2010年6月14日月曜日

Barnes 2004


イギリスにあるオベリスクを集めた本。オベリスクがローマに立っていることに影響を受け、イギリスでは16世紀からエジプトのオベリスクを模して立てるようになります。エドウィン・ラッチェンスやジョン・ソーンなど、有名な建築家たちの名も挙げられており、彼らが建築や庭園へオベリスクを積極的に用いる様子が綴られています。

Richard Barnes,
The Obelisk:
A Monumental Feature in Britain

(Frontier Publishing, Kirstead, 2004)
192 p.

巻末に収められたオベリスクの数はおよそ1300で、これでも一部だけが集められた結果の数。その多くは20世紀の戦没者記念のために立てられたものです。他に2000ほど、墓地に立つものが存在する模様。

Contents:
I The Sixteenth & Seventeenth Centuries
II The Eighteenth Century
III Nineteenth Century
IV John Bell's Lecture: The Definite Proportions of the Obelisk and Entasis, or the Compensatory Curve
V Obelisks in Cemeteries and the Rise of Polished Granite
VI The Twentieth Century
VII The Purpose of Obelisks: Theories

第4章で紹介がなされている、19世紀を生きた彫刻家のJ. ベルによるオベリスクの分析が見どころとなります。特に94ページ以降の記述は重要で、検討の余地がある。オベリスクの各部と全体との関連を構造的に探っているからで、これがどこまで合っており、どこが間違っているかが突き止められれば、オベリスクの計画方法は解けることになります。

「第一にピラミディオン底面の対角線、第二にオベリスクの底辺、そして第三にはピラミディオンの高さはすべて同一の長さである」(p. 94)

「オベリスクの底面の対角線の7倍が、正確にオベリスクの全高となる」(p. 95)

ピラミディオンの底面の対角線、あるいはオベリスクの底面の対角線が基準になったとはとうてい思われないのですが、計算をしてみると、例えば「底辺の10倍がオベリスクの全高に相当する」という言い方とほとんど矛盾がないことに気づきます。

1.414×7=9.898

であるからです。
この点は重要で、見逃せません。課題は、彫刻家と建築家のものの見方の違いがどこにあるかということになるかと思われます。

2010年6月12日土曜日

Haring and Kaper (eds.) 2009 / Andrássy, Budka and Kammerzell (eds.) 2009


記号によって情報を交換する古代からのシステムを考えようという本が二冊、続けて出されました。双方とも国際会議の記録。ふたつには関連があって、同じ人たちが双方に関わっていたりします。
二冊目の序文には、

"The congress was connected both conceptually and in terms of its central topics to a preceding conference, ..."
(p. vii)

と書かれていますから、この二冊を別々に考えるのではなく、むしろセットとして考えた方が良いのでは。
先に開催されたレイデンの会議のまとめが

B. J. J. Haring and O. E. Kaper (eds.),
with the assistance of C. H. van Zoest,
Pictograms or Pseudo Script?
Non-textual Identity Marks in Practical Use in Ancient Egypt and Elsewhere
.
Proceedings of a Conference in Leiden, 19-20 December 2006.
Egyptologische Uitgaven 25
(Peeters, Leuven, 2009)
vii, 236 p.

で、この一年後にゲッティンゲンにて開かれた会議の記録が

Petra Andrássy, Julia Budka and Frank Kammerzell (eds.),
Non-Textual Marking Systems, Writing and Pseudo Script from Prehistory to Modern Times.
Lingua Aegyptia, Studia monographica 8
(Seminar für Ägyptologie und Koptologie, Göttingen, 2009)
viii, 308 p.

となります。

記号による情報伝達が注目されているのは、文字による伝達を過信することへの戒めに他なりません。文字史料が残ってさえいれば、これを信じて尊重したくなりますし、事実、エジプト学の進展には、碑文学による成果が大きな影響を与えてきました。
しかし文字は、果たして本当のことを伝えているのかどうか。書くことによって「捏造」がおこなわれているのではないのか。そもそも、人が「記す」という行為自体が「捏造」に加担するのではないのか。当時に文字が書ける人間がどれほどいたのか。
こうした点は、イギリスのJohn Bainesなどが特に強調してきた問題意識。

この覚醒が指摘されるようになって、これまではあまり注意が向けられてこなかった単なる記号や簡単な書きつけなども、考察の対象に含めようという動向が出てきました。
つまり今までは、文字だったら解読してその情報を疑いもなく受け入れてきた傾向が見られましたが、そこでもたらされる意味は歪んでいて、真実のごく一部分しか伝えていない可能性があるように思われるため、今度は情報の伝達を目的としてなされた古代における人間の行為全体をすくい取るにはどうすればいいか、という求めが問われているわけです。
すでに紹介しているPeden 2001や、Bülow-Jacobsen 2009の意図とも繋がってきます。

従って対象は多岐にわたり、記号論が参照されたりもします。背景のシステムを探るという作業ですから、暗号解読、あるいはパズルを解くことにほとんど近い仕事ともなります。
建築の世界では、建造者たちが書きつけた記号の分析によって、労働者組織や建築生産体系がどこまで明らかになるのか、という話題と結びつけられることが少なくありません。

日本近世の城郭の石垣にも似たような記号が石ごとに刻まれていたりしますが、やることは地域や時代を問わず、一緒です。エジプトの他に、ミノア期におけるクノッソスなどの宮殿でうかがわれますし、西欧中世の石造によるカテドラルでもおこなわれていたことは良く知られている事実。
二冊の本は両方とも寄稿者は多いのですが、ただ、想定される情報伝達システムの立ち起こしを目指している割には、どれもこれも前途は多難だという印象を抱かせます。

まずは、両方の本に論考を執筆している者たちの文章を読み比べると面白いかもしれません。書き分けがうまくなされているか、という点です。
それはこのパズルを、生活の営為の中で古代の人間がどのように工夫したかという原点に、誰がより深く引き寄せることができているかを探ることと繋がってくるように思われます。

2010年6月10日木曜日

Ikram and Dodson (eds.) 2009 (Fs. Barry J. Kemp)


バリー・ケンプへ捧げられた献呈論文集。40人以上の研究者たちが論考を寄せています。
「地平線の彼方」というタイトルは、ノーベル文学賞を受賞した米国の劇作家ユージン・オニールの名作で知られていますが、ホメロスの「オデュッセイア」でも、冥界のある場所は「地平線(水平線)の彼方」と表現されていたはず。
しっかりとした造本ですが、第2巻の目次においてページ番号が途中から全部、誤って記されているのは惜しまれます。

Salima Ikram and Aidan Dodson eds.,
foreword by Zahi Hawass,
Beyond the Horizon:
Studies in Egyptian Art, Archaeology and History in Honour of Barry J. Kemp
, 2 vols.
(Publications of the Supreme Council of Antiquities, Cairo, 2009)
xviii, 1-323 p. + vi, 325-613 p.

話題を建築に限って眺めるならば、まずはザヒ・ハワースの

Zahi Hawass,
"The Unfinished Obelisk Quarry at Aswan",
Vol. I, pp. 143-164.

が目を惹きます。
アスワーンの再発掘調査で、何本ものオベリスクの痕跡が発見されました。今、アスワーンに行くとそれらが見られ、削られた岩盤の面にはたくさんのヒエラティック・インスクリプションも確認することができます。多くは単なる季節と日付の羅列で、掘削作業の進捗状況を書きつけたもの。しかしこの本の論考では、それらをほとんど報告していません。これからの発表が期待されます。
掘りかけの新王国時代の巨像も見つかったと記されていて、その大きさに興味を覚えましたが、図28にうかがわれる平面図のスケールは明らかに間違いで、たぶん、この立像の高さは20メートルほど。古代エジプトで最大の巨像はザーウィヤト・スルターンとアコリスに未完成のまま残るプトレマイオス朝のもので、その調査は現在、筑波大学の発掘調査隊が手がけています。これと匹敵する大きさである点が注目されます。

Corinna Rossi and Annette Imhausen,
"Architecture and Mathematics in the Time of Senusret I:
Section G, H and Papyrus Reisner I",
Vol. II, pp. 440-455.

は、難解であった中王国時代のpReisnerの読解を試みています。このパピルスについては、Simpson 1963-1986で前に触れました。
詳細を省いて略記された建築の積算に関する記録方法と、神殿の建造の手順を踏まえながら、文字史料との整合性を考えている論考で、とても重要。
ここでもセケドが紹介されています。ここで書かれているセケドの概念は、しかしもっと拡張されるべきで、高さ方向に1キュービットを取り、水平方向にパームやディジットの長さを測るやり方だけでなく、すでにロッシがJEAの論文などでほのめかしているように、水平方向に1キュービットを取る勾配の規定方法も含めて考えると、もっとエジプト建築研究は進むのでは。極端な話、水平方向に1キュービットを取り、垂直方向に1ディジットを測るやり方も、セケドの範疇であると思われます。

Kate Spence,
"The 'Hall of Foreign Tribute' (S39.2) at el-Amarna",
Vol. II, pp. 498-505.

悩ましい"lustration slab"の解釈を挟みながら、アマルナのアテン大神殿に付設されている何だか良くわけが分からなかった謎の建物を考察。
建築の復原で何を根拠とすべきかが示されており、面白い論考です。
でも、ちょっと短いのが残念に思われるところ。

2010年6月9日水曜日

Tietze (Hrsg.) 2008


題名はずばり、「アマルナ」という本。アクエンアテンとアマルナに関する展覧会がケルンで開催され、そのカタログが出ています。
300点以上の図版を収め、そのほとんどがカラー図版で分かりやすい。

Christian Tietze (Herausgegeben von),
mit Beiträgen von Erik Hornung, Hermann A. Schlögl, Barry J. Kemp, Wafaa el-Saddik, Bernd U. Schipper, Christian E. Loeben, Martin Fitzenreiter, Angelika Lohwasser, Ptera Vomberg, Anne Koch, Christine Kral, Manuela Gander, Marc Loth.
Amarna:
Lebensräume - Lebensbilder - Weltbilder

(Arcus-Verlag, Potsdam, 2008)
290 p.

