2010年7月9日金曜日

Davies (ed.) 1991


大英博物館にエジプトとアフリカを紹介する新たなギャラリーができたことを記念して企画された本で、有名な研究者たちによる論考が30編、集められています。こういうことが実現できる点は、さすが大英博物館の力量。

註の振り方には2種類がうかがわれ、無理して全体の体裁を整えようとしていません。多くの執筆者たちから原稿を集める場合の本では、しばしば見られる形式ですが、特にこの本では豪華な顔ぶれが揃っており、文書の煩雑な手直しを避け、オリジナルの形式を尊重したと見ることができます。
抜刷の配布を考慮していないページネーションで、偶数ページから始まる論文も奇数ページから始まる論文も両方あります。

W. V. Davies ed.,
Egypt and Africa:
Nubia from Prehistory to Islam

(British Museum Press in association with the Egypt Exploration Society, 1991)
x, 320 p., 16 plates.

エジプトと地中海沿岸地域、あるいはエジプトと西アジアとの関連などはかねてより指摘され、古い時代から論じられてきましたが、ここではエジプトの南方に位置するスーダンとの関わりが注目されています。
現在ではスーダンに数十の外国調査隊が入っているらしく、これは今のエジプトが新たな発掘調査の申請を一切認めていなかったり、あるいは申請の継続が打ち切られていたりしている事情も、いくらか反映している様子。
スーダンの遺跡は近年、劇的にアクセスしやすくなっており、すぐそばまで舗装道路が整備されていると聞いています。

レプシウスの「デンクメーラー」(Lepsius 1849-1913; cf. Description 1809-1818)ではヌビア地域まで範疇に含めていましたが、エジプト学が深化するにつれ、ヌビア地域は次第に別扱いされるようになりました。
この地域を扱う専門雑誌としては、メロイティカなどが有名です。

Meroitica
http://www.meroitica.de/

さてこの本に掲載されている論考で興味を惹くものを挙げるならば、

F. Geus,
"Burial Custums in the Upper Main Nile: An Overview,"
pp. 57-73.

は、4千年紀からの埋葬方法の違いを概観したもので、多数の墓が図解され、参考になります。

B. Williams,
"A Prospectus for Exploring the Historical Essence of Ancient Nubia,"
pp. 74-91.

もまた、この地域における長い発掘の経験を生かし、墳墓形式の変遷を辿っています。

F. W. Hinkel,
"The Process of Planning in Meroitic Architecture,"
pp. 220-233.

は、主としてバダウィの理論をもとに建築平面を分析したもので、1キュービット=52.3cmをもとにした分割と8:5理論を展開していますが、より詳しい検討が待たれるところ。個人的には問題がある論考だという印象が強い。

T. Kendall,
"The Napatan Palace at Gebel Barkal: A First Look at B 1200,"
pp. 302-313.

は、オコーナーの考察に基づいて"Palace"を論じたもので、面白い考え方を展開しています。

最後にDaviesが大英博物館に収蔵されている関連の品を列挙しており、情報の公開に努めています。大英博物館ではエジプト部門が拡張され、エジプト・スーダン部門と名称が変更になりました。
エジプト学を少し拡げて考えようとする動きのあらわれと思われる一方、人文科学の分野にはもはや研究費が充分に回らなくなってきている背景も感じられます。

2010年7月6日火曜日

泉井 1978


「数」という存在に言語学から触れた書。この書籍をどういう経緯で入手したのか、もう忘れてしまいましたが、今でも時折読み返すことのある印象深い好著です。

日本語では単数と複数との区別があんまりはっきりとはしていません。でも、これを厳密におこなう言葉は多くあります。この傾向は、特に古代語においては顕著でした。
単数と複数の他に、双数(両数)という概念があり、これはサンスクリットや、また印欧語ではないけれども、古代エジプト語でも見られますし、現在でも例えばアラビア語ではっきりと区別がなされます。本来、2つが揃って然るべき存在に、単数とも複数とも異なるかたちが与えられるわけです。
本書はまず、そこを探ることから始まります。

大昔の人間は数をどう捉えていたか、その意識をどのように言語へ定着させたかが語られ、興味深い本です。

泉井久之助
「印欧語における数の現象」
(大修館書店、1978年)
x, 225 p.

目次:
第一部 複数・単数・複個数 ー顕点と潜点ー
第二部 双数について ーその機能と起源ー
補説  数詞の世界

複数形を明瞭に持たない日本人にとって、名詞の単複の使い分けというのは理解しがたい部分があるわけですけれども、著者はさらに、印欧語には「巨数」あるいは「漠数」という概念が潜在するのではないかと論じています(p. 47ff)。

さらに注意が惹かれる点は巻末の「数詞の進法」(p. 210ff)において述べられる内容です。
原共通印欧語では何故、5が「~と」という意味合いを有する語尾を持つのか、また8がどうして双数形をとるのか(!)を述べています。

フランス語で80のことを、「20が4つ」という言い方をするのは知られていますが、これと似たようなことが古い印欧語でうかがわれるという指摘がなされています。4をひとつのまとまりとして捉えるような感覚があったに違いない、という指摘はとても面白い。
4,8と至って、その次の9にはそれ故に、「新しい」という含意が認められ、ラテン語でもサンスクリットでも、数字の9は「新しい」という言葉と共通の語根を持つのだという指摘にも驚きます。
十進法とはまるで異なる世界が、そこでは開示されています。

現代人にとって、数字の記法とは単に量の増減があるだけの、限りなく平坦に展延されるだけの世界の話となりますが、かつてはそこに不思議な起伏があったことが指摘されています。
「だから何なの?」という疑問を持たれる方には不用の書。
しかし数をかぞえるという素朴な行為の中に、かつては異なった意識や観念の投影がさまざまにあったのだという点に興味を持たれる方にとっては、たぶん読んで失望しない著作です。

2010年7月4日日曜日

Herz and Waelkens (eds.) 1988


古代における大理石の用法を扱った国際学術会議の報告書。古代ローマの石切場、また石の輸出入に関する研究はワード・パーキンスによって本格的に開始されましたが、その遺志を継承しての国際会議。ワード・パーキンスについては、Dodge and Ward-Perkins (eds.) 1992などを参照。
岩石学、経済学、技術史学、考古学、建築学など、多岐にわたる学際的な内容です。

Norman Herz and Marc Waelkens (eds.),
Classical Marble:
Geochemistry, Technology, Trade.

Proceedings of the NATO Advanced Research Workshop on Marble in Ancient Greece and Rome:
Geology, Quarries, Commerce, Artifacts.
Il Ciocco, Lucca, Italy, May 9-13, 1988.
NATO Advanced Science Institutes (ASI), Series E
(Applied Science), Vol. 153
(Kluwer Academic Publishers, Dordrecht, 1988)
xvi, 482 p.

大理石は古代ローマや古代ギリシアにおいて好んで使われた石材で、これを専門的に研究する特殊な学会もあります。

ASMOSIA
(Association for the Study of Marble and Other Stones used In Antiquity)

というのがそれで、同じ石材を前にしながらも、立場が違うとこんなにも見るところが異なるのだという点が面白い。論考の多くは古代社会の経済に関わる研究と、採掘技法や労働組織についての注視、また科学分析を通じての時代・地域の同定、そういうことになります。
これらの論考をまとめて見据えようという難しいことをやっているのが共同編集者のHerzとWaelkensで、ふたりともこの分野では第一人者です。

このような本を手にすると、大理石という石の魅力が未だ強く放たれているという事実を思い知らされます。透過性があり、柔らかく、艶やかさを有するという独特の素材。
透き通る人間の肌と似た質感がある唯一の石と言ってよく、石膏製の模像と実物の大理石像との違いは大きい。

エジプト学が、ここにどういうかたちで関係するかはしかし、微妙です。もっと相互の論議がなされてもいい。

Kemp and O'Connor 1974


水中考古学の専門誌に掲載された、アメンヘテプ3世のマルカタ王宮調査に関する重要な調査報告。マルカタ王宮に関する報告の数は、それほど多くはありません。アクエンアテン(アケナテン)によるアマルナ王宮とは大きく異なる点となります。

