnold 1991


古代エジプトの建築技術に関する、最も権威ある書。出版されてから20年ほど経ちますが、内容はさほど古びていません。

Dieter Arnold,
Building in Egypt:
Pharaonic Stone Masonry

(Oxford University Press, New York, 1991)
ix, 316 p.

序文を読むと、いろいろと考えていることが分かります。古代エジプトにおいては巨石文化が見当たらず、いきなり精巧な石造を始めたような印象があるという指摘がまずひとつ。この点は重要です。
また、他地域における建造技術についての出版物に注意を払っていることがうかがわれます。古代エジプト建築に関する本なのに、註にはミノア建築やインカ建築、また中世の建築の書籍にも触れられています。時代や地域に関わらず、石造建築の共通性を見ようとしている姿勢が示唆されています。
ただ本文においては、そうした意識はきわめて希薄。欲張りな願いですけれども、本当はクールトンの本などに言及が欲しかったところ。

中王国時代の建築は遺構例が限られることもあって、情報が比較的少ないのですが、この時代の専門家であるだけに、独壇場と言った感じ。これほど中王国時代の建築に詳しい人は今、世界にいません。
でもそれが逆に、他の時代についての記述との落差を生んでいる部分があって、この人が例えばフランス人と組んで本を出したりしたら、完璧なのにと思ったりします。フランス隊はエジプトと共同でカルナック神殿調査を永らく担当しており、その情報量は膨大です。
この本に対し、フランス側の威信をかけて出された本が

Jean-Claude Goyon, Jean-Claude Golvin, Claire Simon-Boidot, Gilles Martinet,
La construction pharaonique du Moyen Empire à l'époque gréco-romaine:
Contexte et principes technologiques
(Picard, Paris, 2004)
456 p.

で、比較すると面白い。

アーノルドのこの本の書評はいくつもすでに出ていて、それぞれベタ褒めです。しかし問題点はいくつかあるように思われます。そのひとつは建築計画について述べている章で、あまり深く立ち入って考察しているとは思われない。反論を試みようとするならば、ここら辺が問題になるかと感じられます。

註は充実しており、この本1冊を丹念に見るならば、ほとんど網羅されているので非常に有用です。ここ20年の情報は、自分で補わなくてはなりませんが。

2009年12月18日金曜日

Badawy 1965


「古代エジプト建築のデザイン」というタイトルが付けられた書。著者は古代エジプトの建築研究の分野では有名な人で、先王朝時代・古王国時代から新王国時代までにわたる、三巻に及ぶ通史を書いています(Badawy 1954-1968)。本格的な古代エジプト建築の通史を書いた、最後の研究者。
予定されていた四巻目、これは末期時代以降の建築が扱われる予定でしたが、結局は刊行されませんでした。この仕事はArnold 1999にて実現されます。
晩年に下記の本を出したのですけれども、出版から40年以上が経ち、現在はその評価を巡って意見が分かれるところです。

Alexander Badawy,
Ancient Egyptian Architectural Design:
A Study of the Harmonic System
.
University of California Publications, Near Eastern Studies Volume 4
(University of California Press, Berkeley and Los Angeles, 1965)
xii, 195 p., 1 sheet of "harmonic triangle".

黄緑色のペーパーバックで、前半は副題にも明示されている「ハーモニック・システム」を論理的に考証し、後半の図面集にて検討と分析をおこなうというもの。
「ハーモニック・システム」とは何を意味するかと言うことですが、建築を建てる前にはその平面を地面に描く作業が必要となり、その時にはどのようにして正確に直角を定めることができたかが問題となります。古代から用いられてきたのは、各辺3:4:5の長さに縄で直角三角形を構成するという作図方法で、ここまでは疑念がないと最近まで思われてきました。
これに疑問を呈したのがRobson and Stedall (eds.) 2009に論考を書いているA. Imhausen です。

この直角三角形を2つ並べ、8:5という比例を重視して、黄金比である1:1.618との近似を指摘する当たりから、だんだんと見解が分かれることになります。19世紀にはこうした当て嵌めが流行しました。
けれども、精度をより重視した姿勢、また実際の建造工程を含んだ考察方法が今では主流になっており、平面図の上で幾何学的に作図した線が合致するというような簡単な説明で説得力を得ることはできなくなっています。

本の後半に収められている多数の建築の平面分析を示す図には、でもさまざまな教唆が秘められているように思われます。
まず第一に古代エジプト建築の主要な建築図面が揃っていない今日、未だこうした図面資料の類が貴重となります。図面の縮尺を当時の尺度であるキュービットをもとにしている点も、建築計画に関して知識があった人ならではの工夫です。

透明の小さなシートに8:5の直角三角形を印刷し、それを巻末のポケットに入れています。建築の図面に直接当てて確認してください、という趣向。
ここには不特定多数の人間に、古代エジプト建築にできるだけ触れて欲しいという願いが込められていると見るべきであって、彼の元から直接には傑出した弟子が特に輩出することのなかったことを考え合わせると、また別の感慨を感じることになります。

アメリカのボルティモアにあるジョンズ・ホプキンズ大学には「アレクサンダー・バダウィ教授職」という、彼の名を冠した地位があり、これは彼の業績を記念して創設されています。バダウィは後年、アメリカに渡って研究と教育を続けました。
現在はベッツィ・ブライアン教授(Bryan 1993を参照)がその役職に就任。

2009年12月17日木曜日

Raven 2003


エジプトのトゥーム・チャペル(神殿型貴族墓)の計画方法を述べている論考で、メンフィス地域の平地に建つ新王国時代の貴族墓の平面図を分析しています。エジプト学者に対するA. Badawyの本の影響力が知られる論文。
バダウィはAncient Egyptian Architectural Design: A Study of the Harmonic System (Universty of California Press, Berkeley and Los Angeles, 1965)という本を書いていて、近年はこの考え方に対する反論が出ている状況です。バダウィの他の本については、Badawy 1954-1968などを参照。彼はArchitecture in Ancient Egypt and the Near East (MIT Press, Cambridge, 1966)なども出しています。


Maarten J. Raven,
"The Modular Design of New Kingdom Tombs at Saqqara",
Jaarbericht Ex Oriente Lux (JEOL) 37 (2001-2002) (2003),
pp. 53-69.

1. Introduction
2. The tomb of Maya and Meryt
2.1. Reconstruction of the modular grid
2.2. Dimensions of the tomb as multiples of the cubit
2.3. Analysis of the tomb as a harmonic design
3. The tomb of Horemheb
3.1. Reconstruction of the modular grid
3.2. Dimensions of the tomb as multiples of the cubit
3.3. Analysis of the tomb as a harmonic design
4. The tomb of Pay and Raia
4.1. Reconstruction of the modular grid
4.2. Dimensions of the tomb as multiples of the cubit
4.3. Analysis of the tomb as a harmonic design
5. The tomb of Tia and Tia
5.1. Reconstruction of the modular grid
5.2. Dimensions of the tomb as multiples of the cubit
5.3. Analysis of the tomb as a harmonic design
6. Conclusions

4つの墓を対象としており、例えばティアの墓は平行四辺形に歪んでいるのですが、これを長方形に直して計画格子線を推定している点など、問題の在処を良く理解して考察を進めています。基本的に外壁の内々寸法をキュービット尺の完数で押さえているという計画方法を、うまく導き出しているところが眼目。他方で、マヤの墓では第一中庭が外々寸法で計画されたと考える点を併記しており、面白い。

5:8の比例が本当に用いられたかは、今後、検討されるべき問題。本当は実測値を逐一示して、キュービットの完数値とどれだけの誤差があるのかを示す方が望ましいのですけれども、本文中に主な計寸の値を出すだけで、他の研究者が詳しく確認できない状態にあるところは残念です。
しかし、歪んで見える平面も、正しく計画格子線の上に載るようだということを説得力を持って主張しており、これは大きな成果。

最後の註には、早稲田大学の小岩正樹さんによる論考が引用されています。ダハシュールにおけるパシェドゥの墓の平面分析が参照されているわけで、この方面の研究の進展が期待されます。

2009年12月16日水曜日

Schulz 1911 (reprint 1974)


イタリアのラヴェンナに建つテオドリクス霊廟は世界遺産にも含まれていますが、この建物に関する論考。
直径が10mちょっとの円筒形をした2階建てで、装飾も控えめな小さい建物ですが、これがなぜ、石造建築の技術を扱う専門書で必ずと言っていいほど登場するのかという理由はまず、ひとつの巨大な石板から刳り抜かれて造られたドーム屋根が載っているからで、度肝を抜く造り方をおこなっています。
1階のアーチ迫り石には、目地にずれ止めのためのわずかな段差が設けられ、これも大きな特徴。2階の入口上部に見られるフラット・アーチにも同じような工夫が観察されます。この2階の入口は、日本建築で言うところの「幣軸構え」を石造でおこなっており、外側から入口を見るならば垂直材と上部の水平架構材との接合で45度の斜めの目地を呈していますけれども、内側から見れば水平の目地がとられ、垂直材の上に加工材が載るかたち。
「幣軸構え」についてはCiNiiにて検索すると、平山育男氏による論文が多数ヒットするはずです。ほとんど全部が無償でダウンロードできます。

こうした石造の「幣軸構え」は古代ローマ時代の遺構でも見られ、リビアにおけるレプティス・マグナの広場やサブラタの劇場、トルコのアフロディシアスの劇場などでも確認されます。

Bruno Schulz,
Das Grabmal des Theoderich zu Ravenna und seine Stellung in der Architekturgeschichte.
Darstellungen früh- und vorgeschichtlicher Kultur-, Kunst- und Völkerentwicklung, Heft 3
(Curt Kabitzsch (A. Stuber's Verlag), Würzburg, 1911. Reprint, Mannus Verlag, Bonn, 1974)
(ii), 34 p., mit 34 Textabbildungen und einem Titelbild.