すごい人たちが執筆者に入っており、驚きます。この企画者であり、またカタログの編者の熱意が伝わってくるところ。ポツダム大学で教えている編者Tietzeは、アマルナ型住居の研究で良く引用される研究者。ZÄSにおける2本の連続論文で一躍、知られるようになりました。

ドイツ隊による20世紀初頭のアマルナ発掘調査では、多数のアマルナ型住居が掘り出されましたが、それらの成果は雑誌Mitteilungen der Deutschen Orient-Gesellschaft zu BerlinMDOG)の他に、まずリッケの論文によってまとまって発表されました。リッケの学位論文。

Herbert Ricke,
Der Grundriss des Amarna-Wohnhauses.
Wissenschaftliche Veröffentlichung der Deutschen Orient-Gesellschaft 56.
Ausgrabungen der Deutschen Orient-Gesellschaft in Tell el-Amarna, 4
(Leipzig, 1932)
viii, 75 p., 26 Tafeln.

リッケという人は、古代エジプト建築研究できわめて重要な役割を果たした人。
それから50年ほど経った20世紀の終わり近くには、厚い図面集として最終報告書が出版され、これが後の人々にとって第一級の資料となります。すでにボルヒャルトもリッケも死んでいた時期だったので、この立派な図面集が出た時には大変な驚きがありました。
ボルヒャルトが亡くなったのは1938年で、リッケの没年は1976年。ボルヒャルトやリッケの名が冠された著作物のうち、たぶんもっとも新しく、また最後となる本です。
また、"Mitarbeit"に挙げられている人々の表記方法も、とても特異。

Ludwig Borchardt und Herbert Ricke,
Unter Mitarbeit von Abel, Breith, Dubois, Hollander,
W. Honroth, Kirmse, Marcks, Mark, Rösch, einem Anhang von Stephan Seidlmayer.
Die Wohnhäuser in Tell el-Amarna.
Wissenschaftliche Veröffentlichung der Deutschen Orient-Gesellschaft 91.
Ausgrabungen der Deutschen Orient-Gesellschaft in Tell el-Amarna 5
(Gebr. Mann Verlag, Berlin, 1980)
350 p., 29 Tafeln, VII site plans, 112 plans.

さて、Tietzeはこの本の図面に収録されている平面図に片っ端から当たり、数百の住居を全部で8つのカテゴリーに分けました。
アマルナ型住居に関する本格的な論考で、これに比肩できる20世紀における著作は、Endruweit 1994ぐらいしかありません。その知見がここでも披瀝されています。

アマルナ型住居の上層がどうなっていたかについては、Spenceが論文を近年書いています。

Kate Spence,
"The Three Dimensional Form of the Amarna House",
in Journal of Egyptian Archaeology 90 (2004),
pp. 123-152.

彼女は長年アマルナの発掘に携わったバリー・ケンプの愛弟子。
この論考によってTietzeによる見解が異なることになるのか、それが興味深い点です。

Ian Shaw,
"Ideal Homes in Ancient Egypt:
the Archaeology of Social Aspiration",
in Cambridge Archaeological Journal 2:2 (1992),
pp. 147-166.

も目を通しておくべき論文。

2010年6月8日火曜日

Wilkinson 1835


エジプト学でウィルキンソンと言えば、19世紀の大旅行家であったと同時に記録魔でもあったこのウィルキンソン卿がまず挙げられるべきですが、もうほとんど引用されなくなってきたおかげで、日本では忘れ去られているようにも見受けられます。
しかしイギリスではエジプト学のパイオニアに該当し、19世紀におけるテーベの姿を知ろうと思った際には、必ず言及される巨人。日本で言うと、建築史学と考古学の双方のパイオニアであった伊東忠太に匹敵します。
初めの代表作は、"Topography of Thebes, and General View of Egypt"ですけれども、本当はこの本に、とてつもなく長い副題がつけられており、

John Gardner Wilkinson,
Topography of Thebes, and General View of Egypt.
Being a Short Account of the Principal Objects Worthy of Notice in the Valley of the Nile, to the Second Cataract and Wadee Samneh, with the Fyoom, Oases, and Eastern Desert, from Sooez to Berenice;
with Remarks on the Manners and Customs of the Ancient Egyptians and the Productions of the Country, &c. &c.
(John Murray, London, 1835)
xxxvi, 595 p.

と、もう際限がありません。「グーグル・スカラー」によってある程度、1835年の初版を見ることができるのが便利です。
上記では直してありますが、原書では著者名が、"I. G. Wilkinson"と印刷されている点に注意。ピラミドグラフィアの、"John Greaves"の場合もそうでした。
また、副題に"Manners and Customs of the Ancient Egyptians"という記述がすでに見えることも面白い。
というのは、この人は数年後に内容を書き改めて、もっと記録を充実させた

John Gardner Wilkinson,
The Manner and Customs of the Ancient Egyptians, Including their Private Life, Government, Laws, Arts, Manufactures, Religion, Agriculture, and Early History, Derived from a Comparison of the Paintings, Sculptures, and monuments still Existing, with the Accounts of Ancient Authors, 6 vols.
(1837-1841)

を執筆しているからで、これが名高い"The Manner and Customs of the Ancient Egyptians"の初版です。
6巻もあり、驚異の書。しかしウィルキンソンの死後、数年経ってからサミュエル・バーチが3巻からなる改訂版を編纂しました。

John Gardner Wilkinson and Samuel Birch,
The Manner and Customs of the Ancient Egyptians, 3 vols.
(new edition, revised and corrected by Samuel Birch. S. E. Cassino, Boston, 1883)
xxx, 510 p. + xii, plan, 515 p. + xi, 528 p.

この3巻本が非常に普及したために、こちらの方がウィルキンソンの著作の中ではおそらく最も有名。
他にも、

John Gardner Wilkinson,
A Popular Account of the Ancient Egyptians

などがあり、近年のリプリントも盛んで、専門家もわけが分からなくなっている状態。
古代エジプト人の生活を広く紹介した本としては、A. エルマンの著作とともに、重要な書籍です。
引用する際には、書誌を注意深く確認することが必要。

2010年1月23日土曜日

Wilkinson (ed.) 2008


アリゾナ大学の教授R. H. ウィルキンソンが編集した本で、この人の執筆による書籍は何冊か、和訳が出版されています。ウィルキンソンについては以前、JAEI 1:1 (January 2009)でも触れました。
本書の紹介は、すでに永井正勝先生がなされています。

http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_121b.html
http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_343c.html

エジプト学の広がりを紹介した本。多岐にわたっているさまが了解され、これらをすべて知悉している人間はこの世にいないという点が最大の見どころ。展延し続ける領野において、自分はどの地点を占めているのかを知ったところで、たいして重要ではありません。本当は異領域間の接触が望まれています。

Richard H. Wilkinson (ed.),
Egyptology Today
(Cambridge University Press, New York, 2008)
xiii, 283 p.

Contents:

List of Illustration (vii)
Brief Biographies of Contributors (xi)
Acknowledgments (xiii)

Introduction. The Past in the Present: Egyptology Today (p. 1)
by Richard H. Wilkinson

Part I. Methods: Paths to the Past
1. Archaeology and Egyptology (p. 7)
by Kent R. Weeks
2. History and Egyptology (p. 23)
by Donald B. Redford
3. Medical Science and Egyptology (p. 36)
by A. Rosalie David

Part II. Monuments: Structures for This Life and the Next
4. Site Survey in Egyptology (p. 57)
by Sarah H. Parcak
5. Epigraphy and Recording (p. 77)
by Peter F. Dorman
6. Monuments and Site Conservation (p. 98)
by Michael Jones

Part III. Art and Artifacts: Objects as Subject
7. Art of Ancient Egypt (p. 123)
by Rita E. Freed
8. Ancient Egypt in Museums Today (p. 144)
by Arielle P. Kozloff
9. Artifact Conservation and Egyptology (p. 163)
by Susanne Gänsicke

Part IV. Texts: Words of Gods and Men
10. The Egyptian Language (p. 189)
by James P. Allen
11. Ancient Egyptian Literature (p. 206)
by John L. Foster and Ann L. Foster
12. Egyptian Religious Texts (p. 230)
by Ronald J. Leprohon
Afterword. The Past in the Future: Egyptology Tomorrow (p. 248)
by Richard H. Wilkinson

Bibliography (p. 251)
Index (p. 277)

「エジプト学全般を概観した本としては初めてである」、これは最初に

"Despite the great popularity of Egyptology and the wealth of books on ancient Egypt in the popular press, however, until the present volume there has been no single-volume introduction covering the present state of Egyptology as a modern field of study."
(p. 2)

と書かれているわけですが、こうした話題に関しては先行する書籍があって、たとえば

Jan Assmann, Günter Burkard, and Vivian Davies eds.,
Problems and Priorities in Egyptian Archaeology.
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1987)
311 p., 32 plates.

は博学の研究者が3人も揃って編者を務めている面白い本。
あるいはもう少し古い薄い本、

Kent Weeks ed.,
with contributions by Manfred Bietak, Gerhard Haeny, Donald Redford, Bruce G. Trigger, Kent R. Weeks,
Egyptology and the Social Sciences:
Five Studies
(The American University in Cairo Press, Cairo, 1979)
ix, 144 p.

なども挙げられ、執筆者もいくらか重なっています。見比べて、どれほど本質的な問題が深化されているかが問われるべき。
特に新旧両方の本に原稿を寄せている執筆者たちに、考えの進歩があるかどうかを確かめる作業は、若い読者に委ねられています。書かれるべき内容が増大することは、年代が降っていけば当たり前。
そうした問題を提起している書と思われます。

2010年1月20日水曜日

Wilkinson 1983


メトロポリタン美術館のエジプト部門には模写を集めた部屋があって、天井の高い広間の壁面にぎっしりと壁画の写しが展示されています。
「ファクシミリ」は模写のこと。絵の具を使い、壁画を実物通りに描くことを意味します。透明フイルムを壁画の上にかけて、油性マジックで輪郭をなぞる作業は「トレーシング」、また凸凹のある浮彫の上に紙を乗せて刷り取る拓本を作成する方は、「スキージ」と言ったりするようです。

ここでは特に、カラー写真がまだなかった時代に盛んに制作された壁画の模写を集めています。ハワード・カーターも、ツタンカーメンの墓を見つける前には、こうした模写を手がけていたことがありました。メトロポリタン美術館長であったトマス・ホーヴィングのベスト・セラー「ツタンカーメン秘話」にも出てきますので、御存知の方も多いのでは。
ここで文章を執筆しているウィルキンソンは、20世紀の初めに模写を担当した人。

Charles Kyrle Wilkinson (text),
compiled by Marsha Hill,
Egyptian Wall Paintings:
The Metropolitan Museum of Art's Collection of Facsimiles

(The Metropolitan Museum, New York, 1983)
165 p.