アマルナ王宮調査は最初にピートリが手がけ、その後にドイツ隊も居住区を発掘し、イギリス隊が引き継いで大規模な調査をしていますから、報告書の冊数はかなりのものとなります。
一方、マルカタ王宮の場合はダレッシー、及びタイトゥスによる報告の後、メトロポリタン美術館による1910〜1920年の調査の短報が続き、JNESに掲載された1950年代の報告のあと、次いで1970年前半におけるアメリカ隊の調査がなされますが、そのアメリカ隊による概報がこの論文。
他にはペンシルヴァニア大学博物館の紀要にもオコーナーによって書かれましたけれども、僅か2ページの内容で、あまり参考にはなりません。

従って、マルカタ王宮の既往研究のうち、第一次資料を知ろうとした場合には、ダレッシーのフランス語を6ページ、タイトゥスの英語を20ページほど、メトロポリタン美術館による短報、それから1950年代に執筆された出土文字資料の分析をおこなったJNESの英語報告を60ページほど、それにこの文を読めば、だいたい足りることになるかと思います。
最近、アメリカの連中たちによって設けられたマルカタ王宮に関するサイト、

iMalqata
http://imalqata.wordpress.com/

の"Reports"のページでは現在、上記のだいたいが「不法に」PDFファイルにて一般に公開されており、ダウンロードすることができます(!)。
こういうこと、本当にやってもいいんですか。JSTORからダウンロードしたファイルをそのまま一般公開するなど、とっても大胆。

マルカタについては、ペリカン・ヒストリー・オブ・アートのシリーズに載せられたスミスの文章(Smith 1998 (3rd ed.))も見る必要があるかもしれませんが、これもそんなに長くありません。
エジプト学において王宮はそれほど研究は進んでなくて、というよりも、古代中近東の王宮・宮殿の研究というのは穴ばかりなのであって、その点は今まで指摘してきた通り。
「王宮」と呼ばれるものも、"religious palace"か、それとも"residential palace"なのかがずっと論議されてきている、なあんていうことを初めて知る方は多いはず。で、古代中近東において、"residential palace"と仮に呼ばれているものは、実は残っていないに等しいのです。
先日、西アジア考古学会に出席し、講演にてシュメールにおける宮殿建築の新たな解釈について興味深く拝聴させていただきましたけれども、半ば予想されたことかとも思われました。ここでは、Hitchcock 2000にてうかがわれた問題提起を再度、思い起こすべき。
すでに、Hägg and Marinatos (eds.) 1987, The Functions of Minoan Palacesでも同様のモティーフは指摘されていました。王が実際に居住した痕跡というのは、どの遺構でも考古学的にはほとんど検出できていない状況であるはずです。

Barry Kemp and David O'Connor,
"An Ancient Nile Harbour: University Museum Excavations at the 'Birket Habu'",
in The International Journal of Nautical Archaeology and Underwater Exploration (1974), 3:1,
pp. 101-136, 182.

この雑誌名は今では、International Journal of Nautical Archaeology (IJNA)というふうに、短く縮められたようです。
全体はふたつに分かれ、最初にオコーナーが7ページ、交通路として使われたナイル川の重要性とナイルの港湾施設について述べています。これを引き継ぎ、ケンプが調査の目的とその成果を記すという構成です。

マルカタ王宮の中心地はメトロポリタン美術館によってほぼ完掘がなされていますから、それより対象を広げ、特に人工的に造られた近傍の湖「ビルケット・ハブ」に焦点が当てられた調査。
エジプト人は湖を造営するために矩形をなす湖の輪郭に沿って、掘削した土砂を捨て、山が連なるかたちに仕上げました。これは景観を考慮しているのではないか、また土砂の運搬経路を勘案した結果ではないかと書いている点などに、ケンプの才覚が感じられます。世界最初のランドアートではないかとも述べており、人工湖の用途としては日乾煉瓦のための採掘地・祭祀施設・娯楽施設と、3つ挙げています。

サイトKと呼ばれる場所はその小山の一角に当たり、ここから彩画片と煉瓦スタンプ、「セド祭のためのワイン」と記された土器片が見つかっています。セド祭のための小建築が壊されて、ここに廃棄されたと考えられており、非常に重要な発見。それまで同じセド祭のための施設であったと思われてきた「魚の丘」建築を、ではどう考えるかという疑問に繋がります。
サイトKで見つかった建物の残骸は、もしかしたら「魚の丘」建築のものではないかという話は、未だ突き詰められていません。煉瓦スタンプから考えて、別のものだという感触が与えられますが、しかし双方の彩画片は未だ詳しく比較されていない状況にあります。
なお、サイトKから出土した彩画片の特徴については、すでにギリシアの研究家が英語とギリシア語で短く発表済み。

何が分かっていて、何が分かっていないのか。マルカタではそれがまだうまく整理されていません。その点が興味深いところです。
このページでは、マルカタ王宮については結構多く触れてきました。
「マルカタ」、「Malkata」、「Malqata」などを検索していただければ。

2010年7月2日金曜日

Hawass and Richards (eds.) 2007 (Fs. David B. O'Connor)


D. B. オコーナーへの献呈論文集。オコーナーについてはアビュドスの重厚な本について触れました(O'Connor 2009)。ザヒ・ハワース・他が編集し、またSCAから出版された2巻本です。このふたりは共にアメリカのエジプト学者、オコーナーの教え子。

Zahi A. Hawass and Janet Richards eds.,
The Archaeology and Art of Ancient Egypt:
Essays in Honor of David B. O'Connor
. 2 Vols.
Annales du Service des Antiquités de l'Égypte, Cahier No. 36
(Publications du Conseil Suprême des Antiquités de l'Égypte, Le Caire, 2007)
Vol. I: xxvi, 462 pp.
Vol. II: x, 476 pp.

2冊を合わせると1000ページ近くになるこの本には多数の者が論文を寄稿しており、エジプト学における献呈論文集としては珍しいことに全員が英語で執筆しています。
両巻ともページが1から始まるので、混同する恐れがあるかも。
例によって、建築に関わる論考だけを取り上げるならば、

Dieter Arnold,
"Buried in Two Tombs? Remarks on 'Cenotaphs' in the Middle Kingdom",
Vol. I, pp. 55-61.

「セノタフ Cenotaph(空墓)」というのは、エジプト学の専門用語。この語はしかし、Shaw and Nicholson 2008 (2nd ed.)では項目立てされていなくて、一般には分かりにくい。アーノルドはすでに、Arnold 2003, p. 50で解説しています。

"Duplicates of tombs, or false tombs, were erected either at the burial sites of several kings (South Tomb in the Djoser precinct, Mentuhotep's temple with the Bab el-Hosan), or as separate structures at Abydos (Osiris tomb, Senwosret III). Private commemorative chapels without a tomb were also set up at Abydos in the Middle Kingdom. (.....) Conflicting interpretations exist concerning the concept of multiple burial places, for example places for statue burials, Osiris tomb, ka-tomb, the duality of Upper and Lower Egypt, tomb for the placenta of the king or Sokar tomb, as well as the survival of earlier, locally divergent burial practices."(抜粋)

単に遺体が収められていない見せかけの墓だけを指す言葉ではないため、面倒なことになっています。これに輪をかけて、錯綜する情報を提示。
61ページの参考文献の欄では、Der Tempel des Königs Mentuhotep von Deir el-Bahari I (Mainz 1974)が、H. アルテンミューラーによって書かれていることになっています(!)。こういう誤りは珍しい。
原稿の最終チェックは、ま、いいやという建築家らしいアバウトさ。

個人的には、B. J. Kempがアマルナにおける被葬者の向きなどを述べたものに興味が惹かれました。

Barry Kemp,
"The Orientation of Burials at Tell el-Amarna",
Vol. II, pp. 21-31.

ここには古代エジプト建築の向きに関するK. スペンスの博士論文が註として挙げられており、建築史関係者は注意を向けておく必要があります。
エジプト学の百科事典では「向き」について項目があるけれども、説明は簡単。A. バダウィは建築家でしたから、建物の向きについては専門家として気にしていました。3巻からなる彼の主著(Badawy 1954-1968)では、説明をある程度おこなっていますけれども、そのトピックを掘り下げた博士論文。

他には、M. LehnerF. Sadaranganiがギザの労働者集合住居における造り付けの寝台について書いているのが面白かった。

Mark Lehner and Freya Sadarangani,
"Beds for Bowabs in a Pyramid City",
Vol. II, pp. 59-81.

またG. Robinsは、ツタンカーメン王墓における装飾計画を比較的長めに説明しています。

Gay Robins,
"The Decorative Program in the Tomb of Tutankhamun (KV 62)",
Vol. II, pp. 321-342.