ヘレニズム期の霊廟建築などを参照しつつ、2階部分の柱廊について考察を進め、壁体に残存する痕跡を詳細に調べて復原図を作成、これを巻頭に掲載しています。奇妙で例外的な建物ですから、復元考察は大変です。他の研究者たちがすでに復原図を提示しているので、これを乗り越える試みがなされています。

1階の天井で見られる交差ヴォールトの組み方も面白いのですが、ここでは詳しく触れません。
残念なことに鳩が出入りする遺跡で、見終わった観光客は、「暗くて汚れているし、とても臭い」という意見を口にしていました。建築を見た感想としては最悪に属するもので、残念。
しかし石造建築の長い歴史の中においては名状しがたい異彩を放っている作品で、一見の価値があるように思います。

2009年12月15日火曜日

Urk. IV (Urkunden IV) 1906-1961


古代エジプトにおいて「ルネサンス時代」とも「バロック時代」とも比される、最も華やかな時期であった新王国時代の第18王朝の歴史的な史料を集成した重要な書。Kurt Setheがヒエログリフを全部手書きで写した本を出した後に、Wolfgang Helckがこの大仕事を引き継いで補完しました。

Urkunden IVは全部で22章からなり、Setheは1-16章を、またHelckは17-22章を担当。Helckは訳文までつけるという偉業をなし遂げました。
Setheのものだけを急いで挙げるならば、

Kurt Sethe,
Urkunden der 18. Dynastie.
Historische-biographische Urkunden (Akademie-Verlag, Berlin), 4 Bände
Band 1, vi, 1-314 p.
Band 2, vi, 315-624 p.
Band 3, vi, 625-936 p.
Band 4, vi, 937-1226 p.

と、1000ページ以上にわたる、手書きの本です。驚くべき書物。実際に見てその仕事量を確認すべき。
第18王朝の史料を集めたものが、どうして"IV"、つまり4番目となっているのかは説明が必要です。
もともとこれは、19世紀生まれの碩学Georg Steindorffの編纂による、ドイツで企てられた壮大な

"Urkunden des ägyptischen Altertums"

と呼ばれるシリーズのうちのひとつで、古代エジプト時代の歴史史料を集成しようとした目論み。
英語版のウィキペディアなどでは、8巻からなる構想が紹介されているはずです。ドイツ語版のウィキペディアはもっと詳しい。
"Urk. IV"、と専門家によって略されるこの巻については、まずは英語で書かれている

http://en.wikipedia.org/wiki/Urkunden_der_18._Dynastie

を参照のこと。
Helckによる分冊の英訳について、この英語版のウィキペディアでは、Barbara Cummingが3冊を出した後に、訳者が交代してBenedict G. Daviesが後続巻の3冊を担当し、10年以上前に最後の22章までが出版済みであることを記していません。

この出版物は非常に有名な書籍なので、多くのページで紹介されています。
Michael Tilgnerは、

http://www.egyptologyforum.org/EEFUrk.html

にてダウンロードの可能なリンクを張った最新版のページを作成しており、注目されます。今日、ほとんどの巻がダウンロードできることがこれで了解されます。

リンク先に注目。シカゴ大学のオリエント研究所(OIC: Oriental Institute of Chicago)に多く繋がっています。
この大学が開設している資料集、"ETANA"を使いこなすことはエジプト学のみならず、西アジア研究を進める上でもたいへん重要です。圧倒的な情報を収めたアーカイヴ。改訂の情報は主に"EEF"で配信されます。

Urk. IVの索引が出たのは、何と1988年。

Monika Hasitzka und Helmut Satzinger (Bearbeitet von) / Adelheid Burkhardt,
Urkunden der 18. Dynastie: Indices zu Heften 1-22 / Corrigenda zu den Heften 5-16
(Akademie-Verlag, Berlin, 1988)
119 p.

とても大がかりな仕事です。ですから"1906-1961"という表題における後者の年号は、あくまでもHelckがHeft 22を出版した年で、このシリーズが完結したことを意味していません。
先日、福岡キャンパスの図書館で、久しぶりに手に取って思い出した書。どうかこれらを使いこなす人たちがもっと出てきますように。

Adam 2007 (5e éd.)


古代ローマ時代の建造技術について、詳細をまとめた専門書。もともとはフランス語で書かれ、現在は第5版を重ねており、一方、英訳されたものは第2版をもとに出版されています。
700点以上の図版を収めており、古代ローマ建築の技術に関する基本図書という位置づけ。Lugli 1957Crema 1959などが類書として知られていますが、現在では双方とも入手が難しく、特に後者はほとんど市場に出ることがありません。

Jean-Pierre Adam,
La construction romaine:
Matériaux et techniques.

Grands Manuels Picard
(Picard, Paris, 2007, 5e édition. 1re édition: 1984. 2e édition: 1989. 3e édition: 1995. 4e édition: 2005)
368 p.

[English ed.:
Jean-Pierre Adam,
translated by Anthony Mathews,
Roman Building: Materials & Techniques
(B. T. Batsford, London, 1994)
360 p.]

Table des matières:

Introduction (p. 7)
1. La topographie (p. 9)
2. Les matériaux de construction (p. 23)
3. Le grand appareil (p. 111)
4. Les structures mixtes (p. 129)
5. Le petit appareil (p. 137)
6. Les arcs, les voûtes (p. 173)
7. La charpente (p. 213)
8. Les revêtements (p. 235)
9. Les sols (p. 251)
10. Les programmes techniques (p. 257)
11. L'architecture domestique et artisanale (p. 317)

Lexique illustré de modénature courante (p. 355)
Bibliographie (p. 360)
Index (p. 367)

建物の造り方といっても、計画方法については述べておらず、このトピックについてはWilson Jones 2000に委ねられることになります。石造だけでなく、混構造や煉瓦、また木造架構や瓦などに関しても概要を記述。ローマ時代の木工についてはUlrich 2007が唯一、まとまった情報を伝えており、重要。
なお、ローマ建築全般については、同じピカール社から

Pierre Gros,
L'architecture romaine.
Vol. I: Les monuments public
(Picard, Paris, 1996)
Vol. II: Maisons, villas, palais et tombeaux
(Picard, Paris, 1999)

が出ており、第2版も出されています。

Adamは古代ギリシア建築に関する本を著している他、Christiane Zieglerとの共著でピラミッドの本も出版しており、時代・地域を横断して古代の建造技術を語ることができる数少ない研究者のひとり。

2009年12月14日月曜日

Roueche and Smith (eds.) 1996


トルコの山中に位置する古代ローマ遺跡アフロディシアスの仮報告書の3冊目。広大な敷地に数多くの施設を有する都市遺構で、外周壁はおよそ1キロメートル四方に及びます。

Charlotte Roueche and R. R. R. Smith (eds.),
Aphrodisias Papers 3:
The setting and quarries, mythological and other sculptural decoration, architectural development, Portico of Tiberius, and Tetrapyron.
Including the papers given at the Fourth International Aphrodisias Colloquium, held at King's College, London on 14 March, 1992.
Journal of Roman Archaeology (JRA), Supplementary Series no. 20
(Journal of Roman Archaeology, Ann Arbor, 1996)
224 p.