(Contents:)

Foreword (p. 7)
by Christine Lilyquist
Egyptian Wall Paintings: The Metropolitan Museum's Collection of Facsimiles (p. 8)
by Charles K. Wilkinson
Catalogue of the Facsimiles (p. 65)

Index of Theban Tomb Owners (p. 163)
Index of Theban Tomb Numbers (p. 164)
Index of Monuments Other Than Theban Tombs (p. 165)

全部、カラー写真で紹介したかったのでしょうが、途中からはモノクロのカタログとなります。しかし、貴重な壁画も含まれていて、たとえばこの本でしか紹介されていないマルカタ王宮の壁画の模写などが見られます。
壁画の複写で高名なものは、ニーナ・デーヴィスの本。
エジプト学者である旦那の仕事の手伝いをしているうちに、その模写の仕事がいつの間にかうまくなって、しまいには3巻からなる大型本を碩学A. H. ガーディナーとともに出版しました。Davies and Gardiner 1936として紹介済み。

テーベの墓に関する豪華な報告書と言うことであれば、メトロポリタン美術館から出版された大判のタイトゥス・シリーズが挙げられます。これもまた見ておいて損がない本。

Norman de Garis Davies,
The Metropolitan Museum of Art, Robb de Peyster Tytus Memorial Series
(New York, 1917-1927)

Vol. I: The Tomb of Nakht at Thebes
(1917)

Vols. II-III: The Tomb of Puyemrê at Thebes
(1922-1923)

Vol. IV: The Tomb of Two Sculptors at Thebes
(1925)

Vol. V: Two Ramesside Tombs at Thebes
(1927)

2010年1月19日火曜日

Wilkinson 2000


現在7つの断片のみが知られているパレルモ・ストーン関連の纏まった研究書。近年、古代エジプトの国家形成の過程についての研究が盛んになってきて、この影響でエジプトの通史を語るに際してはロゼッタ・ストーンと並んで、良く取り上げられる資料となりつつあります。トリノ・エジプト博物館などにも、複製品が展示されていたはず。

さまざまな国家論は特にヘーゲル以降、19世紀で問題となりました。弊害をもたらす国家の解体への関心、またインディアンなど国家を持たなかった共同体のあり方への注目などの、長い思想的・社会学的な経緯を暗黙の内に踏まえ、エジプト学においても国家形成論が展開されているとみなすことができるかと思われます。
特にケンプがこの石を紹介している意味合いは、その傾向が強い(Kemp 2006 (2nd ed.)を参照)。国家の成立は自然に発展して進んだように見えますが、社会共同体のあり方として、それが唯一の道ではないということです。

パレルモ・ストーンは第5王朝までの王の名と、治世年における主な行事、またその年のナイル川の水位を簡明に記したもの。歴代の王名が書かれた歴史史料としては、トリノ・エジプト博物館所蔵の王名リストが見られるパピルス、またアビュドスのセティ1世葬祭殿における最奥部の廊下の壁面に見られるリスト、カルナック神殿の奥の方の壁面にあったリストなどが知られていますが、それらの中では最も古いものであり、貴重です。
ウィルキンソンという名前を持つエジプト学者は、物故者も含めて何人もいるのですけれども、その中では最も若手。

Toby A. H. Wilkinson,
Royal Annals of Ancient Egypt:
The Palermo Stone and its associated fragments.

Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 2000)
287 p., 11 figs.

7つの断片のうち、最も大きいものがイタリアに属するシチリア島のパレルモにあって、そのために「パレルモ・ストーン」と呼ばれているわけですが、これは高さが43.5cm、幅が25cmしかなく、カイロとロンドンにある残りの6つの断片はこれより小さい。
にも関わらず、例えばShaw and Nicholson 2008 (2nd ed.)を引くと、「もともとは2.1mの長さ、0.6mの幅」なんてことが書いてあります(1995年の初版や、内田杉彦先生によるその和訳本には、ウィルキンソンの本書はもちろん参考文献として挙げられていないので注意)。

たった7つの断片しか残されていなくて、圧倒的にパズルのピースの数が足りないはずなのに、何故、そんな具体的なもともとの大きさが分かるのか。この理由が詳しく書いてあって、きわめて面白い。
表計算ソフトのエクセルの使い方を知っている人なら、復元の過程が良く了解されるはずです。王名は、横方向に長く続いている縦書の各治世年における特記事項のリストの上に、セルが結合されて、しかも横書きの「中央揃い」で配置されていたに違いない、といったような推測から、この具体的な復元寸法が提示されているからです。
他にも、「丸い記号がひとつおきにあらわれている」といった観察結果が重要な役割を果たしており、たくさんの人が知恵を絞って、この石の全体像の復元に成功している様子が示されています。

建築学的にこの石が重要なのは、カーセケムウィ Khasekhemwy の第13年の記述に、

"appearance of the dual king: building in stone (the building) 'the goddess endures'"
(p. 132)

が見られるからであって、最初の石造建築についての言明です。これがどの遺構を指すのか、著者はコメントを付しています。

この本が出る前年には、やはりパレルモ・ストーンを扱い、CGで復元している

Michael St. John,
Palermo Stone: An Arithmetical View;
together with a computer graphics enhancement of the recto of the Palermo fragment

(Museum Bookshop, London, 1999)
60 p.

が出版されていますけれども、ウィルキンソンの本の巻末の参考文献には含まれていません。
St. Johnという人については、Lepsius 1865(English ed. 2000)で触れました。エジプト学で情報の欠けている場所を上手に見つけ、ゲリラ的に本を出してしまう人、という印象です。

2010年1月18日月曜日

Croom 2007


古代ローマにおける家具の研究書。ポンペイやエルコラーノ(ヘラクレネウム)などの遺跡から見つかっている家具についてはMols 1999のところで触れましたが、ローマの家具全体を概観した本と言うことになると、類書がないように思われます。
著者はイギリスの地方にある博物館の学芸員で、自分の勤務先に展示してある古代ローマの家具もカラー写真で公開。合計で100点に近い図版が用いられています。

Alexandra T. Croom,
Roman Furniture
(Tempus, Stroud, 2007)
192 p.

Contents:
List of figures (p. 7)
List of colour plates (p. 11)
List of tables (p. 13)
Acknowledgements (p. 14)
1. Introduction (p. 15)
2. The materials used in furniture (p. 19)
3. Beds and couches (p. 32)
4. Dining-couches (p. 46)
5. Soft furnishings for beds and couches (p. 56)
6. Dining-, serving- and display-tables (p. 68)
7. Desks and work-tables (p. 89)
8. Stools and benches (p. 97)
9. Chairs (p. 116)
10. Cupboards and shrines (p. 124)
11. Chests and boxes (p. 138)
12. Curtains and floor coverings (p. 144)
13. Furniture in use: farms and the poor (p. 150)
14. Furniture in use: multiple room houses (p. 155)
15. Furniture in use: the rich (p. 168)
16. Furniture in use: non-domestic furniture (p. 172)
17. Conclusion (p. 183)
Glossary (p. 184)
Bibliography (p. 186)
Index (p. 189)

目次を見ると、第12章ではカーテンや床の敷物までが扱われており、これが家具の範疇に入るのかと訝しく思われるのですけれども、イントロダクションではローマ法(ユスティニアヌス法典)における家具の定義がまず引用されていて、

"According to Roman law, 'furniture' consisted of: 'any apparatus belonging to the head of the household consisting of articles intended for everyday use which do not fall into any other category, as, for instance, Stores, Silver, Closing, Ornaments, or Apparatus of the land or the house' (Edicts of Justinian, 33.7; Watson 1985). In greater detail, these are identified as: 'tables, table legs, three-legged Delphic tables, benches, stool, beds (including those inlaid with silver), mattresses, coverlets, slippers, water jugs, basins, wash-basins, cendelabra, lamps and bowls. Likewise, common bronze vessels, that is ones which are not specially attributed to one place. Moreover, bookcases and cupboards. But there are those who rightly hold that bookcases and cupboards, if they are intended to contain books, clothing or utensils, are not included in furniture, because these objects themselves ... do not go with the apparatus of furniture' (ibid., 33.2)."
(p. 15)

と紹介されており、現在の考え方とちょっとずれているところが面白い。スリッパや、水壺、ランプなども家具と言われると、かなりの違和感。

CIL(Corpus Inscriptionum Latinarum)、あるいはSHA(Scriptores Historiae Augustae)など、ラテン語諸文献との摺り合わせに工夫がうかがわれ、これも注目される点です。Loeb Classical Libraryの刊行シリーズを前提とした記述。
エジプト学だと、Janssen 2009などでおこなわれている仕事で、実際にあった物品と、記述として残されているものとの対応関係を探る試みは、実はあまり多くありません。

2010年1月17日日曜日

Sakarovitch 1998


スペインのラバサ・ディアス(Rabasa Diaz 2000 (Japanese ed. 2009)を参照)と双璧をなす研究。扱われる時代も重なるところがあります。
ただ、こちらの方は建築書あるいは建築図面というものにこだわっているのが大きな特徴。最初の方で正投象・軸側投象・斜投象・透視投象の簡単な図解が示されています。

Joël Sakarovitch,
Épures d'architecture:
de la coupe des pierres à la géométrie descriptive XVIe-XIXe siècles.

Science Networks. Historical Studies, Volume 21
(Birkhäuser Verlag, Basel 1998)
xii, 427 p.

Table des matières:

Introduction (p. 1)

Chapitre I - La double projection dans le dessin d'architecture: une question de détail ? (p. 15)

Chapitre II - Taille des pierres et recherche des formes: L'ememple des descentes biaises (p. 95)
Les descentes biaises: (p. 149)

Chapitre III - La géométrie descriptive: une discipline révolutionnaire (p. 185)
Les leçons de l'Ecole normale de l'an III (p. 189)
La

à l'Ecole du génie de Mézières (p. 218)
Une discipline scolaire, une discipline révolutionnaire (p. 247)

Chapitre IV - Heurs et malheurs de l'enseignement de la géométrie descriptive au XIXe siècle (p. 283)
Diffusion et influence d'une nouvelle branche des mathématiques (p. 287)
Les applications de la géométrie descriptive (p. 299)
L'enseignement de la géométrie descriptive au XIXe siècle et la formation des ingénieurs en France (p. 319)

Conclusion (p. 343)
Annexes (p. 355)
Bibliographie (p. 399)
Index des noms cités (p. 421)

メソポタミアやエジプトといった古代の建築図面をいくらか紹介しているのも面白いところです(17〜31ページ)。しかしこの領域に関して第一に挙げられるべきHeisel 1993の本は参考文献に載っておらず、残念。情報が分断されている学問領域ですから、仕方ありません。

22ページの図4に掲げられているオストラコンは古代エジプトの建築図面として良く知られているもので、何人もの学者が言及していますが、この図面の最新の研究は2008年のClaire Simon-Boidotによる論考となります。Gabolde (ed.) 2008(Fs. J.-Cl. Goyon)を参照。
関東学院大学の関和明先生も、この図面については論文を書いていらっしゃいます。ダウンロードが可能。

関和明
「陶片に描かれた祠堂の図について:
古代エジプト建築における設計方法の研究3」
日本建築学会大会学術講演梗概集F、
1993年9月、pp. 1375-1376.