2010年6月27日日曜日

Bleiberg and Freed (eds.) 1991


ラメセス2世に関する国際シンポジウムの記録。本の題名は、イギリスの代表的な詩人シェリーの、非常に有名な詩の一節から採られています。

Edward Bleiberg and Rita Freed eds.,
Fragments of a Shattered Visage:
The Proceedings of the International Symposium of Ramesses the Great
.
Monographs of the Institute of Egyptian Art and Archaeology, 1.
Series editor: William J. Murnane
(Memphis State University, Memphis, 1991).
v, 269 p.

さてこの薄ピンク色のペーパーバック、錚々たる顔ぶれが論考を寄せているため、新王国時代後期に興味を持っている人なら必ず見たいと思わせる書籍。
外見は安っぽいんですけれども、中身はきわめて重要です。16編の論考が掲載されていますが、建築関連ならばケラー、キッチン、オコーナー、そしてシュタデルマンの4本の論文は必読。

一番長い分量を書いているのはフランスの大御所ノーブルクールですが、2番目に長い文を寄稿しているケラーの内容は、壁画を専門とする人間にとって欠くことができない内容を伝えています。

C. A. Keller,
"Royal Painters: Deir el-Medina in Dynasty XIX"
pp. 50-86.

NARCE 115 (1981)に書かれたモティーフが、10年を経てこういうかたちに展開されるのかという思い。何しろ3200年前の画工の個人を特定しようという恐るべき試みであるわけで、絵画に対する情熱を持っていないと論旨についていけません。
この論文が何故、建築に関わりがあるかと言うならば、それは岩窟墓の造営作業に関わった労働者集団組織の編成をどう考えるかという問題と繋がるからです。王家の谷の岩窟墓は「右班」と「左班」とによって掘削され、仕上げが施されました。この時の「右班」と「左班」は、実際に墓の右と左をそれぞれ担当したのであろうとチェルニーが書いています。ただしガーディナーは右と左について、墓の奥から見た場合の右と左であることを言及していますので、留意されるべき。墓の入口から見た左右ではありません。
このチェルニーの見方への反論であるわけですが、建造作業の場合は、また別の見方が必要であろうと思われます。

Kenneth A. Kitchen,
"Towards a Reconstruction of Ramesside Memphis",
pp. 87-104.

キッチンは汚い絵を数枚掲載していますが、その殴り書きに近いメンフィスの全体見取り図が、少なくともこれから長く引用され続けるであろうということをはっきりと意識しています。意図的に乱暴な描き方をすることで、考え方の骨格だけを正確に伝えるという見事な表現。図面は綺麗に描くほど価値があると考えている凡庸な研究者たちに、根本的な批判を与える図と言っていい。単に多忙だから汚い絵を出していると思っていると大きく間違えます。

David O'Connor,
"Mirror of the Cosmos: The Palace of Merenptah",
pp. 167-198.

オコーナーに対しては、ちょっと厳しい見方をすべきだと僕は考えています。メルエンプタハの宮殿を発掘したのはペンシルヴェニア大学の博物館で、壮大なことを書く前に、後継者はもう少し細かい情報を出して欲しかった。
エジプトの王宮について調べようと思ったら、しかし彼のこの論考は疑いもなく、最重要の部類に入ります。事実、多く引用されている論文。

Rainer Stadelmann,
"The Mortuary Temple of Seti I at Gurna: Excavation and Restoration",
pp. 251-269.

MDAIKで発掘調査の経過を追っている人は、読む必要がないかもしれない。
シュタデルマンによるセティ1世葬祭殿の建築報告書は、たぶんもう出版されないのではないかと個人的に思っていますが。彼による論考もまた、王宮建築の研究者にとっては重要。

活躍していたWilliam J. Murnaneが亡くなってしまいました。これが非常に残念です。ここではシリーズ・エディターとして登場。

2010年6月26日土曜日

Hinz 1955


イスラームでも時代や地域によって度量衡が変わり、特に長さについて調べることは建築の世界では重要な作業となります。しかし、これが案外と見つけ出しにくくて大変。
それらの情報をひとつにまとめた薄い冊子です。

Walther Hinz,
Islamische Masse und Gewichte umgerechnet ins metrische System.
Handbuch der Orientalistik:
Ergänzungsband 1, Heft 1
(Brill, Leiden, 1955)
(viii), 66 p.

長さについては54ページから記述が始まります。長さにも何種類もあって複雑ですが、たとえばカイロにおける1ディラー=58センチメートル、なんていうことが書いてあり、その後にダマスカス、アレッポ、トリポリ、エルサレム、イラク、イラン、インドの場合、というように説明が続きます。

イスラームのことを調べるのであったら、専門の研究者は自分のコンピュータにインストールしている「エンサイクロペディア」で索引をかけるのかもしれません。これはライデンのブリルから出ている権威ある事典。
CD-ROMも販売されるようになりました。

P. J. Bearman, Th. Bianquis, C. E. Bosworth, E. van Donzel and W. P. Heinrichs eds.,
The Encyclopaedia of Islam
CD-ROM
(Brill, Leiden, 2005)

15000項目以上もあり、冊子体では12巻で供給されます。第3版の刊行が始まっていて、これの完結にはまだまだ時間を要するはずですから、第2版を用いるのが現実的。
CD-ROMとは言え、10万円以上もします。ブリルの会員になると最新情報も含め、オンラインで見ることもできますけれども、こちらも高額で、個人では手が出にくいというのが現状。
簡略版もあって、

H. A. R. Gibb and J. H. Kramers eds.,
Shorter Encyclopaedia of Islam
(Brill, Leiden, 1997)
viii, 671 p., 2 plans, 7 plates

これだったら1万円ほどで購入ができるはず。古本では5000円以下で入手が可能です。イスラームに興味を抱く大学院生であったら、たいてい持っているのではと思われる本。これに匹敵する書籍が少ないものですから、人気の高い出版物。

ビザンティンからイスラームに変えられた遺構というものもあり、このためにビザンティンにおける長さの情報も見ることを強いられます。
ビザンティンの度量衡の決定版は、

Erich Schilbach,
Byzantinische Metrologie.
Handbuch der Altertumswissenschaft, XII, Teil 4
(Verlag C. H. Beck, Munchen, 1970)
xxix, 291 p.

で、pp. 13-55において長さに関する記述が見られます。
前時代における古代ローマの尺度ではなく、古代ギリシアの尺度に基づいて長さが決定されたのではないかという考察が重要。

2010年6月25日金曜日

Jomard 1809


「エジプト誌」の全巻が、今ではネットで見られることについて、すでにDescription 1809-1818にて述べました。ナポレオンによる「エジプト誌」にはテキスト編も含まれており、ジョマールはここに論考を複数、載せています。
欧州に留学中の安岡義文氏による情報。彼にはこれまでも、いろいろ貴重な最新の文献案内を送ってもらっており、多謝。BiOrの書評などを執筆していますから、興味ある方は御覧ください。

「エジプト誌」が誰にでも公開されているということは、すごいこと。逆に言うと、ここで触れられている内容を知らなければ「素人」とほとんど変わりないと判断されるわけで、辛い立場ともなります。

ここで取り上げる文章は全8章から構成され、古代エジプトの尺度に関して述べたもので、ニュートンによる52センチメートルという説を冒頭で一蹴し、これに代わる46センチメートルという値を主張して論理を展開している大論文。300ページ以上を費やしています。
ナポレオンの調査隊によってもたらされた数々の実測値をもとにした換算のリストだけでなく、古代ギリシア・ローマ、そしてアラブ世界の著述家たちによる「ジラー」を主とする長さの記述もくまなく参照しており、膨大な資料を駆使したその論述内容は、19世紀の博物学的方法の最後を飾るにふさわしい。オベリスクの寸法についても分析をおこなっています。

しかしこの頃に始まるさまざまな盗掘によって、長さ52センチメートルのものさしが実際に次々と発見されるようになります。この成果を受けてレプシウスが登場し、尺度の問題にはある程度のけりをつけました。Lepsius 1865 (English ed. 2000)を参照。
「ある程度の」というのは、実はレプシウスはジョマールの考え方を「小キュービット」として一部、残したからで、ここに混乱のもとがあると言えないこともない。レプシウスによるこのジョマール説の「救済」の方法に関しては、もっと議論があって然るべきだと思われます。G. ロビンスも、そこまで踏み込んではいません。

Edme Francois Jomard,
"Memoire sur le systeme metrique des anciens egyptiens, contenant des recherches sur leurs connoissances geometriques et sur les mesures des autres peuples de l'antiquite",
Description de l'Egypte, ou recueil des observations et des recherches qui ont ete faites en Egypte pendant l'expedition de l'armee francaise, publie par les ordres de Sa Majeste l'Empereur Napoleon le Grand.
Antiquites, Memoires, tome I
(Paris, 1809)
pp. 495-797.