本の全体は3つに分けられており、

Part I: Recent Work at Aphrodisias
Part II: The Setting and Development of the City
Part III: Aspects of Decoration

遺跡を都市として見ていることが、この目次でもはっきり打ち出されています。副題が示すように、さまざまな視点からの考察と報告がおこなわれているのが了解されます。これまで主流であった個々の建築、あるいは彫刻作品の美術史的考察は二義的なものとして退かされ、代わりに都市の成長や諸外国との交易、特に小アジア地域におけるこの遺跡の位置づけなどが多角的に検討されているのが特色。

石切場の調査報告が寄せられているのは興味深い。執筆者はPeter Rockwellで、この人は彫刻家でもあり、石造建築技術に関わる研究者の間では知られた人。石を実際に扱う人なので、独自の観点が提示されているのが見どころです。
技法が中心ですけれども、他に石材の搬出のルートも分析しています。石切場を4つのタイプに分類しているのは注目され、通常は露天掘りとトンネル掘り、つまりオープン・タイプとギャラリー・タイプに2分されるだけなのが普通ですが、検討してみる価値のある記述です。

劇場について発表をおこなっているTheodorescuの論文も建築の視点からは重要(pp. 127-148)。この論文はフランス語で書かれていますが、最後の2編の論文はドイツ語で執筆されており、このように3ヶ国語ないし4ヶ国語で一冊の本が書かれると言うことは決して珍しくありません。日本人にとっては辛いところです。ローマの遺跡だったら、さらにラテン語やギリシア語なども出てきます。
2008年には続巻の第4号が出ていますけれども、未見。

アメリカから出版されているJRAは古代ローマを扱う雑誌で、未だ若い雑誌ながら、重要な刊行物のひとつ。
多くのSupplementary Seriesを出版しています。

Rockwell 1993


古代エジプトや古典古代時代の石材の加工に関して詳細に述べたもの。著者は彫刻家で、実際に石を用いた彫刻作品を制作しており、彼自身のウェブサイトでそのいくつかを見ることもできます。
エジプトからギリシア、そしてローマ時代までにわたる長い歴史を扱う石の技法書は、きわめて稀有。

Peter Rockwell,
The Art of Stoneworking:
A Reference Guide

(Cambridge University Press, Cambridge, 1993)
x, 319 p.

Contents:

List of photographs (viii)
Acknowledgments (ix)

1 Introduction (p. 1)
2 Principles of stoneworking (p. 8)
3 Stone (p. 15)
4 Tools (p. 31)
5 Tool drawings (p. 55)
6 Methods (p. 69)
7 Architectural process (p. 89)
8 Sculptural process (p. 107)
9 Design and process (p. 127)
10 The project (p. 142)
11 Quarrying (p. 156)
12 Moving, transport and lifting (p. 166)
13 Workshop organization (p. 178)
14 Carving without quarrying and the reuse of stone (p. 187)
15 The history of stoneworking technology (p. 198)
16 Documentation I (p. 207)
17 Documentation II (p. 216)
18 Documentation of major monuments (p. 226)
19 Computer documentation (p. 243)
20 Conclusion (p. 250)

Photographs (p. 254)
Tables (p. 292)
References (p. 299)
Index (p. 309)

彫刻作品の違いに触れているのはもちろんのこと、建材としての石についても触れており、石切場の話、あるいは石材の運搬方法にも言及しています。実際に石を扱って作業をおこなう人ならではの視点が随所にうかがわれ、面白い。石を持ち上げる方法が時代とともに移り変わることを、明瞭な施工上の理由とともに記しているのは特に注目されます。

この彫刻家はトルコのアフロディシアス遺跡における大理石の石切場調査の報告(Roueche and Smith (eds.) 1996)を書いていますし、ミケランジェロの技法に関しても論文を書いている、珍しい作家。
現在は絶版で入手困難の状態。再版が望まれます。記録方法に関するガイド、またコンピュータを使った資料化にも最後に触れており、有用な書。

2009年12月13日日曜日

Rabasa Diaz 2000 (Japanese ed. 2009)


古代と中世とでは石造建築の造り方が著しく異なり、中世以降の石切りの方法は立体截石術(ステレオトミー)と深く関わることが増えていきます。これは古代の組積方法から変化し、整形した石を積んでいく方法がとられるからで、曲面を交えた複雑な形状を有する屋根を持つ構築物を建てようとする場合には、特に立体幾何学の素養が必要でした。
平明に言うならば、正方形や長方形の平面の上に、いかにして石材を用いて丸屋根を築いてきたか、その歴史を解説している本です。このため、柱を立ててその上に水平の梁を架け渡す、より簡単な構法については述べられていません。
この本はとても珍しい研究書で、あとがきで示されているように、当該分野については日本語で読める唯一の本、ということになります。

エンリケ・ラバサ・ディアス著、入江由香訳、
「石による形と建設:中世石切術から一九世紀截石術まで」
(中央公論美術出版、2009年)
(vi), 318 p.

原著:
Enrique Rabasa Diaz,
Forma y construcción en piedra:
De la cantería medieval a la estereotomía del siglo XIX

(Ediciones Akal, Madrid, 2000)

西洋の中世以降において主流をなす宗教建築で、どのように石造の天井を架けたのか、その全般の変遷を追う偉業をおこなっており、めざましい労作。邦訳も大変であったことがしのばれます。
Fitchen 1961ももちろん出てきます。中世以降を対象としながらも、参考文献のページにはRockwell 1993も掲げられており、広く目配りがなされている点が知られます。

例えば冒頭の13ページの図3では、「ビザンティン様式による交差ヴォールトが生じるための回転」というキャプションとともに、天井の断面図と見上げ図の輪郭線とが示されていますけれども、これは正方形平面の上に架け渡された浅いライズを持つ交差ヴォールトの交点から、正方形の各辺までを覆う屋根の形状をどのように定めたかを問う説明図で、正方形平面における縦横2本の対称軸を手がかりとして円弧を連続させたことをあらわした表現。
こうやって文章で書くと、めちゃめちゃ複雑になります。

全体として図版が豊富で、素晴らしい。
ただし、立体的な形態の表示方法に見慣れていないと、いったい何の図であるかを理解するのに、しばらく時間がかかる場合が少なくないかもしれません。アクソノメトリックによる見上げ図がしばしば用いられており、これはA. ショワジーによる著作(Choisy 1899)以降、建築の本では馴染みのある描き方なのですが、通常はあまり見られない図法ですので、初心者にとっては、特にライン・ドローイングで示される場合に奥行きが反転して見えたりするかと思われます。

個人的には、206ページ以降の「平坦なヴォールト」(つまりフラットなヴォールト)がきわめて面白かった。まるで立体パズルです。ステレオトミーが充分に成熟し、また建築構造力学が発達して初めて実現が可能であった工夫。
「平坦なアーチ」(フラット・アーチ)とか「平坦なヴォールト」(フラット・ヴォールト)という言い方に矛盾を感じる向きもあるかと思いますけれども、それはアーチやヴォールトといったものを、単にかたちの問題であると誤解するからであって、本当は違います。これは建築構造と密接に関わる用語。この点が正確に説明されない場合もあるので、注意が必要。
アーチを直線に沿って平行移動させるとヴォールトになり、またアーチの頂点を通る垂直線を軸として回転させるとドームになるというかたちについての解説は、意匠の説明としては分かりやすい反面、誤解を招きやすく、平らなアーチやヴォールトの存在を埒外に置くことになりかねません。

巻末に用語解説がつきますが、併記されているのはスペイン語です。124~125ページには興味深い図版がいくつも並んでいますが、充分な説明が文中にてなされていない点は残念。
ここに出てくる「カスタネット」は、英語圏では"Lewis"として知られている装置で、スペインでこれを「カスタネット」と呼ぶところにこの国の文化を感じます。架構に関する建築技術の駆使の歴史を、改めて感じさせる貴重な厚い一冊。
Sakarovitch 1998も類書として挙げておかなければなりません。ともにステレオトミーに関する代表的な書となります。

Choisy 1899 (Japanese ed. 2008)


オーギュスト・ショワジーの名著「建築史」が和訳されました。
原著が出版されたのは100年以上も前で、世界中の建築の歴史を記述しようとした意欲作として良く知られています。日本や中国の建築にも、また「新世界の建築」として、新たに情報が伝わってきたメキシコやペルーの建築にも触れられています。当時の知識が総動員された大著。
今はこういうのをひとりで書くことはとうてい無理です。分野が細分化されているからで、たぶん別の方策が求められるかと思います。

オーギュスト・ショワジー著、桐敷真次郎訳
「建築史」上・下巻
(中央公論美術出版、2008年)

原著は

Auguste Choisy,
Histoire de l'architecture, 2 vols.
(Paris, 1899)
Tome I: 642 pp.
Tome II: 800 pp.

2巻本のリプリントについては、おそらく今日、安く入手が可能。
刊行当時、斬新な図面表現とともに非常な評判を呼びました。これは柱や壁の根本のところで水平に切って、見上げた状態を立体的に描く方法で、特にゴシック建築の複雑な屋根の形状を説明する中ではこの図法が多用されています。

研究にも流行り廃りがあって、その事情を訳者が冒頭で長めに記しています。
建築史研究が美術史研究とどのように異なるのかが分かって、とても面白い。これは設計方法に関する分析において特に無視することのできない点で、幾何学的な分析を主流とする美術史学の方法では円周率πや黄金律φの計画用法が提唱されたりもしたのですけれども、今日では劣勢だと見ていいかと思われます。
古代ギリシア建築の設計方法についてはCoulton 1977 (Japanese ed. 1991)を、また古代ローマ建築の設計方法に関してはWilson Jones 2000を参照。

Coulton 1977 (Japanese ed. 1991)


古代ギリシア建築の碩学クールトンによる名著。
20世紀初頭まで、建築の計画方法の分析と言えば、平面図や立面図の上に補助線をたくさん描いて、正方形や円(円周率πとの関連の模索)、簡単な比例値の長方形、ファイ(φ:黄金分割比・黄金律。1:1.618)などとの整合を見つけ出すというのが多くの方法でした。
それをひっくり返したのがこの本です。建築の設計というのは、一般の人が思っているよりももっと大ざっぱな部分があって、完璧な美のかたちがもともとあるわけではなく、曖昧模糊とした発想からどんどん手直しを重ねていく試行錯誤があるんだ、という実際の建造方法を理論の前提にしています。
専門家による和訳も出ています。

J. J. Coulton,
Ancient Greek Architects at Work:
Problems of Structure and Design

(Cornell University Press, Ithaca, 1977)
196 p.