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004201658

31ページからは、中国の建築書「営造方式」 Ying Tsao Fa Shihが簡単に紹介されています。情報は基本的にニーダムの著書に負うところが多いから、あまり詳しくは論じられていません。Haselberger (ed.) 1999のところで「営造方式」が扱われていることに触れましたが、日本の建築書(木割書)についても世界で知ってもらいたいところ。

著者はTechniques et Architecture (April 1999)など、現代建築を扱うフランスの商業雑誌などにも立体截石術(ステレオトミー)の紹介記事を書いています。ラバサ・ディアスとはお互いに論文や著書の引用をし合っているさまが、特に巻末の参考文献の欄を見比べると良く了解されます。
21ページも続くこの参考文献のページは、ステレオトミーの分野に興味を抱く者にとってはきわめて重要。


2010年1月16日土曜日

Curto 1984


トリノ博物館に収蔵された古代エジプトの名品を次々と紹介する分厚い大型本で、高さは32センチ。図版を多数収めており、カラー写真も時々交えています。イタリア語で書かれていて、Scamuzzi 1963、またその2年後に出された英訳版のScamuzzi 1965の後に刊行されたもの。Scamuzziの本については、López 1978-1984 (O. Turin)を参照のこと。

Leospo 2001のところで触れた、Donadoni Roveri (ed.) 1988-1989による3巻本が出る前に出版された本で、Scamuzziによる本をどう改新するかが考えられています。
Curtoのこの本を乗り越えるため、3つのトピックを立ててさらなる書籍が4年後に出されている点も面白い。

Silvio Curto,
L'antico Egitto nel Museo Egizio di Torino
(Tipografia Trinese Editore, Torino, 1984)
367 p.

Indice generale:

Introduzione
La riscoperta dell'Egitto antico (p. 9)
Il deciframento (p. 14)
La ricostruzione della storia (p. 20)
Il Museo Egizio di Torino (p. 22)
Cronologia (p. 29)
Il sistema grafico egizio (p. 32)

La vicenda storica
Le origini (p. 41)
L'Antico Regno (p. 53)
Il Primo Periodo Intermedio (p. 77)
Il Medio Regio (p. 88)
Il Secondo Periodo Intermedio (p. 105)
Il Nuovo Regio (p. 109)
La XVIII dinastia (p. 109)
Il tempio di Ellesija (p. 135)
La XIX e XX dinastia (p. 141)
Deir el-Medina (p. 177)
Kha, architetto della necropoli reale (p. 201)
La religione (p. 219)
I credi e gli usi funerari (p. 244)
Le tecniche e le arti (p. 259)
Il Terzo Period Intermedio (p. 277)
L'epoca tolemaica e romana (p. 289)
L'Egitto bizantico e cristiano (p. 320)

Schede degli oggetti illustrati (p. 337)
Indice alfabetico dei nomi personali (p. 363)
Fonti iconografiche (p. 365)
Note (p. 366)

目次で明らかなように、年代順に、丁寧に追っていく構成がうかがわれます。トリノ博物館では新王国時代の遺物の点数が非常に多いため、このように古代エジプトの歴史を均等に論述することには困難が伴うかと思われるのですが、それをうまくこなしています。
Vassilika 2009ではまた別のやり方をとっていて、思い切って一般向けにハンディなガイドブックを供給しようとしたもの。同じ収蔵品を扱いながら、本としての表現がさまざまに変えられている点が非常に興味深い。
Moiso (ed.) 2008はまた、この博物館に貢献した偉大な考古学者に焦点を当てた本で、トリノ博物館から出版された本のリストも所収。

収蔵品を紹介する本というのは、規模の大きな美術館であるほどやりにくくなるわけですが、トリノ・エジプト博物館ではうまくおこなわれている方です。大英博物館、ルーヴル美術棺、あるいはメトロポリタン美術館などと違って、古代エジプトという時代に収蔵品が特化されている分、利点があるように見受けられます。

2010年1月15日金曜日

Loubes 1984


奇妙な題名の本ですが、「穴居住宅」というほどの意味の造語。地面を掘ってその中に住むというのは現在の日本ではなかなか考え難いことですけれども、ヨーロッパでは今でもそうした住居に住んでいる地域があります。イタリアの世界遺産、マテーラの洞窟住居はその典型。隣の中国でも見られます。もちろん日本でも、竪穴式住居が一般的な時代が続きました。

Jean-Paul Loubes,
Archi troglo.
(Parentheses, Roquevaire, 1984)
124 p.

Chapitre I: Fiction en architecture souterraine: de la realite a l'image
Chapitre II: Origines de l'architecture enterree
Chapitre III: architecture animale et troglodytisme
Chapitre IV: Typologie des formes troglodytiques
Chapitre V: L'Habitat troglodytique dans la peninsule iberique
Chapitre VI: Les troglodytes en Tunisie
Chapitre VII: Urbanisme troglodytique en Cappadoce
Chapitre VIII: L'habitat troglodytique en Chine
Chapitre IX: Urbanisme et troglodytisme: typologie des groupements
Chapitre X: Les espaces de l'architecture troglodytique
Chapitre XI: Illustrations
Annexe: Les parametres du climat souterrain

"Troglodyte"という単語が目次の各所に見受けられますが、ギリシア語に由来する「洞窟に住む人」のこと。近年、地球環境の変化が原因だと言われる異常気象の熱波や寒波で、ヨーロッパではたくさんの人が亡くなっています。穴居住居はそれ故、環境に優しい伝統的な住居として見直されつつあり、真面目に研究が進められています。
問題は上下水道や電気など、各種のエネルギーの供給で、それさえ解決すれば、室内が気候に左右されにくい穴居住宅は有利に働くという考え方。最後の付章では気候と室内環境を比較する分析をおこなっています。

第3章で、動物の巣を扱っているのは面白い。巣を「建築」と呼んでいます。地中に営巣する昆虫の活動に光を当てており、その合理性を強調しています。著者の姿勢がうかがわれるところです。
第5章はイベリア半島、すなわちポルトガルとスペインの住居を扱い、第6章はチュニジアのベルベル人たちの家、第7章ではお馴染みのカッパドキアの住居、第8章では中国の穴居住宅が登場します。

この著者は4年後に、中国の穴居住宅に注目した別の本を書いており、併読が望まれるところ。

Jean-Paul Loubes, preface de Pierre Clement,
Maisons creusees du fleuve jaune:
L'architecture troglodytique en Chine

(Creaphis, Paris, 1988)
140 p.

いずれも図版が多数含まれ、特に地下に掘り込んだ複雑なかたちを呈する不定形な平面図と断面図とが楽しめます。

2010年1月14日木曜日

McKenzie 1990


ヨルダンのペトラ遺跡に関する報告書で、何度も再版が出されている重要な本。マッケンジーによる本の紹介は2冊目です(McKenzie 2007を参照)。
レヴァントと呼ばれる東地中海岸地域は、古くから交通の要衝で良い場所であったため、諸民族が取り合いを長年続けています。「岩」という名を持つこのペトラも、その名残を伝える遺跡のひとつ。当方が持っているのは再版。

Judith McKenzie,
The Architecture of Petra.
British Academy Monographs in Archaeology, No. 1
(Reprint. Oxbow Books, Oxford, 2005.
Originally published by Oxford University Press,
Oxford, and in the United States by Oxford University
Press, New York, 1990, reprint 1995.)
xxii, 209 p., 245 plates, 9 maps

数多くの遺跡の図面と写真が収められています。と言っても高い懸崖に造立されたものがたくさんあるので、実測はほとんど不可能の状態。そのため、主なものはセオドライトによる簡単な測量と写真撮影から立面図を起こしています。
この点は妥当な判断と言うべきで、そうでなかったらいつまで経っても終わらない調査になっていたはず。

今だったら3Dスキャンという手があるけれども、これだって高価な精密機械を砂漠地帯へ持ち込む作業となり、面倒な問題がいくつも発生します。
成果を逆に考え、安価で簡単な作業の方法を後で決めていったふしが見られます。
墓の形式は比較的簡単で、単室の周囲に小部屋を配する形式が少なくないから、実測作業もそれほど大変ではなかったはず。

この報告書に厚みをもたらしているのは考察の部分で、アレキサンダー大王死後のヘレニズム文化を代表する遺構群であるために、エジプトのアレクサンドリアに残る建築との比較などをおこなっています。
ペトラの建築のファサードをタイプ別に分け、それぞれを図示している点も周到で注目されます。用語集として建築装飾を図入りで説明する丁寧さも見受けられます。
報告書はこうやって作るんだという、お手本のような本。
不満があるとしたら、徹頭徹尾、美術史学的な記録が図られた書だという点です。建築学的には、まだ記述すべき部分がありそうです。

なお、Oxbow Booksは中近東における考古学関連の書籍を扱う非常に有名な本屋さんで、研究者の多くが利用しています。

http://www.oxbowbooks.com/home.cfm/Location/Oxbow

メールを登録すると月1回の新刊案内などを送ってくれます。

2010年1月13日水曜日

Jacques (and Freeman) 1997


カンボジア・アンコール遺跡の解説書はたくさんありますが、日本で出ているものは観光の紹介に偏りすぎていたりする本が多く、あまり使いものになりません。この本を書いているクロード・ジャックは、アンコール遺跡の編年研究に筋道をつけたG. セデスの弟子で、碑文学者。プレ・アンコール時代から13世紀以降までを包括して取り扱っており、カラー写真が豊富に収められています。

Claude Jacques, photographs by Michael Freeman,
translation by Tom White,
Angkor: Cities and Temples
(Asia Books, Bangkok, 1997)
319 p.