すでに忘れ去られようとされているジョマールですが、ニュートンが前提とした「古代人は基準尺の倍数を構築物の主要寸法に充てた」という考えにおかしいところがあると指摘しており、これについては当たっている部分がなくもない。ニュートンはクフ王のピラミッドの計測値のうち、完数による値のみを偶然、目にしたという幸運に恵まれたと個人的には思います。澁澤龍彦(渋沢龍彦)の言い方を借りるならば、ここには建築の「死体解剖」があっても、「生体解剖」がありませんでした。
アイザック・ニュートンの論考についてはNewton 1737で紹介済み。これはまた、Greaves 1646の論考に刺激を受けての考察でもあります。
実際に古代エジプトの遺構では、いくつかの寸法でジョマールが分析したように、46センチメートル内外の長さで割り切れる場合があるわけで、この矛盾を斟酌し、できるだけ多くの報告を拾い上げようとしたレプシウスの功績は称えられるべきでしょう。
しかし結果として、キュービットは52.5cmであったというのが現段階における結論です。ニュートンの勝利でした。

まず大キュービットと小キュービットには、7:6という関係があるわけだから、大キュービットにおける6の長さは小キュービットの7の長さと一致します。この時、双方とも42パーム。この場合を除き、小キュービットで割り切れる長さがどれくらい遺構で見られるのかが問題を解く鍵となります。
ですが、こうした研究はほとんど進んでいません。小キュービットに関する建築遺構への適用は、近年ケンプがアマルナの独立住居における平面図で少し試してみている程度。
ジョマールまで再び戻って考え直さなければならない理由がここにあり、古代エジプトの基準尺に関しては、大きな陥穽があると言わざるを得ません。

古代エジプト建築の権威であるアーノルドの本には、小キュービットについての記述は一切ありません。建築の世界では、それでこと足りるからです。でもそれは美術史学の世界で論議されている尺度の問題とずいぶん、隔たりがあります。「おかしいのでは」という疑念があって然るべき。
こういう点が、今のエジプト学では論議されていません。

シャンポリオンがヒエログリフを読解する前に、ジョマールは数字だけは正確に読めたようです。中国語との類推から、「エジプト誌」のテキスト編には「百」とか「千」という漢字が載っています。ジョマールによる別の論文を参照のこと。
こういう事実はあまり知られていません。シャンポリオンもヒエログリフを読み解くために、中国語を勉強していました。新しい語学を学ぶことは、単に自分の道具を増やすことと同じだという割り切り方がここにはあって、これが日本人にとって難しい点となります。
絶望的であれ、泥縄式にでもいいから、とにかく数多く読み進めていくこと、その作業にどれだけ長年耐えられるかの競争であること、それが我々にとって唯一の早道だという指標がここでも示されています。

2010年6月16日水曜日

Wright 1962


「訳者あとがき」に記されているように、ベッドはもともと日本にはなかった代物ですので、"lit clos"(造り付けの箱型ベッド)だと言われても、すぐに具体的なかたちを思い起こせる人は少ないかと思われます。例えばディール・アル=マディーナ(デル・エル=メディーナ)の集合住居の報告書ではこのような説明が出てくるわけですが、良く分からないので西洋のベッドの歴史を調べることが必要となります。
ベッドは、機能としては人が横になって寝ることができる家具ですが、さまざまな形式があり、これらを広く紹介しているのがライトの本。

Lawrence Wright,
Warm and Snug, the History of the Bed
(Routledge & Kegan Paul, London, 1962)

邦訳:
ローレンス・ライト著、
別宮貞徳三宅真砂子片柳佐智子八坂ありさ庵地紀子訳、
ベッドの文化史:
寝室・寝具の歴史から眠れぬ夜の過ごしかたまで

(八坂書房、2002年)
527 p., xiv.

一番最初に「クレオパトラのベッド」と題した章が書かれており、古代エジプトの家具についての簡潔な紹介がなされています。一般読者を引き込む書き方は非常に巧く、ベス神にディズニーのキャラクターであるグーフィーを並置してみせたりしていて、全体が読みやすい。
スーダンのベッド('angarib、あるいはangareeb)との類似にも言及しているところはさすがです。この点はエジプト学者のJ. E. Quibellがとても古い報告書の中で指摘をおこなっており、現在ではあまり語られないところ。ベッドを通じて文化史を語っている書で、広範な内容が展開され、魅力的。
この英国人は「風呂トイレ賛歌」(晶文社、1989年)や「暖炉の文化史:火を手なずける知恵と工夫」(八坂書房、2003年)も書いています。建築にまつわる文化史を書くことに能力を発揮した著述家でした。
1983年に亡くなっていますので、近年、「倒壊する巨塔:アルカイダと『9/11』への道」(上下巻、白水社、2009年)がピュリツアー賞と「ニューヨーク・タイムズ」年間最優秀図書を受賞して注目を浴びているローレンス・ライトとは全くの別人。
ベッドを扱う本は多数あって、

Hubert Juin,
Le lit
(Hachette, Paris, 1980)
123 p.

は、古今東西のベッドが出てくる名画や図版を集めている本。244点の図版を掲載。「ハムレット」などの典籍からの引用もあり、楽しめますが、見ようによっては高尚なエロ本だとみなした方が分かりやすい。もちろん、そこが狙われているわけです。
世界的に高名な家具デザイナー・他が出版した「ベッド」という本もあり、

Ole Wanscher, Hans Bendix, Egill Snorrason, Jørgen Kaysøe, Knud Poulsen, Albert Meritz, Grete Jalk,
Sengen / The Bed / Das Bett / Le lit
(Mobilia, Snekkersten, 1969)
(89 p.)

出版社は知られた家具メーカー。デンマーク語・英語・ドイツ語・フランス語の4ヶ国語を併記しています。ページ番号を振っていない本なので、引用が難しいのが困る点です。
エジプト学者の中で、最も初期に古代の家具を体系的に研究しようとしたひとりはおそらく、Caroline Louise Ransom Williams(1872-1952)で、

Caroline Louise Ransom,
Studies in Ancient Furniture:
Couches and Beds of the Greeks, Etruscans and Romans

(University of Chicago Press, Chicago, 1905)
128 p., 29 plates.

がツタンカーメン王の墓が発見される前に出されています。この本は著者の博士論文で、指導教授はブレステッドでした。彼女についてはアメリカにおける最初の本格的な女性エジプト学者として、バーバラ・S. レスコが紹介文を書いており、"Caroline Louise Ransom Williams"で検索すればすぐに出てくるはず。
これまで出版された本のなかで、墓の壁画を詳細に報告している最良の例としては、

Caroline Ransom Williams,
The Decoration of the Tomb of Per-neb:
The Technique and the Color Conventions.

The Metropolitan Museum of Art, Department of Egyptian Art Publications, III
(MMA, New York, 1932)
ix, 99 p., 20 plates.