邦訳:
J. J. クールトン著、伊藤重剛
「古代ギリシアの建築家:設計と構造の技術」
(中央公論美術出版、1991年)
318 p.

古代エジプト建築研究は、まだこの水準まで行っていません。この書が今なお取り上げられるべきなのは、そこに問題があるからです。
建造の経験を充分に積んでいくと、立てる前から建築の建ち上がった際の上方における細かな部分の不具合が予想できるようになり、それを建造前の段階から調整できるようになります。
つまり、柱の上にある部材の間隔を均等に揃えるために、柱の位置を最初からずらして計画するということをおこなうわけで、これは日本建築でも見られる方法。
古代エジプト建築の面白いところは、造りながら修正をおこなう場合がある点で、これは膨大な数の労働者が使えたから初めて可能な方法でした。
極端な例では、造りかけのピラミッドの位置を設計変更でずらすという場合も見受けられます。現代でこういうことをやると、建築家は業界で命を失います。

参考文献リストは、古典文献と近代の研究者による文献とが分けてあります。古典古代を研究する文献学者は、こういうふうに大別するのが普通。ただそれが他領域の研究者にまで浸透していない傾向があります。

専門用語の解説も図入りで付されていますが、必要最小限にとどめられており、ちょっと分かりにくいかもしれない。
例えばグッタエは項目で短く説明されていますが、図版では具体的に示されておらず、迷うかも知れません。

Lepsius 1865 (English ed. 2000)


古代エジプトで使われた尺度について述べられた、きわめて重要な本。にも関わらず、本当は誰も詳しく読んでいなかったという奇妙な経緯があります。
初めての英語訳です。編者が最初に、「世界で初版が9冊だけ確認されている」と書いています。再版も出ていましたが、この英訳が出たおかげでレプシウスの考えが広く知られることになりました。

Richard Lepsius,
The Ancient Egyptian Cubit and its Subdivision 1865.
Including a Reprint of the Complete Original Text with Two Appendices and Five Half Scale Plates.
Translated by J. Degreef, with expanded bibliographical notes on the works cited by Lepsius and brief biographical notes on their authors.
Compiled by Bruce Friedman and Michael Tilgner.
Edited by Michael St. John.
(The Museum Bookshop Ltd., London, 2000)
67 p. + 67 p., 5 Tafeln, xx.

Original:
Richard Lepsius,
Die alt-aegyptische Elle und ihre Eintheilung.
Abhandlungen der philosophisch- historischen Klasse der königl. Akademie der Wissenschaften zu Berlin
(Königlichen Akademie der Wissenschaften, Berlin, 1865. Reprint, LTR-Verlag, Bad Honnef, 1982)
(ii), 63 p., 5 folded figures.

大科学者アイザック・ニュートンの名がここで見られるのは面白い(Newton 1737)。ナポレオンによる「エジプト誌」の文章編にたくさん書いているジョマールの論考にも言及しています。
200年以上にわたってエジプトの尺度が考え続けられ、今なお結論が出ていないことを伝える不思議な書。

1997年に出たマーク・レーナーの"Complete Pyramids"では、アイザック・ニュートンに言及していなかったはず。
2007年のジョン・ローマーによる"The Great Pyramid: Ancient Egypt Revisited"(Romer 2007)ではしかし、ニュートンの業績について触れられています。最近でもMDAIKの発掘調査報告でニュートンの果たした役割について見かけましたが、編者のM. セント・ジョンの功績を称えるべきだと思います。
この人はポルトガル在住で、エジプトの物差しに興味を持っている方。新王国時代の物差しについての薄い本を出版しています。

Michael St. John,
Three Cubits Compared
(Estoi, Portugal, 2000)
i, 39 p.

長さ52.5cmの王尺(ロイヤル・キュービット)の他に、エジプトでは長さ45cmの小キュービットも用いられていた、という記述はあちこちで見受けられますが、その根拠が実はあやふやであることが、このレプシウスを読むと良く分かります。「王尺は建物に、そして小キュービット尺は家具などに用いられた」などという巷の説を、そのまま信じるべきではありません。建築と美術史とでは見方が異なる点にも注意。
エジプトの尺度について述べている文章で、この本に触れていないものは皆無であると言っていいと思います。あらゆる論考がこの本に戻ってきています。
でもその内容は入り組んでおり、今後も詳しく討議されるべき。

2009年12月12日土曜日

La Loggia 2009


大英博物館の古代エジプト・スーダン部局が出している電子ジャーナル、BMSAESの最新号(第13号)には、2008年に開催された先王朝・初期王朝に関する国際会議の議録が掲載されています。無料で配信されている、不定期刊行の専門雑誌。

http://www.britishmuseum.org/research/online_journals/bmsaes/issue_13.aspx

この号には、同僚でもある早稲田大学の馬場匡浩さんによる論考も載っていて注目されるのですが、建築とはあんまし縁のない、ナカーダ2期の土器の製造についての論文でもあることだし、ここではちょっと飛ばして建物に関わる別の論文を紹介。

Angela La Loggia,
"Egyptian Engineering in the Early Dynastic Period:
The Sites of Saqqara and Helwan",
BMSAES 13 (2009), pp. 175-196.
http://www.britishmuseum.org/research/online_journals/bmsaes/issue_13/laloggia.aspx

「柱廊」という意味の名前を持っているこの人の論文については以前、BACE 19 (2008)にて触れたことがあります。題名にも明らかなように、古代エジプトの初期における建築技術に関して述べられており、特に石と木の天井が構造力学的に妥当な寸法を有していたかを考察。数式を並べる論考ではないので、読みやすい。
グラフにも工夫が凝らされていて、壁体の実際の高さと厚さ、また計算された強度との関係を一枚の中に表現しようとしています。一方、図6の、木の梁の撓みを示した曲線は、建築の人間だったらこういうふうには描かなかったはず。
計算が大ざっぱではないかという見方もあるかもしれませんが、でも結論としてはどちらにせよ、「現代から見ても建材の用い方が理にかなっている」、そういうことになるかと思います。5000年前の遺構に、現代の構造計算を当てはめようとする試みで、意欲は買うべきかと思われます。

Walter B. Emeryの素晴らしい図版が何枚か、転載されています。巨大な建物なのに、煉瓦の目地も全部描き入れ、なおかつ屋根を一部分取り除いて内部の構成を見せるという、カットアウトが施された詳細なアクソノメトリック・ドローイング。
出版されてから50年以上経つのに、未だ引用され続けている有名な図版で、こういう図が描けるかどうかは勝負のしどころ。

2009年12月11日金曜日

Robson and Stedall (eds.) 2009


「私たちは、この本が皆さんの期待したものとは違っていることを願っています」という、風変わりな書き出しから序文が始められています。数学史に関する分厚い最新刊で、東欧に研究拠点を移した安岡義文さんから教えてもらいました。

"Instead, this book explores the history of mathematics under a series of themes which raise new questions about what mathematics has been and what it has meant to practice it. The book is not descriptive or didactic but investigative, comprising a variety of innovative and imaginative approaches to history."
(p. 1)

オックスフォード大学出版局から出版されているハンドブック・シリーズのうちの一冊。40名弱による執筆陣がうかがわれます。
この本の中ではたったひとり、日本人が論考を書いています。801~826ページの、大阪府立大学の斎藤憲先生による"Reading ancient Greek mathematics"ですが、勝手ながらここでは他の時代に属する内容を紹介。

Eleanor Robson and Jacqueline Stedall eds.,
The Oxford Handbook of the History of Mathematics
(Oxford University Press, Oxford, 2009)
vii, 918 p.

Table of Contents:

Introduction (p. 1)

Geographies and Cultures
1. Global (p. 5)
2. Regional (p. 105)
3. Local (p. 197)

People and Practices
4. Lives (p. 299)
5. Practices (p. 405)
6. Presentation (p. 495)

Interactions and Interpretations
7. Intellectual (p. 589)
8. Mathematical (p. 685)
9. Historical (p. 779)

About the contributors (p. 881)
Index (p. 891)

古代エジプトに関しては、C. RossiとA. Imhausenの2人が分担執筆をしていて、どちらも興味深い考察を記しています。双方の論考とも古代エジプト建築に深く関わるので、見逃せません。
この研究者たちについてはRossi 2004、またImhausen 2003Imhausen 2007を参照。

Corinna Rossi,
"Mixing, building, and feeding: mathematics and technology in ancient Egypt"
(pp. 407-428).