平面図が多く紹介されているだけでなく、タ・プロームやプレア・カン、バイヨンなどについては複数の図面を用い、増改築の過程を説明しています。他の本では見られない、大きな特色です。
ただバイヨンについては建造過程の解釈に誤りがあり、J. デュマルセやO. クニンの考察を無視していますので、注意が必要。ジャックとデュマルセたちとの意見の相違は、第一回廊と第二回廊との間に立ち並んでいた16棟の「祠堂」の扱いに顕著です。Clark (ed.) 2007も参照。ジャックはこれらの創建を初期にまで遡らせたいようですが、痕跡からはそのように考えることのできる余地がまったくありません。

アンコール地域の遺構だけを扱っているため、サンボール・プレイ・クックやコー・ケル、あるいはコンポン・スヴァイのプレア・カン、プレア・ヴィヘア、バンテアイ・チュマールについては触れられていません。これらやカンボジアの外にあるピマイなどの遺跡については、また別の本が必要となります。出版社は異なるものの、姉妹巻として扱われるものに、

Claude Jacques and Philippe Lafond,
The Khmer Empire:
Cities and Sanctuaries from the 5th to the 13th Century

(River Books, Bangkok, 2007)
279 p.

があり、こちらもカラー写真がふんだんに掲載されています。

アンコール遺跡に関するガイドブックでお勧めしたいのは、

Jean Laur,
Angkor: temples et monuments
(Flammarion, Paris, 2002)
391 p.

で、英語版も出版されています。著者は建築家で、アンコールにおける保存修復にも携わりました。100ページあまりを費やして、最初にクメール文明の流れを説明し、石材の運搬経路を地図で示してもいます。こういう図は他の本には載っていないはず。このため、O. クニンの博士論文にもこの箇所が引用されているわけです。
クメールの遺跡にはすべて番号がつけられているのですが、それが明記されているのもLaurの本の特徴です。マイナーな「486」と呼ばれる遺跡も平面図が掲載されています。アンコール・トムの域内にあって、ラテライトで造られた基壇が後に砂岩で覆われている面白い建物。

なお、「踊り子の綱」として知られるプラサート・スープラの年代は13世紀ではなく、もっと遡って12世紀であろうと今日では判断されます。

2010年1月12日火曜日

Bruguier 1998-1999


カンボジアに残存するすべての遺構に関し、情報の網羅をめざした基礎台帳。最も基本となる文献です。東南アジア建築研究に際しては必携の書。遺構名からも、また著者名からも文献資料を検索することができます。第1巻は著作リストです。また第2巻は遺構番号や遺構名から引くための索引集。
エジプト学における、PMPorter and Moss, 8 vols. に相当する本。

Bruno Bruguier,
avec la collaboration de Phann Nady,
Bibliographie du Cambodge ancien, 2 vols.

Vol. I: Corpus bibliographique
(Ecole Francaise d'Extreme-Orient, Paris, 1998)
338 pp.

Vol. II: Tables et index
(Ecole Francaise d'Extreme-Orient, Paris, 1999)
367 pp.

例えば上智大学の石澤良昭先生による海外に向けた研究業績を調べたいのであれば、第1巻で "Ishizawa (Yoshiaki)" を引きます。
すると、pp. 172-179にかけて、延々と論文リストが並ぶさまを見ることができます。

また、アンコール・ワットについてどれだけ既往の研究資料があるのかを調べたかったら、第2巻を見ます。"Angkor Vat"の項を引くと、pp. 74-78にわたって数字・英文字の羅列が続きます。
これらはパリに本部があるフランス極東学院(EFEO: Ecole Francaise d'Extreme-Orient)に収蔵されている調査日誌のページ数や、省略して書かれた数多くの著作・論文名を列記したもの。
図面がどれだけ存在するかも同時に分かります。

ただし、10年前に出版されたものなので、最新の研究成果は反映されていません。
さらに問題なのは、未刊行資料が多いということです。実際に資料を見ようとすると、パリに行かなくてはならない(!)場合も出てくるように思われます。

半ば絶望を誘う書ですが,クメールの遺跡群に関する考察の糸口を見つけるための重要な本。書評では、ヨーロッパ主要国以外の研究者たちの論考が抜けている点などが指摘されてもいますが、PMだって初版はそんな感じのものでした。
エジプト学に関わる文献の一切を網羅しようとしているOEBOnline Egyptological Bibliographyのような試みが、次には模索されるかと想像されます。OEBの年間使用料は今、個人で申し込むと50ユーロ(7000円弱)。

2010年1月11日月曜日

Barletta 2001


古典古代建築におけるオーダーの起源をたずねる論考。5つのオーダーのうち、特にドリス式とイオニア式のオーダーについては不明な点が多いと従来、指摘されてきました。改めてこうした問題を探った書。

Barbara A. Barletta,
The Origins of the Greek Architectural Orders
(Cambridge University Press, Cambridge, 2001)
xi, 220 p.

Contents:
Preface
1. The Literary Evidence
2. The Archaeological Evidence: Proto-Geometric through the Seventh Century B.C.
3. The Emergence of the Doric "Order"
4. The Emergence of the Ionic "Order"
5. The Origins of the Orders: Reality and Theory
Conclusions: Interpretation and Implications
(以下略)

コリント式についてはある程度、資料があるのですけれども、ドリス式とイオニア式のオーダーのふたつに関しては、結論から言えばやはり分からないと言うことになりそうです。
石造のオーダー以前に木造のオーダーがあったかどうかについても、この人は否定しており、

"It is clear, however, that a direct translation of forms originally fashioned in another material, such as wood, cannot be supported by the archaeological evidence."
(p. 152)

と記しています。

著者は美術史を専門とする大学の教員です。
ここには不思議な分かれ道があって、建築を専門とする者にとっては「証拠がない」ことなどは、実は周知の事実です。建築にとって何が「真実」なのか、建築を構想することにおけるリアリティの問題がこの本ではすっかり抜け落ちていますが、これは逆の視点に立てば、建築の考え方において何を根拠として置いているのかが問われているわけで、その差異が面白い。

たぶん、建築の世界では想像すること、造る前に建築を想定することに大きな力点を置いているらしく思われます。それは他の分野の者から見れば、ただの空想でしかありません。
この、ただの空想でしかないと思われる事象に現実感を伴わせる空隙の充填、そういうところが建築の世界の面白さなのかもしれません。
「幻視者」、という言葉も建築史の世界ではしばしば用いられました。

オーダー成立に関わる資料を総ざらいしていますから、古代エジプト建築との関わりを考える際には有用な本となります。事実、エジプトの影響を示唆している箇所もありますが、明確な証拠は提示されていません。
建築の世界では、想像力で補強して架橋するということにも、一定の正当性を与えているらしく思われます。考え方の違いを浮彫りにする論考です。

2010年1月10日日曜日

Protzen 1993


インカ建築の技法書として、真っ先に挙げられる本。エジプトやミケーネなどの石造の例と適宜比較しながら、建造技術を丁寧に解説しています。
人間が石で建物を造る時、その扱いが時期や地域を問わず、半ば普遍的であったことが良く了解されます。
近年、スペイン語訳が出ました。

Jean-Pierre Protzen,
with original drawings by Robert Batson,
Inca Architecture and Construction at Ollantaytambo
(Oxford University Press, New York, 1993)
x, 303 p.

Contents:
Introduction (p. 3)
I The Site and Its Architecture
1. The Archaeological Complex of Ollantaytambo (p. 17)
2. The Settlement (p. 41)
3. The Fortress (p. 73)
4. The Callejón and Q'ellu Raqay (p. 95)
5. The Storehouses (p. 111)
6. The Quarries of Kachiqhata (p. 137)

II Construction Techniques
7. Construction Materials (p. 157)
8. Qarrying (p. 165)
9. Transporting (p. 175)
10. Cutting and Dressing (p. 185)
11. Fitting, Laying, and Handling (p. 191)
12. Mortared Masonry (p. 211)
13. Details of Design and Construction (p. 219)

III Construction Episodes
14. Evidence of Construction Phases (p. 241)
15. Chronology (p. 257)

Conclusion (p. 271)
Appendix: Storage Capacity of Qollqa at Ollantaytambo (p. 289)
Bibliography (p. 291)
Index (p. 297)

この本の魅力を言うならば、何といっても多数掲載されている図版で、石組みの様子が写真や図面で豊富に紹介されている点が見どころです。
石切場、運搬方法などから、巨石を並べた壁体の組み方、隙間に挿入された細長い石の帯、運搬に用いられた突起、石と石とを固定するために加えられたクランプなど、話題は多岐にわたっており、さらに石の転用、増改築の痕跡などについても言及されています。

古典古代建築を見慣れた人にはあっと驚くような石組みの詳細が披瀝されており、興味が尽きません。
つまりはそれまでの知識を攪乱されているような感じがあるわけで、奇妙なことをやっている、という印象を強く覚えます。エジプトと似た加工技術もいくらか見られますが、加工痕のありさまは全く違っています。

冒頭に置かれた章で語られる、古代ローマ帝国とインカ帝国との比較も面白かった。基本的な構成は一緒なのだが、実際はまるで異なっているという名状しがたい感覚。
いくらでも別の世界はあり得るんだ、ということを改めて知らされる本です。

2010年1月9日土曜日

LÄ (Lexikon der Ägyptologie) 1975-1992


図書館学における分類では「総記」というものがあって、「本に関する本」という位置を占めます。これに相当する書籍をどれだけ活用できるかが、文献探索の大きな鍵となります。
通称「レキシコン」は、世界のエジプト学者たちが総力を結集させた全7巻のエジプト学事典。基本中の基本の文献です。エジプト学における事典の最高峰。

Wolfgang Helck und Eberhard Otto (Herausgegeben von),
Lexikon der Ägyptologie, 7 Bände
(Otto Harrassowitz, Wiesbaden, 1975-1992)

難点は高額なことで、今、これを個人で全巻揃えて購入するならば、30万円以上は少なくともかかるかと思います。特にさまざまなインデックス・地図などを収めた厚い第7巻は、一冊で10万円以上もする代物。
簡略版も出ています。

この百科事典の第一巻が出てからすでに30年以上が経ち、改訂版の刊行が問題になっていますが、あまりにも膨大な量であるために、作業はほとんど進んでいないように見受けられます。ドイツ系の人たちによって執筆者が多く占められたというのも、いささか問題でした。

この事典はエジプト学を進めている研究機関には必ず置いてあり、福岡キャンパスの図書館にも揃っていますから、この本に慣れることがまず肝要かと思われます。
各項目の下には誰が執筆したかを略して記載していますので、引用の際には巻頭でその名前の略称を調べ、執筆者名を明記することが望まれます。

個人で手が届く事典ということになると、次には

Donald B. Redford (ed.),
The Oxford Encyclopedia of Ancient Egypt, 3 vols.
(Oxford University Press, New York, 2001)
ca. 1800 p.