を屋形禎亮先生が挙げておられましたけれども、今日でも事情は変わらないようです。結婚して姓が変わっていますが、同一人物による著作です。これほど細かく報告している例は稀。
今では無償でダウンロードすることができます。

ペルネブの本は日本のどこの研究機関が所蔵しているのか、今、Webcat Plusで検索すると、東京国立博物館しか出てきません。でも昔、当方が最初にこの本に触れたのは国会図書館で、事実、まだ所蔵されている様子。
また現在では早稲田大学に入っていることも、早大図書館のデータベースを検索すれば了解されます。

Webcatは完全ではないし、情報が最新ではありません。あまり信用せずに、地道に探すことが大切かもしれません。検索では出てこないけど実際には国内に所蔵されていた、なあんていう例はけっこうあります。

2010年6月15日火曜日

Sorek 2010


古代エジプトのオベリスクに関してはすでに、たくさんの本が出版されています。この欄で触れたものだけでも9冊。
しかしこの他にも多くの論考があって、ピラミッドについての書籍と比べれば数は少ないものの、特に20世紀の後半からは良書が増えています。
「エジプト誌」にもオベリスクの設計基準寸法を探る試みが記されていたりしますから、探せばかなりの量となるはず。
これまでに紹介したものは、以下の通り。

Gorringe 1882
Engelbach 1922
Engelbach 1923
Kuentz 1932 (CG 1308-1315, 17001-17036)
Iversen 1968-1972
Habachi 1977
Tompkins 1981
Barns 2004
Curran, Grafton, Long, and Weiss 2009

こうした中にあって、新たに出版されたオベリスクの本。
Curran, Grafton, Long, and Weiss 2009は本格的な論考で、ヨーロッパへ与えたオベリスクの影響を考察しており、これとどうしても比較せざるを得ません。Sorekの本は一般書と専門書との間に位置する内容となります。

Susan Sorek,
The Emperors' Needles:
Egyptian Obelisks and Rome
(Bristol Phoenix Press, Exeter, 2010)
xxiv, 168 p.

Contents:
List of Illustrations (vii)
Preface (ix)
Standing Obelisks and their Present Locations (xiii)
Chronologies (xvii)

Introduction: The History of Pharaonic Egypt (p. 1)
1. The Cult of the Sun Stone: The Origins of the Obelisk (p. 9)
2. Created from Stone: How Egyptian Obelisks were Made (p. 17)
3. Contact with the West: Greece and Rome (p. 29)
4. Roman Annexation of Egypt (p. 33)
5. Egyptian Influences in Rome (p. 37)
6. Augustus and the First Egyptian Obelisks to Reach Rome (p. 45)
7. Other Augustan Obelisks (p. 53)
8. Augustus' Successors: Tiberius and Caligula (p. 59)
9. Claudius and Nero: The Last of Augustus' Dynasty (p. 71)
10. The Flavian Emperors and the Obelisks of Domitian (p. 75)
11. The Emperor Hadrian: A Memorial to Grief (p. 89)
12. Constantine and the New Rome (p. 101)
13. From Rome to Constantinople (p. 107)
14. An Obelisk in France (p. 115)
15. Obelisks in Britain (p. 123)
16. From the Old World to the New: An Obelisk in New York (p. 131)
17. The Obelisk Builders and the Standing Obelisks of Egypt (p. 147)

Appendix: Translations of Two Obelisk Inscriptions (p. 151)
Bibliography (p. 159)
Index (p. 161)

xiii-xxivで掲げられているリストや編年表には工夫が凝らされており、知られているものに番号が振られて、各々のオベリスクがいつ、どこへ運搬されたかを示した一覧表が作成されています。有用です。でも番号の表示なので、分かりづらい。「パリ」とか「ニューヨーク」といった略称の付記を考えても良かったかも。

一方、「立っているオベリスク」に限定していますから、「寝ているオベリスク」の代表格であるタニスのオベリスク群には言及されていません。他にもアレクサンドリアの海から引き揚げられたオベリスクの断片などもあって、本当は新しいオベリスクの一覧が望まれるところです。

KMTの最新号にはセティ1世のアスワーンに残るオベリスクの断片が紹介されていましたので、ついでに付記。

Michael R. Jenkins,
"The 'Other' Unfinished Obelisk",
in KMT 21:2 (Summer 2010),
pp. 54-61.

ローマのオベリスクを述べるのであれば、Ashabranner 2002で触れたように、19世紀の人物、George Perkins Marshについては扱って欲しかったと思います。
注目すべき古代ローマの建築の建立に関わったカリグラ(カリギュラ)やネロにも言及しており、図版を多く付加したら、オベリスクを中心とした古代建築の入門書ができるのかもしれない、そうした思いも抱かせる本です。

2010年6月14日月曜日

Barnes 2004


イギリスにあるオベリスクを集めた本。オベリスクがローマに立っていることに影響を受け、イギリスでは16世紀からエジプトのオベリスクを模して立てるようになります。エドウィン・ラッチェンスやジョン・ソーンなど、有名な建築家たちの名も挙げられており、彼らが建築や庭園へオベリスクを積極的に用いる様子が綴られています。

Richard Barnes,
The Obelisk:
A Monumental Feature in Britain

(Frontier Publishing, Kirstead, 2004)
192 p.

巻末に収められたオベリスクの数はおよそ1300で、これでも一部だけが集められた結果の数。その多くは20世紀の戦没者記念のために立てられたものです。他に2000ほど、墓地に立つものが存在する模様。

Contents:
I The Sixteenth & Seventeenth Centuries
II The Eighteenth Century
III Nineteenth Century
IV John Bell's Lecture: The Definite Proportions of the Obelisk and Entasis, or the Compensatory Curve
V Obelisks in Cemeteries and the Rise of Polished Granite
VI The Twentieth Century
VII The Purpose of Obelisks: Theories

第4章で紹介がなされている、19世紀を生きた彫刻家のJ. ベルによるオベリスクの分析が見どころとなります。特に94ページ以降の記述は重要で、検討の余地がある。オベリスクの各部と全体との関連を構造的に探っているからで、これがどこまで合っており、どこが間違っているかが突き止められれば、オベリスクの計画方法は解けることになります。

「第一にピラミディオン底面の対角線、第二にオベリスクの底辺、そして第三にはピラミディオンの高さはすべて同一の長さである」(p. 94)

「オベリスクの底面の対角線の7倍が、正確にオベリスクの全高となる」(p. 95)

ピラミディオンの底面の対角線、あるいはオベリスクの底面の対角線が基準になったとはとうてい思われないのですが、計算をしてみると、例えば「底辺の10倍がオベリスクの全高に相当する」という言い方とほとんど矛盾がないことに気づきます。

1.414×7=9.898

であるからです。
この点は重要で、見逃せません。課題は、彫刻家と建築家のものの見方の違いがどこにあるかということになるかと思われます。

2010年6月12日土曜日

Haring and Kaper (eds.) 2009 / Andrássy, Budka and Kammerzell (eds.) 2009


記号によって情報を交換する古代からのシステムを考えようという本が二冊、続けて出されました。双方とも国際会議の記録。ふたつには関連があって、同じ人たちが双方に関わっていたりします。
二冊目の序文には、

"The congress was connected both conceptually and in terms of its central topics to a preceding conference, ..."
(p. vii)

と書かれていますから、この二冊を別々に考えるのではなく、むしろセットとして考えた方が良いのでは。
先に開催されたレイデンの会議のまとめが

B. J. J. Haring and O. E. Kaper (eds.),
with the assistance of C. H. van Zoest,
Pictograms or Pseudo Script?
Non-textual Identity Marks in Practical Use in Ancient Egypt and Elsewhere
.
Proceedings of a Conference in Leiden, 19-20 December 2006.
Egyptologische Uitgaven 25
(Peeters, Leuven, 2009)
vii, 236 p.

で、この一年後にゲッティンゲンにて開かれた会議の記録が

Petra Andrássy, Julia Budka and Frank Kammerzell (eds.),
Non-Textual Marking Systems, Writing and Pseudo Script from Prehistory to Modern Times.
Lingua Aegyptia, Studia monographica 8
(Seminar für Ägyptologie und Koptologie, Göttingen, 2009)
viii, 308 p.