Annette Imhausen,
"Traditions and myths in the historiography of Egyptian mathematics"
(pp. 781-800).

順序は逆になりますが、後者を先に見た方が分かりやすい。
彼女は

"Since the 1990s, the aims and methodology of ancient Mesopotamian, Egyptian, Greek, and Roman mathematics have been undergoing radical change, as part of larger developments in the history of mathematics (see for example Bottazzini and Dalmedico 2001). The move towards cultural context in the historiography of ancient mathematics has improved the interpretation of Egyptian mathematical writings. It is now recognized that it is no longer adequate simply to re-express their mathematical content in modern terms. When instead the formal features and cultural context of a text are taken into account, a whole new range of interesting questions can be asked (Ritter 1995; 2000; Rossi 2004)."
(pp. 785-786)

と指摘して、これまで流布してきた古代エジプトにおける数学の神話を例として5つ、挙げています。
建築の側から言うならば、この中で最も重要なのは"Myth no. 3: rope stretching, right angled triangles, and Pythagoras" (p. 791)で、3-4-5の比からなる直角三角形について問いかけており、これはピラミッドの断面計画でも実測値としてうかがわれるわけですが、再考を求めています。

Rossiの論考では、特に412~417ページに書かれた"stone"の項目が面白い。そこでは煉瓦の量を見積もるpReisner Iの記述が扱われ、また石切場における掘削量も同時に出てきます。

"As already mentioned above, papyrus Reisner I, suggests that the cubic cubit was subdivided into 'volume palms' corresponding to 'slices' of cubic cubits 1 palm wide, rather than small cubes with a side-length of 1 palm (Rossi and Imhausen, forthcoming). Such a subdivision would have been useful both in theory for performing calculations and in practice for quarrying trenches or rock-cut chambers."
(p. 412)

でもこの考え方は、アイザック・ニュートンがとうの昔に書いている「煉瓦が古代尺に合わせた大きさであったなら、建物全体での使用量の積算に便利であったろう」という透徹した見方と、結局はとても近いように思われます(Newton 1737)。
予告されている続編が楽しみ。

2009年12月10日木曜日

Imhausen 2007


古代・中世における、数学についての史料集。最も紙数が割かれているのは、中国の数学についての解説です。

Victor J. Katz (ed.),
The Mathematics of Egypt, Mesopotamia, China, India, and Islam: A Sourcebook
(Princeton University Press, Princeton and Oxford, 2007)
xiv, 685 p.

Contents:

Preface (ix)
Permissions (xi)
Introduction (p. 1)

Chapter 1 Egyptian Mathematics (p. 7)
by Annette Imhausen
Chapter 2 Mesopotamian Mathematics (p. 58)
by Eleanor Robson
Chapter 3 Chinese Mathematics (p. 187)
by Joseph W. Dauben
Chapter 4 Mathematics in India (p. 385)
by Kim Plofker
Chapter 5 Mathematics in Medieval Islam (p. 515)
by J. Lennart Berggren

このうち、最初の古代エジプトに関する章を書いているのがImhausenで、この人の博士論文についてはImhausen 2003で触れました。
紙幅に限りがあって、3000年のエジプトの数学の歴史を書くには苦労が伴ったと思いますけれども、リンド数学パピルス(RMP)やモスクワ数学パピルス(MMP)だけでなく、 ディール・アル=マディーナの労働者たちによる岩窟墓の掘削作業記録を記したオストラコン oIFAO 1206や、あるいは中王国時代に遡るライスナー・パピルス pReisner I などを紹介している点が珍しい。これらは時折省略を交え、掘削量や煉瓦の量といったものに関わる積算を求めた記録ですけれども、こうしたものも重要だという視線が感じられます。
古代エジプトの諸活動において、算術がどのように用いられたのかをじっくり眺めようとしており、古代ギリシアの数学の水準にどこまで追いついているかを問うてはいません。

オベリスクの計画方法などが唯一、まとまった文書として残されているpAnastasi Iを、ここでも冒頭に引用しています。
ただ、A. ガーディナーの訳と異なるのは、オベリスクの勾配の記述を「1キュービット1ディジット」ではなく、「1キュービット」としていること(p. 10)。Fischer-Elfertによる研究を踏まえ、oDeM 1012:9に「1ディジット」が記されていないことなどを勘案していると思われます。もともとアナスタシ・パピルスのこの部分の「1ディジット」という記述には気がかりなところがありました。ガーディナーが「1ディジット」と訳した見識の高さも、ここで改めて感じられるわけですが。

"All of them have met difficulties, which are caused not only by the numerous philological problems but also by the fact that the problems are deliberately "underdetermined." These examples were not intended to be actual mathematical problems that the Egyptian reader (i.e., scribe) should solve, but they were meant to remind him of types of mathematical problems he encountered in his own education."
(pp. 11-12)

というように、意図的に現実を外れた数値を含んだ問題が扱われているところが重要で、そこから何を見出すかが問われています。

2009年12月9日水曜日

Clagett 1989-1999


10年をかけて刊行された「古代エジプトの科学」の全3巻本。アメリカ哲学学会から出版されています。3冊で2000ページ近くに及びますが、ペーパーバックでも出ていますから、比較的安価で入手できるはず。

Marshall Clagett,
Ancient Egyptian Science: A Source Book, 3 vols.

Vol. I. Knowledge and Order.
Memoirs of the American Philosophical Society held at Philadelphia for promoting useful knowledge, Vol. 184
(American Philosophical Society, Philadelphia, 1989)
xx, 863 p.

Vol. II. Calendars, Clocks, and Astronomy.
Memoirs of the American Philosophical Society held at Philadelphia for promoting useful knowledge, Vol. 214
(American Philosophical Society, Philadelphia, 1995)
xvi, 575 p., 106 figures.

Vol. III. Ancient Egyptian Mathematics.
Memoirs of the American Philosophical Society held at Philadelphia for promoting useful knowledge, Vol. 232
(American Philosophical Society, Philadelphia, 1999)
xi, 462 p.

古代エジプトで展開した科学技術は、ギリシア世界にも畏敬の念を持って迎え入れられました。エジプト人たちは自分たちのことを古代エジプト語で「ケメト Kemet」と呼びましたが、この語はもともと「黒い土」という意味で、「赤い土=砂漠」である「デシェレト Desheret」と対概念をなします。

「ケメト」という語はその後、物質をさまざまに反応させて姿や性質を変えさせる技術である化学「ケミストリー Chemistry」の語源となったという説が良く引用されます。アラビア語の定冠詞「アル al-」がつくと「アルケミー Alchemy」となり、これは「錬金術」のこと。
「賢者の石」でファンタジーでもしばしば取り扱われる有名な技術ですが、近代科学の父であるアイザック・ニュートンも、実は真面目に取り組んでいました。
第2巻は古代エジプトにおける時間概念を扱った本。暦や天文学が主題とされています。

第3巻の、古代エジプトの数学を述べた巻は有用で、概観するには便利な本。代表的なリンド数学パピルスを詳細に紹介したピート、あるいはチェイスによる刊行物は、現在、入手が難しい状況です。ロビンスとシュートによる簡便な本も出ていますが、場合によっては端折り過ぎと見られるかもしれません。
古代語が読める数学者によって書かれた本、Imhausen 2003は詳しいものの、ドイツ語で記されており、敷居は若干高くなります。

2009年12月8日火曜日

Dormion 2004


建築家が書いた「クフの部屋:建築学的分析」という本。ドリルでクフ王ピラミッドの内部通路に穴を開ける調査をおこない、以前、大きな騒動を引き起こした2人の張本人のうちの片割れです。
その後20年近く粘り強い考察を進めてきたようで、いわゆる「王妃の間」の下に、別の部屋があるのではないかという示唆をおこなっています。

Gilles Dormion,
La chambre de Chéops: Analyse architecturale.
Études d'Égyptologie 5
(Librairie Arthème Fayard, 2004)
311 p.

Table des matières:

Préface par Nicholas Grimal (p. 7)

chapitre I La construction des pyramides (p. 29)
chapitre II Les demeures d'éternité (p. 45)
chapitre III Les pyramides de Snéfrou (p. 54)
chapitre IV Le problème de la Grande Pyramide (p. 68)
chapitre V L'appartement souterrain (p. 76)
chapitre VI Le couloir ascendant (p. 87)
chapitre VII Le prolongement du puits (p. 106)
chapitre VIII Le couloir horizontal (p. 114)
chapitre IX La chambre dite (p. 134)
chapitre X La grande galerie (p. 156)
chapitre XI La chambre des herses (p. 183)
chapitre XII La chambre dite (p. 201)
chapitre XIII Le dilemme (p. 224)
chapitre XIV La chambre du second projet (p. 228)
chapitre XV La chambre de Chéops (p. 263)
chapitre XVI Synthèse (p. 270)

Plans (p. 274)
Les rois de la IVe dynastie et leurs pyramides (p. 300)
Bibliographie (p. 301)
Remerciements (p. 303)
Table des figures (p. 304)

前書に当たる2冊を、ここで掲げておかなくてはなりません。発端を語っているのが以下の2冊。

Gilles Dormion et Jean-Patrice Goidin,
Khéops: Nouvelle enquête;
Propositions préliminaires

(Éditions Recherche sur les Civilisations, Paris, 1986)
110 p., plan.