当たりかもしれませんが、これでもたぶん、10万円ほどします。
薄くて説明が簡単でもいいからもっと安いものをということであれば、

Ian Shaw and Paul Nicholson太字,
British Museum Dictionary of Ancient Egypt
(British Museum Press, London, 1995)
328 p.

で、これは和訳も出版されています。改訂版も出ました(Shaw and Nicholson 2008 (2nd ed.))。
小さくカラー図版が載っている、フランスから出版されたものも別にあり、

Georges Posener,
Dictionnaire de la civilisation égyptienne
(Fernand Hazan, Paris, 1959)
x, 324 p.

も便利でした。

一方、あんまりお勧めできないのは、

Margaret Bunson,
The Encyclopedia of Ancient Egypt
(Facts on File, New York, 1991)
xv, 291 p.

などで、たいして役に立ちません。
大事なことは、事典も複数見るということだと思います。

2010年1月8日金曜日

Linley 1996


そのままズバリ、「ヘンな家具」というタイトルがつけられた本です。常識の度を超した大きな家具、えらく緻密な細工が施された家具、またあちこちが可動で、ハシゴや引き出しが隠されていたり、机の天板が広がったりするもの、その他という内容。

David Linley,
Extraordinary Furniture
(Reed International Books, London, 1996)
192 pp.

ほとんどのページでカラー図版が所収されており、中世から現代までの家具の中から、着目されるものを選んでいます。
著者は自分でも家具を作るために、会社まで立ち上げた人間。はっきり言って、長さが20メートルもある会議用のテーブルを手がけたりしている札付きの変人なので、家具の選び方がもう尋常ではなく、図版を見るだけで楽しめます。

「ただただ、好きなだけで資料を集めたので、学問的でも何でもない」という序文の記し方が、著者の姿勢を良くあらわしています。面白いものについては、皆で情報を共有しましょうよという考え方が明らか。

この本は、トランジットで寄ったタイ・バンコクのドンムアン空港内の本屋で見つけたものです。
買おうか、買わないでおこうかと、書店の棚で本を見つけて迷った際、今では事情の許す限り、できるだけ購入することにしています。あの時に無理してでも買っておけば良かったと、あとになって後悔したことがこれまで何度もありますので。
本屋で新しいものを見つけた、その楽しかった時間を後にもう一度繰り返したいという、その想いだけなんですけれども。

自分の仕事に直接は役立つはずもない書籍ですが、珍しい家具がかつて作られ、またそれに注目するごく少数の熱狂的な人たちがいて、さらに本の出版まで考えてしまうような、とっても奇矯な方もいる、そうしたことに改めて感慨を覚える佳作。

2010年1月7日木曜日

Bierbrier 1995 (3rd ed.)


エジプト学者の総覧です。物故者のみが対象となっていますけれども、きわめて便利。
例えばF. ピートリーがどのような本をかつて出版していたか、調べたい時にはまずこの本から見ればいい。特に弔辞の記事が注目されます。そこでは生涯で1000タイトルほど書いていることが、確か触れられているはずです。
学者が亡くなった時に書かれる弔辞にはたいてい、これまでの研究業績が長々と記されていますから、その参考文献の欄を追えば、リストはすぐさま入手できることになります。
小さな赤い本ですけれども、研究者必携の著作物。
英国のEESから出版されているという点は、面白く思われます。分厚い「紳士録」を出している国からの刊行物です。

M. L. Bierbrier,
Who was Who in Egyptology
(Egypt Exploration Society, London, 1995, 3rd ed.
First published by Warren R. Dawson in 1951)
xiv, 458 p.

日本人の物故者も、新版では掲載されるようになりました。たいへん喜ばしいことです。
最近EESから送られて来た”News and Events: Autumn/Winter 2008”, p. 6を見ると、改訂版が予定されているとのこと。
編者は変わらずBierbrierで、ただこの第4版の題名は、

"A Biographical Index of Egyptologists: of Travellers, Explorers, and Excavators in Egypt; of Collectors and Dealers in Egyptian Antiquities; of Consults, Officials, Authors, Benefactors, and others whose names occur in the Literature of Egyptology, from the year 1500 to the present day, but excluding persons now living"

となるそうで、2010年の出版予定だと書いてあります。
しかし19世紀でもあるまいし、本当にこんな途方もない長い題のまま出版されるのかどうか、はなはだ疑わしい。1500年からの文献も含めるという強い意欲は買いますが、編者のBierbrierももう若くはないはずで、2010年に予定通り、本当に出版されることを望みます。

「版が変わるに当たって、新しい本に誰を掲載するか推薦してください」、と募集しています。新たな情報や写真も欲しがっている模様。当然のことながら「送られてくるもの全部が掲載されるとは限りません」、という断り書きが一方でしてありますけれども、あるいは日本人研究者に関するまとまった情報を送る良い機会かもしれません。

似たような題を持つ本に、

Michael Rice,
Who's Who in Ancient Egypt
(Routledge, London, 1999)
lxi, 257 p.

があります。
こちらの方は、古代エジプトを彩る人物に関する簡単な事典。

2010年1月6日水曜日

Taylor 2003


ローマの建築に関する本というのは多数あって、エジプト建築の場合とは大きく違うところです。
要領よくローマ建築の建造過程が纏められた本で、ペーパーバックも出ています。

Rabun M. Taylor,
Roman Builders:
A Study in Architectural Process

(Cambridge University Press, Cambridge, 2003)
xvi, 303 p.

Contents:

List of Illustration (p. ix)
Acknowledgments (p. xv)
Introduction (p. 1)
1 Planning and Design (p. 21)
2 Laying the Groundwork (p. 59)
3 Walls, Piers, and Columns (p. 92)
4 Complex Armatures (p. 133)
5 Roofing and Vaulting (p. 174)
6 Decoration and Finishing (p. 212)
Notes (p. 257)
Glossary (p. 275)
References (p. 281)
Index (p. 293)

建築にまつわる雑多な作業を、だいたい6つに収斂させ、解説。
150枚の図版を収め、代表的な、見逃せないローマ時代の建築を追っている点が特徴。パンテオンの屋根がどうなっているかはヴィオレ=ル=デュクがすでに19世紀の終わりに考察していますが、その構築過程を改めて考え、新たに図を描き起こしていたりします。カラカラ帝の公共浴場、バールベックの巨大な神殿やコロセウムなどを中心とした図版も豊富。

これらの図版の扱いがいささか小さくなってしまっているのが難点で、たとえばポン・デュ・ガールの水道橋の石の組積で「右」、「左」、「中央」の略号と数字が刻まれているさま(p. 181, Fig. 100)は、掲載された写真でははっきりと視認できません。

J.-P. アダムの本、"Roman Building"(Adam 2007, 5e éd.)から、いくらか図が引用されていますし、クレンカーの図も同様に引かれています(Krencker und Zschietzschmann 1938などを参照)。18世紀の版画家、ピラネージの図解までもある。
建築技術の本というのは子供向けの絵本ととても似たところがあり、寿命を延ばそうと思ったら絵の描き方と枚数に気をつかわなければならないということを再度、思わせます。

序文で面白いと思わせる下りがあり、

"To him I owe the awakenings of my interest in structural design; and while my interest is that of an engaged amateur, he gave me reason to believe, when others would not, that the two cultures of science and humanities can be assimilated in interesting and refreshing ways." (p. xvi)

と記されています。ここには著者の飾らない気持ちと、広く世界を見渡そうとする意欲との両方がうまくあらわされています。

2010年1月5日火曜日

Krencker und Zschietzschmann 1938


「シリアのローマ神殿」という題の本。実際にはシリアとレバノンとの間に拡がるベカー高原を中心として、点々と両国のあちこちに残っている古代ローマ時代の神殿、その他の遺構を報告しています。
バールベックはそのベカー高原の中心に建てられたとてつもない大神殿で、もちろん別扱いとなり、この本では扱われません。バールベックに関する建築資料を補足するために書かれた2巻本。

テキスト編に収められている説明図は400枚を超えており、筆者たちの力量を伝えています。復原図も適宜作成されており、この作業量はすごい。建築調査は大変であったはず。

Daniel Krencker und Willy Zschietzschmann,
Römische Tempel in Syrien.
Archäologisches Institut des Deutschen Reiches,
Denkmäler antiker Architektur, Band 5.
2 Bände. (Text und Tafeln)
(Walter de Gruyter, Berlin, 1938)
xxv, 297 p. + vii, 118 Tafeln

図版編の最後の2枚の図面集は、縮尺を揃えて各遺構の平面図を並べて見せており、こういう提示の仕方をしないといけないんだと反省させられます。比較的大きなもの3つの基壇の規模はほとんど同じであるようにうかがわれ、規格のようなものが存在していたのではないかという点を疑わせます。

小さい建物を扱う場合のメリットというのは、少人数の隊でもじっくりと調べることができるという点で、ここでも随所に挿入された詳細図や写真から、足早に駆け回ったであろう調査の合間に、よく見ることがなされた跡を看取できます。エジプト様式を持つ大きな祭壇も報告されていて、大いに興味が惹かれるところ。

小神殿などを扱う書籍ですが、古代ローマ建築の豊饒さの片鱗がここでも明瞭に伝わる内容です。
冒頭にはO. PuchsteinB. Schulzへの追悼献辞があり、この2名はバールベックの報告書の執筆を、Krenckerとともに進めた人たち。古代エジプトのカルナック大神殿の報告書を出すような企画ですから、その苦労は並大抵ではなかったと思われます。
日本で喩えて言うならば、奈良六大寺大観の建築報告書を書く、そういうことに相当するでしょうか。

ドイツ隊による調査の成果を、後年になって纏め、出版した経緯が序文で書かれていますけれども、この過程の途中には第一次世界大戦を挟んでおり、ドイツ人研究者たちによる粘り強い姿勢を垣間見ることができます。
なお、1978年には再版も出版されました。

イタリア人研究者のL. クレマも古代ローマ建築に関する分厚い本をいくらか遅れて書いており、当然のことながら、この2巻本に目を通していることが分かります。この人の本(Crema 1959)もすごい。
D. クレンカーの名前は、Schiaparelli 1927でも出てきます。

2010年1月4日月曜日

Aufrère, Golvin et Goyon 1994-1997


「復原されたエジプト」というタイトルを持つ3巻本。多数の図版を収めており、きわめて有用。フランスの研究者たちが、非常にたくさんのエジプトの建築遺構に関し、復原された姿を提示しています。この本を際立たせているのは、多数掲載されているカラーの水彩画。ゴルヴァンによる作品です。
第1巻は上エジプトを、第2巻はカルガ、ダクラ、バハリア、シーワなどの砂漠のオアシスを、第3巻は中・下エジプトを扱っています。

Sydney Aufrère, Jean-Claude Golvin, Jean-Claude Goyon,
L'Égypte restituée, 3 vols.
(Editions Errance, Paris, 1994-1997)

Tome I: Sites et temples de Haute Égypte.
De l'apogée de la civilisation pharaonique à l'époque gréco-romaine
(Paris, 1ère éd. 1994; 2e éd. 1997), 270 p.