となります。

記号による情報伝達が注目されているのは、文字による伝達を過信することへの戒めに他なりません。文字史料が残ってさえいれば、これを信じて尊重したくなりますし、事実、エジプト学の進展には、碑文学による成果が大きな影響を与えてきました。
しかし文字は、果たして本当のことを伝えているのかどうか。書くことによって「捏造」がおこなわれているのではないのか。そもそも、人が「記す」という行為自体が「捏造」に加担するのではないのか。当時に文字が書ける人間がどれほどいたのか。
こうした点は、イギリスのJohn Bainesなどが特に強調してきた問題意識。

この覚醒が指摘されるようになって、これまではあまり注意が向けられてこなかった単なる記号や簡単な書きつけなども、考察の対象に含めようという動向が出てきました。
つまり今までは、文字だったら解読してその情報を疑いもなく受け入れてきた傾向が見られましたが、そこでもたらされる意味は歪んでいて、真実のごく一部分しか伝えていない可能性があるように思われるため、今度は情報の伝達を目的としてなされた古代における人間の行為全体をすくい取るにはどうすればいいか、という求めが問われているわけです。
すでに紹介しているPeden 2001や、Bülow-Jacobsen 2009の意図とも繋がってきます。

従って対象は多岐にわたり、記号論が参照されたりもします。背景のシステムを探るという作業ですから、暗号解読、あるいはパズルを解くことにほとんど近い仕事ともなります。
建築の世界では、建造者たちが書きつけた記号の分析によって、労働者組織や建築生産体系がどこまで明らかになるのか、という話題と結びつけられることが少なくありません。

日本近世の城郭の石垣にも似たような記号が石ごとに刻まれていたりしますが、やることは地域や時代を問わず、一緒です。エジプトの他に、ミノア期におけるクノッソスなどの宮殿でうかがわれますし、西欧中世の石造によるカテドラルでもおこなわれていたことは良く知られている事実。
二冊の本は両方とも寄稿者は多いのですが、ただ、想定される情報伝達システムの立ち起こしを目指している割には、どれもこれも前途は多難だという印象を抱かせます。

まずは、両方の本に論考を執筆している者たちの文章を読み比べると面白いかもしれません。書き分けがうまくなされているか、という点です。
それはこのパズルを、生活の営為の中で古代の人間がどのように工夫したかという原点に、誰がより深く引き寄せることができているかを探ることと繋がってくるように思われます。

2010年6月10日木曜日

Ikram and Dodson (eds.) 2009 (Fs. Barry J. Kemp)


バリー・ケンプへ捧げられた献呈論文集。40人以上の研究者たちが論考を寄せています。
「地平線の彼方」というタイトルは、ノーベル文学賞を受賞した米国の劇作家ユージン・オニールの名作で知られていますが、ホメロスの「オデュッセイア」でも、冥界のある場所は「地平線(水平線)の彼方」と表現されていたはず。
しっかりとした造本ですが、第2巻の目次においてページ番号が途中から全部、誤って記されているのは惜しまれます。

Salima Ikram and Aidan Dodson eds.,
foreword by Zahi Hawass,
Beyond the Horizon:
Studies in Egyptian Art, Archaeology and History in Honour of Barry J. Kemp
, 2 vols.
(Publications of the Supreme Council of Antiquities, Cairo, 2009)
xviii, 1-323 p. + vi, 325-613 p.

話題を建築に限って眺めるならば、まずはザヒ・ハワースの

Zahi Hawass,
"The Unfinished Obelisk Quarry at Aswan",
Vol. I, pp. 143-164.

が目を惹きます。
アスワーンの再発掘調査で、何本ものオベリスクの痕跡が発見されました。今、アスワーンに行くとそれらが見られ、削られた岩盤の面にはたくさんのヒエラティック・インスクリプションも確認することができます。多くは単なる季節と日付の羅列で、掘削作業の進捗状況を書きつけたもの。しかしこの本の論考では、それらをほとんど報告していません。これからの発表が期待されます。
掘りかけの新王国時代の巨像も見つかったと記されていて、その大きさに興味を覚えましたが、図28にうかがわれる平面図のスケールは明らかに間違いで、たぶん、この立像の高さは20メートルほど。古代エジプトで最大の巨像はザーウィヤト・スルターンとアコリスに未完成のまま残るプトレマイオス朝のもので、その調査は現在、筑波大学の発掘調査隊が手がけています。これと匹敵する大きさである点が注目されます。

Corinna Rossi and Annette Imhausen,
"Architecture and Mathematics in the Time of Senusret I:
Section G, H and Papyrus Reisner I",
Vol. II, pp. 440-455.

は、難解であった中王国時代のpReisnerの読解を試みています。このパピルスについては、Simpson 1963-1986で前に触れました。
詳細を省いて略記された建築の積算に関する記録方法と、神殿の建造の手順を踏まえながら、文字史料との整合性を考えている論考で、とても重要。
ここでもセケドが紹介されています。ここで書かれているセケドの概念は、しかしもっと拡張されるべきで、高さ方向に1キュービットを取り、水平方向にパームやディジットの長さを測るやり方だけでなく、すでにロッシがJEAの論文などでほのめかしているように、水平方向に1キュービットを取る勾配の規定方法も含めて考えると、もっとエジプト建築研究は進むのでは。極端な話、水平方向に1キュービットを取り、垂直方向に1ディジットを測るやり方も、セケドの範疇であると思われます。

Kate Spence,
"The 'Hall of Foreign Tribute' (S39.2) at el-Amarna",
Vol. II, pp. 498-505.

悩ましい"lustration slab"の解釈を挟みながら、アマルナのアテン大神殿に付設されている何だか良くわけが分からなかった謎の建物を考察。
建築の復原で何を根拠とすべきかが示されており、面白い論考です。
でも、ちょっと短いのが残念に思われるところ。

2010年6月9日水曜日

Tietze (Hrsg.) 2008


題名はずばり、「アマルナ」という本。アクエンアテンとアマルナに関する展覧会がケルンで開催され、そのカタログが出ています。
300点以上の図版を収め、そのほとんどがカラー図版で分かりやすい。

Christian Tietze (Herausgegeben von),
mit Beiträgen von Erik Hornung, Hermann A. Schlögl, Barry J. Kemp, Wafaa el-Saddik, Bernd U. Schipper, Christian E. Loeben, Martin Fitzenreiter, Angelika Lohwasser, Ptera Vomberg, Anne Koch, Christine Kral, Manuela Gander, Marc Loth.
Amarna:
Lebensräume - Lebensbilder - Weltbilder

(Arcus-Verlag, Potsdam, 2008)
290 p.

すごい人たちが執筆者に入っており、驚きます。この企画者であり、またカタログの編者の熱意が伝わってくるところ。ポツダム大学で教えている編者Tietzeは、アマルナ型住居の研究で良く引用される研究者。ZÄSにおける2本の連続論文で一躍、知られるようになりました。

ドイツ隊による20世紀初頭のアマルナ発掘調査では、多数のアマルナ型住居が掘り出されましたが、それらの成果は雑誌Mitteilungen der Deutschen Orient-Gesellschaft zu BerlinMDOG)の他に、まずリッケの論文によってまとまって発表されました。リッケの学位論文。

Herbert Ricke,
Der Grundriss des Amarna-Wohnhauses.
Wissenschaftliche Veröffentlichung der Deutschen Orient-Gesellschaft 56.
Ausgrabungen der Deutschen Orient-Gesellschaft in Tell el-Amarna, 4
(Leipzig, 1932)
viii, 75 p., 26 Tafeln.

リッケという人は、古代エジプト建築研究できわめて重要な役割を果たした人。
それから50年ほど経った20世紀の終わり近くには、厚い図面集として最終報告書が出版され、これが後の人々にとって第一級の資料となります。すでにボルヒャルトもリッケも死んでいた時期だったので、この立派な図面集が出た時には大変な驚きがありました。
ボルヒャルトが亡くなったのは1938年で、リッケの没年は1976年。ボルヒャルトやリッケの名が冠された著作物のうち、たぶんもっとも新しく、また最後となる本です。
また、"Mitarbeit"に挙げられている人々の表記方法も、とても特異。

Ludwig Borchardt und Herbert Ricke,
Unter Mitarbeit von Abel, Breith, Dubois, Hollander,
W. Honroth, Kirmse, Marcks, Mark, Rösch, einem Anhang von Stephan Seidlmayer.
Die Wohnhäuser in Tell el-Amarna.
Wissenschaftliche Veröffentlichung der Deutschen Orient-Gesellschaft 91.
Ausgrabungen der Deutschen Orient-Gesellschaft in Tell el-Amarna 5
(Gebr. Mann Verlag, Berlin, 1980)
350 p., 29 Tafeln, VII site plans, 112 plans.

さて、Tietzeはこの本の図面に収録されている平面図に片っ端から当たり、数百の住居を全部で8つのカテゴリーに分けました。
アマルナ型住居に関する本格的な論考で、これに比肩できる20世紀における著作は、Endruweit 1994ぐらいしかありません。その知見がここでも披瀝されています。

アマルナ型住居の上層がどうなっていたかについては、Spenceが論文を近年書いています。

Kate Spence,
"The Three Dimensional Form of the Amarna House",
in Journal of Egyptian Archaeology 90 (2004),
pp. 123-152.