Gilles Dormion et Jean-Patrice Goidin,
Les nouveaux mystères de la Grande Pyramide
(Édition Albin Michel, Paris, 1987)
249 p.

「王妃の間」の床に、訳の分からない痕跡が多数あることは、すでに19世紀の終わりに詳細な調査をおこなったピートリの報告によって指摘されていました。
この建築家はその痕跡を克明に追い、また床に電磁探査をかけたりして、この部屋の下に想定される落とし戸のある通路や、その先に続くべき秘密の部屋の実像を突き止めようとしています。
非常に大胆なことを示していて面白い。

石材の目地の不規則さ、また石に残っているわずかな削り跡や穴の痕を、どのように解釈し、総体としてまとめ上げられるかが述べられていて、驚嘆します。
王の間に残る石棺の痕跡から、蓋の形状を復元し、この蓋が単に上から載せられる形式のものではなくて、石棺の長手方向の真横から溝に沿って辷り込ませるものであること、また3つのダボを用いて、いったん閉めると二度と開かなくなる仕組みについて、明快に図示しています(202ページ、図45)。この種の図解は最近、しばしば見られるようになりましたが、その先駆け。

巻末に収められた何枚ものピラミッドの詳細図は素晴らしい。初めて見る図面が少なくありません。観察眼が鋭く、良く細部を見ていることに感心させられます。
特に「王妃の間」の図面は、これまで刊行されたどの図面よりも詳細で、イタリア隊の図面、Maragioglio e Rinaldi 1963-1975の第4巻よりもはるかに詳しい。比べて見るならば、すぐに分かります。

彼の説がどれだけ受け入れられるかどうか、危うく思われるし、これを確かめるにはかなりの量の石を取り外さないといけないこともあり、その調査が実現できるかも難しいところ。
しかしクフ王のピラミッドの内部に、未知の部屋があるらしいことをこれだけ具体的に示した本は稀有です。
痕跡の解釈に関しては、恐るべき才覚を備えた人物であって、見習うべきところが多い。

本には前書き以外、註が一切、振られていません。参考文献もたったの2ページ。普通の研究者ならば、頭を傾げるところです。この欠点を上回るのが圧倒的な痕跡の解釈であって、後年、彼の説の全部ではないにしても、再評価されることを期待します。

序文をコレージュ・ド・フランスの教授、N. グリマルが書いています。フランスにおけるエジプト学の最高権威のひとり。

Raven 2005


20世紀の後半、ツタンカーメン王に仕えていた大物クラスの者たちの墓がメンフィス地域で並んで見つかり、この発見が新王国時代の貴族たちの墓の研究を一挙に推し進めました。
このうち、将軍ホルエムヘブは後に王となって、ツタンカーメンの名前を歴史から抹殺した極悪人。王となる前にメンフィスの地で墓を造り始め、次第に規模を大きく増築させたことが分かっていますが、結局、王位を継ぐと自分の墓をテーベの「王家の谷」にも改めて設けています(KV57)。

歴史から消されたはずのツタンカーメンについて、3000年以上も経ってから次第に詳細が分かってくるというのはちょっと信じられないことなのですけれども、何事も大らかにことを運んだ古代エジプト人たちですから、「抹殺せよ」と上層部から言いつけられても、けっこういい加減にこの命令をこなしたらしい。
ツタンカーメンの墓が発見された当時は、「若くして死んだ王がいた」ということ以外に、ほとんど詳しいことが分からない状態だったのですが、完全にはツタンカーメンの存在が抹消されなかったため、また記録捏造の辻褄合わせが杜撰でもあったため、今日、いろいろ知られる点があるということになります。
エジプト学の魅力のひとつは、あるいはこうした一面だらしないとも思われる、人間味溢れる痕跡に触れることが多い、という印象の内に潜んでいるのかもしれません。
「しょうがない連中だなー」という共感です。

Maarten J. Raven,
with the collaboration of Barbara G. Aston, Georges Bonani, Jacobus van Dijk, Geoffrey T. Martin, Eugen Strouhal and Willy Woelfli.
Photographs by Peter Jan Bomhof and Elisabeth van Dorp, and a plan by Kenneth J. Frazer.
The Tomb of Pay and Raia at Saqqara.
74th Excavation Memoir
(National Museum of Antiquities Leiden and Egypt Exploration Society, Leiden and London, 2005)
xxiv, 171 p., 160 pls. (157-160 in color)

発掘調査の費用の捻出はどこでも困難をきわめる状況にありますけれども、イギリスのEESはオランダと組んでメンフィス地域の研究をおこなうことを選びました。この本でも、出版費の助成をオランダの財団から受けています。
本書はホルエムヘブの墓の南東に残る、パイとその息子のライアの墓に関する報告書。パイはアメンヘテプ3世時代の人物であると判断されています。ライアの石棺片も見つかりました。
つまり、小さな遺構ですが、活気溢れた時代の、かなり位の高い貴族の墓だということ。

一冊の本の中に考古・建築・人類学などの観点からの報告を纏めていて、クロス・リファレンスも充実。どの部屋から何が出土したかをまとめた巻末の"Spatial Distribution of Objects"(p. 167)を設けた点は、見習うべきかと感じます。

著者はレイデンのRMOにいる考古学者ですが、建築にまつわる報告への配慮も怠っていません。新王国時代第18王朝の末期以降、高位の貴族たちは石棺を造りましたが、その多くは報告されずに終わっている点を受け、ライアの壊された石棺を接合する面倒な立体パズルをおこなった後、図を交えながらこれを論じています。
日本隊がダハシュールの墓域で見つけたメスの石棺についても未報告の石棺リストの中に並んでいて(p. 57)、これは「英語でもっと詳しく報告しろ」という催促。

65ページの、石棺をどのように地下の玄室へと導き入れたかを示す図8は、D. アーノルドの"Building in Egypt"の影響を強く受けて描かれた図だとしか思われない。シャフト墓の内部の狭い各寸法を念頭に置いて、どのような手順で一番下の部屋へ石棺が運び込まれたかを図示していますが、"sarcophagus case"と"sarcophagus lid"とが「別々に運び込まれた」と考察している点は注目されるべきところ。
運び入れる作業の途中で石棺に傷がつき、これを地下で直したらしい点を述べ、またいくらか色塗りもこの地下室でなされたであろうとみなしている指摘も面白い。

建築学的には、平面を分析した16ページの"Metrology"が貴重です。キュービット尺の完数を用いて計画がなされたことを説明していますが、

"All these proportions refer to the bare brickwork only; the application of limestone wall revetment changed the overall effect. Because so many of the limestone architectural elements are now missing, it is very difficult to assess whether these, too, observed fixed rules of proportion."

とあって、壁体の芯の部分をなす泥煉瓦造の壁の位置が完数による基準格子に乗ることを示唆しており、石版を煉瓦壁に張って壁厚が増えている仕上げの状態を想定しつつ建物が計画されたわけではないであろうという微妙な点に触れています。
彼が発表している

Marten J. Raven,
"The Modular Design of New Kingdom Tombs at Saqqara",
Jaarbericht Ex Oriente Lux (JEOL) 37 (2001-2002),
pp. 53-69.

が題名もなしに註として付されていますが、JEOLのこの論考は検討を要します。
平面の分析については大きな異論がありませんけれども、シャフトの深さまでキュービット尺の完数で計画されたのではないかという考えは、建築の人間としては少々、受け入れ難い。
本書における、

"The total depth of Shaft i is 7.70 m (almost 15 cubits)."
(p. 17)

といった記述も気になります。

地下の部屋をどの深さで造り始めるかという問題は、シャフト墓が密集した墓域での全体の断面図を勘案して考えるべきで、これはたぶん、テーベの「王家の谷」においても当て嵌まります。建築に関わる者であったら、たぶん「掘りやすい地層を見計らって掘るだろう」という結論になるはずです。
平面にキュービット尺の完数を適用するのは、建築の専門家や熟練工が少ない中、その方が建造の工程として合理的になるからであって、一方、シャフトの深さにまでキュービットの完数を当て嵌めることは、掘削作業の実際を蔑ろにすることへ繋がりかねません。
要するに、古代エジプトの建造作業においてなぜ完数が用いられるのかが、未だ考古学者に深く理解されていないと言うことになります。
これは地質学者にも協力してもらって、説得力に富んだ説が展開されることを期待したいトピック。

上部が緩い円弧となっているステラの断片(図77、Stela [72])では、ヒエログリフが円弧に沿って外周に刻まれていますが、頂部から左方へと続く横書きの文字列が、だんだんと傾いていくために途中で向きを90度変え、縦書きに変更されています。
矩形のステラの外周で、上辺の中央から始まって、振り分けで左右に文字列が続き、隅部で横書きから縦書きに変わることは良く見られますが、上部が丸いステラでもこれがおこなわれると、このようになるという興味深い作例。