Tome 2: Sites et temples des déserts.
De la naissance de la civilisation pharaonique à l'époque gréco-romaine
(Paris, 1994), 278 p.

Tome 3: Sites, temples et pyramides de Moyenne et Basse Égypte.
De la naissance de la civilisation pharaonique à l'époque gréco-romaine
(Paris, 1997), 363 p.

ゴルヴァンはチュニジアのカルタゴや、リビアのレプティス・マグナなどの復原図も精力的に描いており、絵の達者な研究者。第1巻のみが版を重ねているのは、この巻が人気の高い観光地であるルクソールを含んでいるからだと思われます。
カルナック神殿については延々と詳しくその増築過程を説明しており、複雑な構成を見せるこの建物の変遷を見やすく提示。
カルナック神殿に関しては、

Jean-Claude Golvin et Jean-Claude Goyon,
Les bâtisseurs de Karnak
(CNRS, Paris, 1987)
141 p.

が重要。同じ著者たちがもっと詳細に解説していて、この本のドイツ語版もすでに出版されています。
上エジプトとは風景が異なって、ナイル川がいくつもの支流に分かれるために土地が島状に点在する下エジプトの様子を、例えばアヴァリスの復原図はうまく伝えています。

建物の復原図を描く場合に問題となるのは、複数の復原案がある時にどうするのかということですが、ここでは取捨選択がおこなわれており、案を並列させるということをしていません。
ディール・アル=バフリーのメンチュヘテプ2世の記念神殿の場合はアーノルドの復原案が採用されており、ピラミッドを上に載せたウィンロックの案、あるいは人工的に造られた丘に木を生やしたシュタデルマンの案は不採用。

アスワーンやアレキサンドリアなどに触れられていないのは残念なところ。しかし綺麗な復原図の魅力が3巻にわたって生かされており、ポスターとして復原図が別売りされている理由も良く分かります。

2010年1月3日日曜日

Naumann 1971 (2nd ed.)


小アジア、つまり現在のトルコ地域の建築を扱ったもので、内容は500ページを超え、図版も600点余りを収めます。著者はインスタンブールのドイツ考古学研究所の所長だった人。

Rudolf Naumann,
Architektur Kleinasiens von ihren Anfaengen bis zum Ende der hethitischen Zeit
(Verlag Ernst Wasmuth, Tübingen, 1971. 1. Auflage 1955, xi, 439 p., 491 Abbildungen)
xiii, 508 p. mit 615 Abbildungen, 2 Falttafeln.

本の題名は「小アジア建築、その始まりからヒッタイト時代の終わりまで」。数千年間に及ぶ建築の歴史が述べられます。
ヒッタイト帝国の首都であったハットゥシャ=ボアズキョイを自分で発掘調査をおこない、報告書まで出版している人の本なので、非常に詳しいのが特徴。類似する書籍は未だ出ていないはずです。
初版から第2版に至り、図版が100点以上追加されました。

ヒッタイトと言えば鉄ですが、この帝国が一番最初に鉄を自由に加工することを始めました。この国が衰えると、密かに隠されていた鉄の製法は世界に拡がっていきます。すなわちヒッタイトが滅びる紀元前12世紀というのは、人類史において非常に大きな意味を持ち、古代史では青銅器時代の終焉と鉄器時代の始まりを告げる画期的な時代をなすものですから、紀元前12世紀前とその後とに大きく2分して語られることがあるぐらいです。
ちなみに古代エジプトではラメセス時代に相当し、この国は田舎でしたから鉄が入ってくる時期が遅れました。王朝時代には鉄の製法が伝わっていないと見るのが通説です。

最初にトルコの地理や気候などに触れているのは、フェルナン・ブローデルの「フェリペニ世の時代における地中海と地中海世界」(1949年)を意識しているのかもしれません。次には建築材料として石や木、土、アスファルト、石灰などが紹介されます。
続いて建物の構造に話を移し、基礎から石積み、煉瓦積み、木材との混構造、柱、天井、窓や扉、階段、また水に関わる設備など事細かに類例を挙げていき、住居、城塞、塔、王宮、神殿などに話が及びます。

第2版は入手困難になりつつあります。
1970年の著者の60歳を祝う本も出ているようですが、未見。

Rudolf Naumann zum 60. Geburtstag am 18. 7. 1970.
Istanbuler Mitteilungen, Band 19/20.
368 p., 97 Zeichnungen, 78 Tafeln mit 233 Abbildungen.

2010年1月2日土曜日

Davies 1999


古代エジプトの新王国時代末期に栄えたディール・アル=マディーナと呼ばれる村にはどのような人が住んでいたのか、その人名録。こういう特殊な字引が造られるというのが面白い。オランダのレイデンを根城としている、ディール・アル=マディーナ研究シリーズのうちの一冊。およそ3200年前の村にいた人たちの調書でもあります。
J. チェルニーが創始し、J. J. ヤンセンが拡張したディール・アル=マディーナ学とも言うべき分野が、堅実に継承されていることを示す本。

Benedict G. Davies,
Who's Who at Deir el-Medina:
A Prosogographic Study of the Royal Workmen's Community.

Egyptologische Uitgaven XIII
(Nederlands Instituut voor het Nabije Oosten te Leiden, Leiden, 1999)
xxiv, 317 p., 47 charts.

ディール・アル=マディーナについてはサイトも開設されており、重要。
イギリス・フランス・アメリカ・ドイツ・ロシアなどにもこの村を調べている研究者たちがいて、オランダ語やイタリア語による既往の研究もあり、これらを辿ろうと志す初学者には試練となります。ヒエラティックで記されたオストラカは総数で一万点以上あるはずで、全部が出版されていない状態。グリフィス研究所にあるチェルニーのたくさんのノートにも全部は記されていなくて、未刊行資料をどれだけ知っているかがカギとなる世界。
著者は第19王朝の厖大な文字史料を概観する本も出しています。KRIの簡略版。

Benedict G. Davies,
Egyptian Historical Inscriptions of the Nineteenth Dynasty.
Documenta Mundi: Aegyptiaca 2
(Paul Åströms Förlag, Jonsered, 1997)
x, 363 p.

その前には、第18王朝の史料を訳してもいます。Urkunden IVの、ヘルクがやった仕事の英訳。

Benedict G. Davies,
Egyptian Historical Records of the Later Eighteenth Dynasty, Fascicles IV-VI
(Aris & Phillips, Warminster, 1992-1995. Translation from the original hieroglyphic text as published in Wolfgang Helck, "Urkunden der 18. Dynastie", Hefte 20-22).

Fascicle IV (1992)
xv, 78 p.

Fascicle V (1994)
xx, 103 p.

Fascicle VI (1995)
xxvi, 129 p.

2010年1月1日金曜日

Butler 1998


ピラミッドに関してはここ10年ほどで多くの本が出版されており、たいへんな興隆を見せています。アビュドスの初期王朝の王墓U-jの発掘報告書がドイツ隊によって刊行されたりした(1998年)のもひとつの要因。また、塚を含み持つようなマスタバの存在が再認識され、階段ピラミッドのかたちが出現した経緯が語られるようになりました。こうした近年におけるピラミッド学の前進はしかし、日本ではあまり紹介されていないのが残念です。

この本は第4王朝に光を当てて、その遺構群に幾何学的な分析を試みています。
ベンベン出版社はカナダの研究グループと繋がりをもっており、かつては縮尺を揃えたエジプト建築の図面集の刊行を予告したりしていましたが、最近は目にしないところを見ると断念された様子。メソポタミア建築ではこうした図面集がすでに出ており、非常に有用ですから、この種の企画は是非、実現してもらいたいところ。


Hadyn R. Butler,
Egyptian Pyramid Geometry:
Architectural and Mathematical Patterning in Dynasty IV Egyptian Pyramid Complexes

(Benben Publications, Mississauga, 1998)
xvii, 242 p.

ちょっと荒い図ですが、100枚以上の分析図を収めており、キュービット尺による完数が多く示されています。古代エジプトの数学についても紹介を2章にわたっておこなっており、丁寧です。第7章の、ギザ台地の高さ関係についての分析は珍しく、面白いところ。第4王朝のピラミッドだけではなく、第11章では続く第5王朝、第6王朝に属するものについても言及しています。

ただ、ひとつの考えに収斂を見せないのが弱く感じられ、どこまで行っても完数計画の実例を延々と並べ立てているような印象がなくもない。四角い建物の平面の完数を探るのは比較的簡単で、問題は少ないと思えます。
これがピラミッドとなると、平面は正方形になるけれども、角度にもまた簡単な決め方が求められ、それは高さの完数計画にも決定的な影響を与えるから、さまざまなヴァリエーションが生み出されます。特に、高さの計測はものさしを当てて測れるようなものでないから、平面の一辺を定める時とは違う精度が求められたはずです。

著者は在野の地質学者であるらしく、苦労がしのばれますが、ここでも建物がどのように計画され、また造られるのかという実際上の問題がまったく触れられていません。これがいつでも課題となり、多くの混乱を招き寄せているように思われます。

2009年12月31日木曜日

Haselberger (ed.) 1999


人間の眼は垂直や水平の線の知覚に敏感である一方、想像される重量感など、周囲の状況を含んで脳が判断するために、時として曲がったり傾いたりしているという誤った認識がもたらされることがあります。建築を造る際にはこれが支障となり、わざと真っ直ぐであるべき床や梁材をごく僅か、曲げたり傾けたりという視覚矯正がなされる場合が見られ、これが「リファインメント」と呼ばれます。
パルテノン神殿には直線がどこにもない、と言われるのはこのため。

Lothar Haselberger ed.,
Appearance and Essence:
Refinements of Classical Architecture; Curvature.

University Museum Monograph 107, Symposium Series 10.
Proceedings of the Second Williams Symposium on Classical Architecture, held at the University of Pennsylvania, Philadelphia, April 2-4, 1993
(The University Museum, University of Pennsylvania, Philadelphia, 1999)
xvi, 316 p.