彼女は長年アマルナの発掘に携わったバリー・ケンプの愛弟子。
この論考によってTietzeによる見解が異なることになるのか、それが興味深い点です。

Ian Shaw,
"Ideal Homes in Ancient Egypt:
the Archaeology of Social Aspiration",
in Cambridge Archaeological Journal 2:2 (1992),
pp. 147-166.

も目を通しておくべき論文。

2010年6月8日火曜日

Wilkinson 1835


エジプト学でウィルキンソンと言えば、19世紀の大旅行家であったと同時に記録魔でもあったこのウィルキンソン卿がまず挙げられるべきですが、もうほとんど引用されなくなってきたおかげで、日本では忘れ去られているようにも見受けられます。
しかしイギリスではエジプト学のパイオニアに該当し、19世紀におけるテーベの姿を知ろうと思った際には、必ず言及される巨人。日本で言うと、建築史学と考古学の双方のパイオニアであった伊東忠太に匹敵します。
初めの代表作は、"Topography of Thebes, and General View of Egypt"ですけれども、本当はこの本に、とてつもなく長い副題がつけられており、

John Gardner Wilkinson,
Topography of Thebes, and General View of Egypt.
Being a Short Account of the Principal Objects Worthy of Notice in the Valley of the Nile, to the Second Cataract and Wadee Samneh, with the Fyoom, Oases, and Eastern Desert, from Sooez to Berenice;
with Remarks on the Manners and Customs of the Ancient Egyptians and the Productions of the Country, &c. &c.
(John Murray, London, 1835)
xxxvi, 595 p.

と、もう際限がありません。「グーグル・スカラー」によってある程度、1835年の初版を見ることができるのが便利です。
上記では直してありますが、原書では著者名が、"I. G. Wilkinson"と印刷されている点に注意。ピラミドグラフィアの、"John Greaves"の場合もそうでした。
また、副題に"Manners and Customs of the Ancient Egyptians"という記述がすでに見えることも面白い。
というのは、この人は数年後に内容を書き改めて、もっと記録を充実させた

John Gardner Wilkinson,
The Manner and Customs of the Ancient Egyptians, Including their Private Life, Government, Laws, Arts, Manufactures, Religion, Agriculture, and Early History, Derived from a Comparison of the Paintings, Sculptures, and monuments still Existing, with the Accounts of Ancient Authors, 6 vols.
(1837-1841)

を執筆しているからで、これが名高い"The Manner and Customs of the Ancient Egyptians"の初版です。
6巻もあり、驚異の書。しかしウィルキンソンの死後、数年経ってからサミュエル・バーチが3巻からなる改訂版を編纂しました。

John Gardner Wilkinson and Samuel Birch,
The Manner and Customs of the Ancient Egyptians, 3 vols.
(new edition, revised and corrected by Samuel Birch. S. E. Cassino, Boston, 1883)
xxx, 510 p. + xii, plan, 515 p. + xi, 528 p.

この3巻本が非常に普及したために、こちらの方がウィルキンソンの著作の中ではおそらく最も有名。
他にも、

John Gardner Wilkinson,
A Popular Account of the Ancient Egyptians

などがあり、近年のリプリントも盛んで、専門家もわけが分からなくなっている状態。
古代エジプト人の生活を広く紹介した本としては、A. エルマンの著作とともに、重要な書籍です。
引用する際には、書誌を注意深く確認することが必要。

2010年1月23日土曜日

Wilkinson (ed.) 2008


アリゾナ大学の教授R. H. ウィルキンソンが編集した本で、この人の執筆による書籍は何冊か、和訳が出版されています。ウィルキンソンについては以前、JAEI 1:1 (January 2009)でも触れました。
本書の紹介は、すでに永井正勝先生がなされています。

http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_121b.html
http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_343c.html

エジプト学の広がりを紹介した本。多岐にわたっているさまが了解され、これらをすべて知悉している人間はこの世にいないという点が最大の見どころ。展延し続ける領野において、自分はどの地点を占めているのかを知ったところで、たいして重要ではありません。本当は異領域間の接触が望まれています。

Richard H. Wilkinson (ed.),
Egyptology Today
(Cambridge University Press, New York, 2008)
xiii, 283 p.

Contents:

List of Illustration (vii)
Brief Biographies of Contributors (xi)
Acknowledgments (xiii)

Introduction. The Past in the Present: Egyptology Today (p. 1)
by Richard H. Wilkinson

Part I. Methods: Paths to the Past
1. Archaeology and Egyptology (p. 7)
by Kent R. Weeks
2. History and Egyptology (p. 23)
by Donald B. Redford
3. Medical Science and Egyptology (p. 36)
by A. Rosalie David

Part II. Monuments: Structures for This Life and the Next
4. Site Survey in Egyptology (p. 57)
by Sarah H. Parcak
5. Epigraphy and Recording (p. 77)
by Peter F. Dorman
6. Monuments and Site Conservation (p. 98)
by Michael Jones

Part III. Art and Artifacts: Objects as Subject
7. Art of Ancient Egypt (p. 123)
by Rita E. Freed
8. Ancient Egypt in Museums Today (p. 144)
by Arielle P. Kozloff
9. Artifact Conservation and Egyptology (p. 163)
by Susanne Gänsicke

Part IV. Texts: Words of Gods and Men
10. The Egyptian Language (p. 189)
by James P. Allen
11. Ancient Egyptian Literature (p. 206)
by John L. Foster and Ann L. Foster
12. Egyptian Religious Texts (p. 230)
by Ronald J. Leprohon
Afterword. The Past in the Future: Egyptology Tomorrow (p. 248)
by Richard H. Wilkinson

Bibliography (p. 251)
Index (p. 277)

「エジプト学全般を概観した本としては初めてである」、これは最初に

"Despite the great popularity of Egyptology and the wealth of books on ancient Egypt in the popular press, however, until the present volume there has been no single-volume introduction covering the present state of Egyptology as a modern field of study."
(p. 2)

と書かれているわけですが、こうした話題に関しては先行する書籍があって、たとえば

Jan Assmann, Günter Burkard, and Vivian Davies eds.,
Problems and Priorities in Egyptian Archaeology.
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1987)
311 p., 32 plates.

は博学の研究者が3人も揃って編者を務めている面白い本。
あるいはもう少し古い薄い本、

Kent Weeks ed.,
with contributions by Manfred Bietak, Gerhard Haeny, Donald Redford, Bruce G. Trigger, Kent R. Weeks,
Egyptology and the Social Sciences:
Five Studies
(The American University in Cairo Press, Cairo, 1979)
ix, 144 p.

なども挙げられ、執筆者もいくらか重なっています。見比べて、どれほど本質的な問題が深化されているかが問われるべき。
特に新旧両方の本に原稿を寄せている執筆者たちに、考えの進歩があるかどうかを確かめる作業は、若い読者に委ねられています。書かれるべき内容が増大することは、年代が降っていけば当たり前。
そうした問題を提起している書と思われます。

2010年1月20日水曜日

Wilkinson 1983


メトロポリタン美術館のエジプト部門には模写を集めた部屋があって、天井の高い広間の壁面にぎっしりと壁画の写しが展示されています。
「ファクシミリ」は模写のこと。絵の具を使い、壁画を実物通りに描くことを意味します。透明フイルムを壁画の上にかけて、油性マジックで輪郭をなぞる作業は「トレーシング」、また凸凹のある浮彫の上に紙を乗せて刷り取る拓本を作成する方は、「スキージ」と言ったりするようです。

ここでは特に、カラー写真がまだなかった時代に盛んに制作された壁画の模写を集めています。ハワード・カーターも、ツタンカーメンの墓を見つける前には、こうした模写を手がけていたことがありました。メトロポリタン美術館長であったトマス・ホーヴィングのベスト・セラー「ツタンカーメン秘話」にも出てきますので、御存知の方も多いのでは。
ここで文章を執筆しているウィルキンソンは、20世紀の初めに模写を担当した人。

Charles Kyrle Wilkinson (text),
compiled by Marsha Hill,
Egyptian Wall Paintings:
The Metropolitan Museum of Art's Collection of Facsimiles

(The Metropolitan Museum, New York, 1983)
165 p.