図157〜160では、泥プラスターの上に描かれた壁画がカラー写真で掲載されています。陽の下に晒される地上部の壁画に対し、どのように保存を図ったのか、これも個人的に聞きたい点ではあります。

前書きを1ページだけ、Geoffrey T. Martinが記していて、「王家の谷の仕事に最近は追われ、長年携わってきたメンフィスの実りある調査から離れることに胸が裂かれる」といったことを述べています。
Honorary Directorという肩書きをもらっているけれども、現場の人であることを最後まで続けようとしている碩学の言葉。

2009年12月7日月曜日

Hobson 2009


何と、古代ローマにおけるトイレの専門書です。巻末に地名の索引が用意されているように、西はイギリスから東はシリアまで、また北アフリカのチュニジア・リビアにおける都市遺跡のトイレの類例も集めています。大理石の便座が用意され、下には水を流すための溝が設けられている公衆便所の有様、また簡単に作られた一人用のトイレの様子が良く分かります。
最も数多く資料が集められているのはしかし、やはりポンペイで、豊富な写真によって紹介がおこなわれています。

Barry Hobson,
Latrinae et Foricae:
Toilets in the Roman World

(Duckworth, London, 2009)
x, 190 p., 142 text figures.

Contents:
Acknowledgements (vii)
Preface (ix)

1. Toilets in the Roman world: an introduction (p. 1)
2. Roman Britain (p. 33)
3. Pompeii (p. 45)
4. Chronology of toilets (p. 61)
5. Upstairs toilets (p. 71)
6. Privacy (p. 79)
7. Rubbish and its disposal (p. 89)
8. Dirt, smell and culture (p. 105)
9. Water supply, usage and disposal (p. 117)
10. Who used these toilets? (p. 133)
11. Motions, maladies and medicine (p. 147)
12. Who cares about latrines? (p. 155)
13. Future research? (p. 165)

Glossary (p. 173)
Bibliography (p. 177)
Index of Places (p. 187)

序文は、

"Why, you may ask, a book on Roman toilets?"

という書き出しから始められており、また最終章の題は「これからの研究?」と疑問符付きです。どうも変な研究対象であるという点は、著者自身が最も良く承知しているということ。
集められた写真は著者自身が各国の遺跡を回って撮りためたもので、例えばリビアのレプティス・マグナで見られる男女別のトイレについては、

"The huge bath house, dedicated to the Emperor Hadrian, has two large latrines (Figs. 39 & 40), one allegedly for women which is slightly smaller than the one for the men. Each has a central peristyle with a colonnade, within which are seats in rows down three of the four sides. The side opposite the entrances in the men's latrine is 16 m long and the other two sides are over 13 m, giving a seating capacity of about forty-eight persons. The diameter of each hole is only 15.5 cm and they are between 60 and 65 cm apart. The seating is marble, 8 cm thick." (pp. 26-28)

と、観察が非常に細かい。間仕切りもないところに、ほとんど隣の人と触れ合う距離で座ったのでは。
著者が自分で実際に現場を見に行って、あちこち測ったことは明らかです。誰もまだこのように詳しく書いたことがないので、この部分の記述については一切の註がありません。イタリア隊がこの大規模な都市遺跡レプティス・マグナを発掘したわけですが、これを指揮したGiacomo Caputoなどによる文献は巻末の参考文献にまったく掲載されていません。オランダの研究者Gemma C. M. Jansenの論考、ローマ都市における水を扱った2002年の博士論文などを核として、対象を各地にまで拡げたように思われます。

「この主題を述べるに当たって、差し障りがあるかもしれない用語を避けることは難しい」などと、序文で前もって書いています。トイレを扱う以上、これは仕方のないこと。特に、

"Scatological words occur occasionally, mostly when quoting other authors' translations" (p. ix)

とあって、これはラテン語による文献や落書きを引用した本書の後半部分が相当します。実地調査とともに、文献調査ももちろんおこなっているわけで、ここが大変重要。
読んで一番面白いのはここであるといっても良く、ポンペイで発見されている注意書き、

Stercorari ad murum progredere si pre(n)sus fueris poena(m) patiare neces(s)e est, cave

If you shit against the walls and we catch you, you will be punished (CIL IV.7038)
(p. 144)

などは、今の日本でもたぶん見られるはず。いつになっても事情は変わらないし、不埒な者はどこにでもいるようです。
別の書きつけ、

Quodam quisem testis eris quid senserim ubi cacatuiero veniam cacatum

Someday indeed you will learn how I feel. When you begin to shit I will shit on you (CIL IV.5242)
(p. 145)

では、注意書きを記した人の、わなわなと震えている怒りのほどが伝わってきて、この人に同情したくなります。
古代エジプトでも便座と言われているものが遺物として残されており、機会があったら実測してみようか、と思ったりしました。
20世紀末からトイレ研究は進展を見せているようです。「トイレ考古学」、あるいは「環境考古学」をキーワードとして検索されると良いのでは。

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2014年7月4日、追加:

Hobsonは500ページ以上のポンペイのトイレ写真集も出版しています。BARのシリーズ。

Barry Hobson,
Pompeii, Latrines and Down Pipes: A General Discussion and Photographic Record of Toilet Facilities in Pompeii.
BAR International Series 2041.
Oxford, Archaeopress, 2009.

2009年11月16日月曜日

ボルヘス 1975 (Japanese ed. 1980)


『本の形式を問いかける本』ということであれば、ボルヘスの短編「バベルの図書館」に出てくる無限の本棚がまず思い起こされますけれども、この短編集のタイトルにもなっている「砂の本」もまたその変奏。
常軌を逸した本をついに手に入れるものの、後にはそれを図書館へ「捨てに行く」奇妙な話。本についての高度な専門知識が交錯する、良くわけの分からない売買交渉も読むことができます。
全部で13の短編を収めた小説集。原書の題で"arena"という単語を用いています。武道館などでのコンサートで、「アリーナ」席が設けられることの、もともとの古い意味。流れた血を吸わせるため、闘技場に撒かれた「砂」に原意を持つと言われます。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス著、篠田一士
「砂の本」
現代の世界文学
(集英社、1980年)
169 p.

原著:
Jorge Luis Borges,
El libro de arena
(Emece editores, Buenos Aires, 1975)

目次:
他者(p. 7)
ウルリーケ(p. 23)
会議(p. 31)
人智の思い及ばぬところ(p. 63)
三十派(p. 75)
恵みの夜(p. 81)
鏡と仮面(p. 91)
ウンドル(p. 99)
疲れた男のユートピア(p. 109)
贈賄(p. 123)
アベリーノ・アレドンド(p. 135)
円盤(p. 145)
砂の本(p. 151)
後書き(p. 161)

アメリカの作家ラヴクラフトに捧げられた「人智の思い及ばぬこと」は、この世の生き物でない怪物の正体を最後まで具体的に明かさないままに終わる恐怖の小説。例えばラヴクラフトの代表作「ダンウィッチの怪」を彷彿とさせます。
周知の通り、ラヴクラフトの小説の中にはクトゥルフ神話にまつわる「何とかホテプ」という人名も出てきて、古代エジプトからヒントを得たようです。「ヘテプ」というのは古代エジプト語で「満足する」、というほどの意味でしたね。ラヴクラフトはヨーロッパの画家H. R. ギーガーにも影響を与えました。ハリウッド映画「エイリアン」を導いた、画集「ネクロノミコン」の作者。エジプト学の残響が、こうしてアメリカとヨーロッパの大陸間を往復したことになります。

個人的にもっとも惹かれるのは「円盤」と題された、5ページしかない短い掌編。王と名乗る年取った男が、片側しか持たない円盤というものを握って登場します。
「贈賄」も、研究者にとっては面白いはず。ひとつの論文を巡っての学者同士の、<客観的な判断>を巡る争いです。
現世の世界の逸脱を巡って文章を一心に書き続けたラテンアメリカの作家による、目眩を引き起こす短編集。

フーコーの「言葉と物」の冒頭に示されたボルヘスの作品の引用で分かるように、この人の短編は考え方が捻れている、奇妙なものばかり。
考えの水準がもともと異なることを、意図的にねじ曲げて相互を接触させようとした作家で、図書館に勤務していた時にいったい何をやっていたのか、想像するとそれだけで楽しい文学者。

エコ 1977 (Japanese ed. 1991)


「フーコーの振り子」、また映画化された「薔薇の名前」など、広く読まれた小説の作者でもあるこのイタリアの記号論の学徒は、「論文の書き方」という本も出版しています。いかにもウンベルト・エコ(ウンベルト・エーコ)によって記されたらしい書物で、入門書であると同時に、面白い読み物としても成立させています。
基本的な問題がほとんどすべて記してあるという点が魅力的。すでに十数ヶ国語に訳されている大人気の書です。今でも入手は可能。

ウンベルト・エコ著、谷口勇訳、
「論文作法:調査・研究・執筆の技術と手順」
教養諸学シリーズ1
(而立書房、1991年)
xv, 276 p.