意図的に歪ませるというこの手法について、専門家たちが集まり、世界で初めて開催されたシンポジウムの記録。J. J. Coulton, M. Korres, M. Wilson Jones, P. Grosなど、古典古代建築の研究において、とてもよく知られた学者たちによる発表が含まれています。
このシンポジウムを纏めているHaselbergerは、トルコにあるディディマのアポロ神殿に残されていた、柱が曲線を描きながら先細りとなっている設計の下図を報告した人。

Lothar Haselberger,
"Werkzeichnungen am Jüngeren Didymeion: Vorbericht",
Istanbuler Mitteilungen 30 (1980), pp. 191-215.

は日本でも伊藤重剛氏によって紹介されたりしていて、知られた論文。
「リファインメント」というのは、実は建築の事典に載っていないことが多く、

"This book focuses on curvature and other refinements of Classical architecture - subtle, intentional deviations from geometrical regularity, that left no line, no element of a structure truly straight, or vertical, or what it appears to be."
(p. v)

と冒頭にわざわざ説明が改めてなされてもいます。xvページに"Introductory Bibliography"が設けられており、ここでリファインメント研究の先駆者、F. C. PenroseW. H. GoodyearA. K. Orlandosたちの著作が挙げられています。

中国建築におけるリファインメント、としてHuei-Min Luという人が中国の建築書「営造方式 Ying-tsao Fa-shih」(1103年)を扱っています(pp. 289-292)。
この建築書については、竹島卓一「営造方式の研究」(1972年)が有名。J. ニーダムによる紹介もありますけれども、世界で本格的な解説書はこれしか出版されていません。日本人だけが「営造方式」の注解書を読むことができるという状況にあるため、この研究者もSsu-cheng Liang, A Pictorial History of Chinese Architecture (Cambridge, Mass. 1984)の図版を挙げつつも、日本語からの翻訳も掲げています。柱を中心に向けてごく僅か、傾けるという手法を簡単に紹介。

「営造方式の研究」の分厚い手書き原稿は、いったん1942年に完成されたものの、第二次世界大戦の空襲によって消失。にも関わらず、再度の執筆が開始され、1949年に学位論文として提出されたという経緯が知られています。及び難い、不屈の精神。
中央公論美術出版社から出された3巻本の「営造方式の研究」は、2000ページを超える大著。

会議が開催された1993年以降の研究も付加されており、また19世紀・20世紀の建築で見られる同様の手法が巻末にリストアップされています。建築意匠の普遍的な手法としてこの矯正を見ようとするあらわれで、面白い。

2009年12月24日木曜日

Bierbrier 2008 (2nd ed.)


M. L. ビアブライヤーによる古代エジプト歴史事典の改訂版。全体の約2/3が事典で各項目の短い解説。これにアペンディクスとして参考文献リストなどの諸情報が加わります。
図版はほとんど掲載されていません。

Morris L. Bierbrier,
Historical Dictionary of Ancient Egypt.
Historical Dictionaries of Ancient Civilizations and Historical Eras, No. 22
(The Scarecrow Press, Lanham, Maryland, 2008, second edition. First published in 1999)
xxxix, 427 p.

すでに同じく改訂を重ねている「大英博物館古代エジプト百科事典」、つまりShaw and Nicholson 2008 (2nd ed.)の存在が強力であるため、項目説明の部分はどうしても見劣りがするかもしれません。しかし各々の説明を短くすることで、逆に項目数を大幅に増やしています。

例えば117ページから"KV"(テーベの「王家の谷」の略称)の説明が始まり、その直後の"KV1"から128ページの"KV63"まで延々と続いているのが典型。また私人名、タイトル(職名・肩書き)などをたくさん取り入れており、"High Priest of Ptah"などという項目があるのも本書の特徴。 アペンディクスAでは、紀元7世紀まで及ぶ支配者たちの人名が列記されるなど、工夫されています。ビザンティン時代の皇帝たちなどをも含んだ長いリストです。
アペンディクスBは古代エジプトの遺物を収蔵している世界の博物館の住所録。とは言え、日本の博物館はふたつしか掲載されていませんが。 そのひとつは東京の"Ukebukuro"にあるそうです。併記されている郵便番号は3桁しか無く、一体いつ頃に得た情報なのかと疑われるところ。インターネットで確認することがおこなわれていません。

311ページから最後まで続く参考文献リストに、本書の特色が最もあらわれているかもしれません。ほぼ100ページにわたって、エジプト学に関する基本的な文献が網羅されているからです。古いもの、また英語で書かれたもの以外はなるべく外されるという手続きがここでも取られていますけれども。 全体は「歴史」、「美術と建築」、「宗教」、「言語と文学」、「数学と天文学」、「科学と技術」、「博物館の収蔵品」というように20項目ほどに分けられており、最初の"General Works"ではいわゆる「総記」が扱われています。
特に"Archaeology: Excavations and Surveys"では遺構名がアルファベット順に並んでいますから、ポーター&モス(Porter and Moss (PM), 8 Vols.)の簡略版がここに挿入されているともみなされます。有用です。 膨大な文献リスト。
ただし、文献の選択眼には揺らぎが感じられ、今ひとつ中途半端な感じが否めません。重要な書籍をすべて網羅しようとした訳ではない、ということは承知されますけれども、もう一工夫があっても良かったのではないかと惜しまれます。

村上 2006


美術家の本。金儲けと美術とを直接結びつけたとして注目を浴び、また反発を覚えた向きもあったのではないかと想像しますが、しかしそのこと自体は、たぶん建築の分野ではあまり珍しいことではありません。建築というのは、基本的に人のお金で建物を造る作業ですから。
そこが個人的には面白いところです。

村上隆
「芸術起業論」
(幻冬舎、2006年)
247 p.

芸大の美術学部日本画科を出て、博士課程修了という経歴を持ちます。
日本画の世界は江戸時代からの流れを未だに脈々と汲んでおり、たとえば美術年鑑を見たことのある人ならば、そこに系統図が載っていたりしたのを御存知かもしれません。
淋派や狩野派という言葉は、まだ生きています。先生の先生の先生…というように遡ると、江戸時代まで行くということです。

長く続く伝統の良さもあるのですが、一方でこれを束縛と感じる学生も、もちろんいるかと思います。昔、芸大卒制展と東京五美大卒業制作展が合同で上野の東京都美術館にて開催されていました。芸大、武蔵美、多摩美、女子美、造形大、日芸、各大学の作品を見比べることができましたが、当時は芸大日本画科の人たち、自由に出品ができなかったのでは。

記されている内容はしかし、ブルーノ・ラトゥール「科学が作られているとき:人類学的考察」(1987年)ときわめて近い部分があるかもしれないと思わせます。そう言えば、ラトゥールの本に繰り返し出てくるヤヌスのふたつの顔と、この本の装丁はそっくりです。
心を打つものを制作すれば、それは自然に注目されるようになるという考え方を真っ向から否定していますが、これは、学問において真実を発表すれば必ず広く認められるという大きな誤謬を突くラトゥールの考え方と酷似しています。

起業という言葉に鋭く反応するよりも、ここでは現在という時代における回路の積極的な恢復がめざされているのだと考えた方が分かりやすいと思われます。「ほんとうのこと」が今日では深く疑われており、それに対する過激な、また現実的な処方箋が提示されているのだということです。
本人がそれを実践しているのだから、説得力がある。

著者が芸大に提出した博士論文が「意味の無意味の意味」を巡る考察、というのも非常に興味深い。概念とメタ概念とを分ける考え方。
時代の空隙を見定める作業を続けている人なのだと言うことが、この題名だけでも伝わってきます。頭の回転が速い人なのだなと言うことも、同時に分かる題名の付け方です。

「です・ます」調で書かれているので、非常に読みやすい。海洋堂のプロ集団に認められていく経緯も面白いけれども、終盤のマチスとピカソとの対比がとても示唆的です。ウォーホールのやり方は分かる、という言い方にも興味が惹かれます。

Davies and Gardiner 1936


古代エジプトの絵画に関して網羅を図った代表的な著作で、第1巻と第2巻は高さが60cm以上もある大判の書籍。それぞれ50枚以上のきれいな図版を収めています。これもまたルーズリーフ形式で、各図版をバラバラにして見ることができます。全部で104枚の画集。第3巻は文章にて解説。
ニーナ・デーヴィスはエジプト学者の奥さんで、旦那と一緒にエジプトへ行くようになってから壁画の模写の仕事を覚え、有名な模写担当となりました。共同執筆者の相方は、優れた文字読みの研究者。

Nina M. Davies and Alan H. Gardiner,
Ancient Egyptian Paintings, 3 vols.
(The University of Chicago Press, Chicago, 1936)

Vol. I: I-LII Plates.
Vol. II: LIII-CIV plates.
Vol. III: Descriptive Text. xlviii, 209 p.

フランス語版も出ており、

Nina M. Davies, avec la collaboration de Alan H. Gardiner,
préface et adaptation de Albert Champdor,
La peinture égyptienne, 5 tomes.
Art et Archéologie
(Albert Guillot, Paris, 1953-1954)

はしかし、本の大きさも半分ぐらいに減じられているし、各々の巻に10枚ずつの図しか収めていません。
この2人による刊行物は他にもあって、ツタンカーメンに関するものでは

Nina M. Davies,
with explanatory text by Alan H. Gardiner,
Tutankhamun's Painted Box
(Oxford University Press for the Griffith Institute, Oxford, 1962)
22 p., 5 looseleaves.

を挙げることができ、これは長さ62cmほどの薄い木箱に入っている本。エジプト学に関する刊行物の中でも、こうした体裁はとても珍しい。
テーベの墓、アメンエムハト(TT82)についての本も彼らによるものです。夫やガーディナーたちに支えられて出版されていることが明瞭。

Nina de Garis Davies and Alan H. Gardiner,
The Tomb of Amenemhet (No. 82).
The Theban Tombs Series: Edited by Norman de Garis Davies and Alan H. Gardiner.
First and Introductory Memoir
(Egypt Exploration Fund, London, 1915)
vii, 132 p., XLVI plates.

彼女は単独で、テーベの墓の壁画についての抜粋も出しています。

Nina de Garis Davies,
Private Tombs at Thebes IV:
Scenes from Some Theban Tombs (Nos. 38, 66, 162, with excerpts from 81)
(Griffith Institute, Oxford, 1963)
xi, XXIV plates.

「エジプトの絵画」という、薄くて小さな本も1954年に執筆していますが、これはもう顧みられることが極めて少ない刊行物。