原書:
Umberto Eco,
Come si fa una tesi di laurea: le materie umanistiche
(Bompiani, Milano, 1977)
249 p.

目次:
第I章 卒業(博士)論文とは何か。何に役立つか
第II章 テーマの選び方
第III章 資料調査
第IV章 作業計画とカード整理
第V章 原稿作成
第VI章 決定稿の作成
第VII章 むすび

論文という形式のさまざまなあり方に触れており、それは「モノグラフ的論文か、パノラマ的論文か」、「古典的テーマか、現代的テーマか」、あるいは「科学的論文か、政治的論文か」といった節を用意していることからも明らかです。発表という出口の方法に知悉している人だから、広範なやり方が開陳されています。
凡庸な教授なら、普通は「客観的な書き方をしなさい」などというだけで終わるところ。

「指導教員に利用されるのを回避するには」という項目もある点がとても可笑しい。許される剽窃の限度までもが紹介されていて、「訳者あとがき」に述べられているように、本当はある程度、論文を書いた経験を有する者に向けて書かれていることが、こうして了解されます。

「外国語を知る必要があるか」の項も興味深い。「自分が知らず、また学ぶ気もない言語についての知識を要しないような論文を選ぶべし」(p. 29)と書いています。こういう具体的な(?)指導は珍しい。教員にとって、とっても参考になります。手抜きの方法をはっきり伝えているわけです。
「引用の仕方」(p. 187)、また「脚注のつけ方」(p. 202)は詳細に語られています。
例としてアメリカの4コマ漫画であるチャーリー・ブラウンの心理を問いかける論文を書く場合の、笑える目次案というものも掲げてあって、この著者のただならぬサーヴィス精神を知ることができます。

彼はHPを持っており、

http://www.umbertoeco.com/

ではビブリオグラフィーを見ることができます。クリックするとすぐにAmazonのページに飛ぶようにリンクを設けているところは御愛嬌。
エコは映画化されている「007」のシリーズのジェームズ・ボンド研究でも知られており、1982年には「ボンド・ガール」に関する論考が雑誌「海」に掲載され、当時は評判になりました。興味のある方は探し出してみてください。

そう言えば、特定の読者に向かって論文が執筆され、これを巡って2人の学者による丁々発止の対決を描いたボルヘスの短編もありましたっけ。

Hitchcock 2000


ミノア建築について論考を重ねているL. A. ヒッチコックの博士論文。副題に出てくる「コンテキスト」というのは美術を解説する時の用語で、20世紀後半から使われるようになりました。
建築の場合には「文脈主義」というように無理して訳され、具体的な敷地の状態から要請されるさまざまな意匠上の明示、というほどの意味で用いられることが多いと思います。簡単に言えば、周りとそぐわない建物を建てても良いの? という反省から起こった流れです。もともとは現代哲学における考え方に由来しています。これを「添い寝主義」と悪口を叩いた人もいました。

この本では、これまでの考古学の成果を疑うことから出発していますので、ああそうなんだ、疑わしいんだ、と面白く感じる部分が少なくありません。序文の7行目では、

"I did not understand why a "Palace" was a palace"

なあんていう衝撃的なことを平気で書いていますし、これは古代エジプトの場合にも当て嵌まるはず。つまり、クノッソス宮殿とかファイストス宮殿とか、これまで良く知られていた宮殿は、「宮殿」ではないかもしれない、ということが記されているわけです。
高名な研究者たちが言ったという、「ミノアの宮殿群は、発掘によって失われた」、「ミノア考古学には『事実』というものがなく、考古学者にできることは、彼らが望んでいることをしゃべることだけだ」、という見解にも驚かされます。
すでに固定されているかのように思われる既往の成果に対し、違う見方ができないかと問いかけること。それが大きなモティーフとなっている本です。

Louise A. Hitchcock,
Minoan Architecture:
A Contextual Analysis.

Studies in Mediterranean Archaeology and Literature,
Pocket-book 155
(Paul Astroms Forlag, Jonsered, 2000)
267 p., including 33 illustrations

第1章の「エーゲ海考古学の考古学に向かって」が最も重要で、考古学のあり方を問い直す試み。ミシェル・フーコーが「知の考古学」を書いたことを踏まえたもの。あとの章は「広庭、拝礼、入口」(第2章)、「倉庫と作業場」(第3章)、「ミノアの建物における広間」(第4章)と、部屋ごとに検討がなされます。
本文の一番最後ではジャック・デリダのへのインタビューに言及して終わっているように、現代の思考におけるいびつな面を意識した上で書かれていますから、時として話が難しくなります。ウンベルト・エーコ(エコ)などの著作も参考文献リストに挙げられていますので、いろいろと読み拡げなければなりません。

スウェーデンに本拠を置くPaul Astroms Forlagという出版社は、考古学者のP. アストレム教授が20世紀の中頃に創立したもので、古代地中海考古学、特にギリシア付近の地域に関しては非常にたくさんの本を刊行しています。
ヒッチコックは共著で

D. Preziosi and Louise A. Hitchcock,
Aegean Art and Architecture.
Oxford History of Art
(Oxford University Press, New York, 1999)
262 p.

も書いていて、カラー図版を多く収めた見やすい本。ペーパーバックも今は刊行され、比較的安価にて入手できるはずです。

Meskell 2002


古代エジプト人の生活を追った本というのは、もう何冊もあるけれども、エジプト学におけるイギリスの重鎮、J. ベインズのもとに居ただけのことはあって、文字資料としてはっきり残されていない生活の像、それをどのように把握するのかということ自体が大きなテーマのひとつとなっています。こういうテーマはとても珍しい。
図版はだから、モノクロで60枚ほどしかありません。エジプト学の中で、さまざまな情報がどのように組み立てられ、解釈されているのかを念入りに見直す作業がおこなわれています。意図的に難しい話題が選択されていると考えられます。分かりやすい題名とは相反し、この分野の専門家に向けて反駁している本と言っていい。

Lynn Meskell,
Private Life in New Kingdom Egypt
(Princeton University Press, Princeton, 2002)
xvii, 238 p.

冒頭には人類学者のマリノウスキーや、哲学者フーコーの著作からの引用が並んでいます。Hitchcock 2000のミノア建築に関する本でも、ミシェル・フーコーの「知の考古学」が引用されていました。こうしたところは注意しておきたい点です。
第1章の題は"The Interpretative Framework"で、private life,「私生活」とはそもそも一体何かということから話が始まります。特に、古代エジプトにおける私生活、ということが再度問われており、ここからも、たいへん意欲的な内容であることが了解されます。
だから、例えばストロウハルの本、これは和訳が出ていますが、

エヴジェン・ストロウハル著、内田杉彦
「図説 古代エジプト生活誌(上・下巻)」、原書房、1996年

と、ある意味で対極的な位置にある本といって良い。
中心となるのはやはりデル・エル=メディーナで、オストラカに記されていることが資料として、しばしば引用されているのが特徴。

いわゆる「寝室」というものがこの村落の家々の奥にはあるんだけれども、その部屋にベッドが置かれていた痕跡は一切見つかっておらず、逆に外の通りからベッドが出土している点がとても奇妙。寝るためだけの部屋ではなく、もっと別の機能もあったらしいと言われている点が改めて指摘されています。

この建築遺構、細い路地からすぐ入った第一の部屋からは、動物の糞や藁くずが家の中から発見されているので、動物と一緒に暮らしていたことは明らかであるとみなされています。床が一段低くなっているこの部屋にはまた、「造り付け寝台」のようなものがあることも知られていますが、人が寝るためのものではなく、むしろ宗教に関わることがおこなわれたのではないかと考えられています。これは考古遺物からの判断。
出産用のベッドではないかという説については、この時代の出産ではむしろ椅子を使っていると思われる絵画資料があるので退けられるものの、女性のためのしつらいが目立つ点は強調されています。
こうしたことはすでに分かっていた事項なんですが、著者はさらに一歩進め、第一の部屋は女性のためのもの、またそのすぐ奥の第二の狭苦しい部屋は、男性のためのものではないかと推定しています。

この家の男たちは、いくらか離れたところにある王墓の造営に関わった石工・彫工、また画工であったので、毎日家には帰ってこなかったと考えられてきました。どうも王家の谷へ行く途中の仮小屋に寝泊まりし、10日に1日か2日しか帰らなかったらしい。本来の住居の内部は、女性たちの手によって勝手に都合良くしつらえられたようです。
3200年前の昔から、何とかは「元気で留守がいい」と考えられていたことが、ここからも容易に推察されます。やれやれです。

工人たちが構成していた労働者集団の動向については、また別の研究分野となりますので、この本では触れられていません。
建築の分野では、しかしこういう分け隔てることをしないことが重要。
彼女は後に、雑誌JMAにも2004年に論文を寄せています。Ä&L 17 (2007)を参照。