(Contents:)

Foreword (p. 7)
by Christine Lilyquist
Egyptian Wall Paintings: The Metropolitan Museum's Collection of Facsimiles (p. 8)
by Charles K. Wilkinson
Catalogue of the Facsimiles (p. 65)

Index of Theban Tomb Owners (p. 163)
Index of Theban Tomb Numbers (p. 164)
Index of Monuments Other Than Theban Tombs (p. 165)

全部、カラー写真で紹介したかったのでしょうが、途中からはモノクロのカタログとなります。しかし、貴重な壁画も含まれていて、たとえばこの本でしか紹介されていないマルカタ王宮の壁画の模写などが見られます。
壁画の複写で高名なものは、ニーナ・デーヴィスの本。
エジプト学者である旦那の仕事の手伝いをしているうちに、その模写の仕事がいつの間にかうまくなって、しまいには3巻からなる大型本を碩学A. H. ガーディナーとともに出版しました。Davies and Gardiner 1936として紹介済み。

テーベの墓に関する豪華な報告書と言うことであれば、メトロポリタン美術館から出版された大判のタイトゥス・シリーズが挙げられます。これもまた見ておいて損がない本。

Norman de Garis Davies,
The Metropolitan Museum of Art, Robb de Peyster Tytus Memorial Series
(New York, 1917-1927)

Vol. I: The Tomb of Nakht at Thebes
(1917)

Vols. II-III: The Tomb of Puyemrê at Thebes
(1922-1923)

Vol. IV: The Tomb of Two Sculptors at Thebes
(1925)

Vol. V: Two Ramesside Tombs at Thebes
(1927)

2010年1月19日火曜日

Wilkinson 2000


現在7つの断片のみが知られているパレルモ・ストーン関連の纏まった研究書。近年、古代エジプトの国家形成の過程についての研究が盛んになってきて、この影響でエジプトの通史を語るに際してはロゼッタ・ストーンと並んで、良く取り上げられる資料となりつつあります。トリノ・エジプト博物館などにも、複製品が展示されていたはず。

さまざまな国家論は特にヘーゲル以降、19世紀で問題となりました。弊害をもたらす国家の解体への関心、またインディアンなど国家を持たなかった共同体のあり方への注目などの、長い思想的・社会学的な経緯を暗黙の内に踏まえ、エジプト学においても国家形成論が展開されているとみなすことができるかと思われます。
特にケンプがこの石を紹介している意味合いは、その傾向が強い(Kemp 2006 (2nd ed.)を参照)。国家の成立は自然に発展して進んだように見えますが、社会共同体のあり方として、それが唯一の道ではないということです。

パレルモ・ストーンは第5王朝までの王の名と、治世年における主な行事、またその年のナイル川の水位を簡明に記したもの。歴代の王名が書かれた歴史史料としては、トリノ・エジプト博物館所蔵の王名リストが見られるパピルス、またアビュドスのセティ1世葬祭殿における最奥部の廊下の壁面に見られるリスト、カルナック神殿の奥の方の壁面にあったリストなどが知られていますが、それらの中では最も古いものであり、貴重です。
ウィルキンソンという名前を持つエジプト学者は、物故者も含めて何人もいるのですけれども、その中では最も若手。

Toby A. H. Wilkinson,
Royal Annals of Ancient Egypt:
The Palermo Stone and its associated fragments.

Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 2000)
287 p., 11 figs.

7つの断片のうち、最も大きいものがイタリアに属するシチリア島のパレルモにあって、そのために「パレルモ・ストーン」と呼ばれているわけですが、これは高さが43.5cm、幅が25cmしかなく、カイロとロンドンにある残りの6つの断片はこれより小さい。
にも関わらず、例えばShaw and Nicholson 2008 (2nd ed.)を引くと、「もともとは2.1mの長さ、0.6mの幅」なんてことが書いてあります(1995年の初版や、内田杉彦先生によるその和訳本には、ウィルキンソンの本書はもちろん参考文献として挙げられていないので注意)。

たった7つの断片しか残されていなくて、圧倒的にパズルのピースの数が足りないはずなのに、何故、そんな具体的なもともとの大きさが分かるのか。この理由が詳しく書いてあって、きわめて面白い。
表計算ソフトのエクセルの使い方を知っている人なら、復元の過程が良く了解されるはずです。王名は、横方向に長く続いている縦書の各治世年における特記事項のリストの上に、セルが結合されて、しかも横書きの「中央揃い」で配置されていたに違いない、といったような推測から、この具体的な復元寸法が提示されているからです。
他にも、「丸い記号がひとつおきにあらわれている」といった観察結果が重要な役割を果たしており、たくさんの人が知恵を絞って、この石の全体像の復元に成功している様子が示されています。

建築学的にこの石が重要なのは、カーセケムウィ Khasekhemwy の第13年の記述に、

"appearance of the dual king: building in stone (the building) 'the goddess endures'"
(p. 132)

が見られるからであって、最初の石造建築についての言明です。これがどの遺構を指すのか、著者はコメントを付しています。

この本が出る前年には、やはりパレルモ・ストーンを扱い、CGで復元している

Michael St. John,
Palermo Stone: An Arithmetical View;
together with a computer graphics enhancement of the recto of the Palermo fragment

(Museum Bookshop, London, 1999)
60 p.

が出版されていますけれども、ウィルキンソンの本の巻末の参考文献には含まれていません。
St. Johnという人については、Lepsius 1865(English ed. 2000)で触れました。エジプト学で情報の欠けている場所を上手に見つけ、ゲリラ的に本を出してしまう人、という印象です。

2010年1月18日月曜日

Croom 2007


古代ローマにおける家具の研究書。ポンペイやエルコラーノ(ヘラクレネウム)などの遺跡から見つかっている家具についてはMols 1999のところで触れましたが、ローマの家具全体を概観した本と言うことになると、類書がないように思われます。
著者はイギリスの地方にある博物館の学芸員で、自分の勤務先に展示してある古代ローマの家具もカラー写真で公開。合計で100点に近い図版が用いられています。

Alexandra T. Croom,
Roman Furniture
(Tempus, Stroud, 2007)
192 p.

Contents:
List of figures (p. 7)
List of colour plates (p. 11)
List of tables (p. 13)
Acknowledgements (p. 14)
1. Introduction (p. 15)
2. The materials used in furniture (p. 19)
3. Beds and couches (p. 32)
4. Dining-couches (p. 46)
5. Soft furnishings for beds and couches (p. 56)
6. Dining-, serving- and display-tables (p. 68)
7. Desks and work-tables (p. 89)
8. Stools and benches (p. 97)
9. Chairs (p. 116)
10. Cupboards and shrines (p. 124)
11. Chests and boxes (p. 138)
12. Curtains and floor coverings (p. 144)
13. Furniture in use: farms and the poor (p. 150)
14. Furniture in use: multiple room houses (p. 155)
15. Furniture in use: the rich (p. 168)
16. Furniture in use: non-domestic furniture (p. 172)
17. Conclusion (p. 183)
Glossary (p. 184)
Bibliography (p. 186)
Index (p. 189)

目次を見ると、第12章ではカーテンや床の敷物までが扱われており、これが家具の範疇に入るのかと訝しく思われるのですけれども、イントロダクションではローマ法(ユスティニアヌス法典)における家具の定義がまず引用されていて、

"According to Roman law, 'furniture' consisted of: 'any apparatus belonging to the head of the household consisting of articles intended for everyday use which do not fall into any other category, as, for instance, Stores, Silver, Closing, Ornaments, or Apparatus of the land or the house' (Edicts of Justinian, 33.7; Watson 1985). In greater detail, these are identified as: 'tables, table legs, three-legged Delphic tables, benches, stool, beds (including those inlaid with silver), mattresses, coverlets, slippers, water jugs, basins, wash-basins, cendelabra, lamps and bowls. Likewise, common bronze vessels, that is ones which are not specially attributed to one place. Moreover, bookcases and cupboards. But there are those who rightly hold that bookcases and cupboards, if they are intended to contain books, clothing or utensils, are not included in furniture, because these objects themselves ... do not go with the apparatus of furniture' (ibid., 33.2)."
(p. 15)

と紹介されており、現在の考え方とちょっとずれているところが面白い。スリッパや、水壺、ランプなども家具と言われると、かなりの違和感。

CIL(Corpus Inscriptionum Latinarum)、あるいはSHA(Scriptores Historiae Augustae)など、ラテン語諸文献との摺り合わせに工夫がうかがわれ、これも注目される点です。Loeb Classical Libraryの刊行シリーズを前提とした記述。
エジプト学だと、Janssen 2009などでおこなわれている仕事で、実際にあった物品と、記述として残されているものとの対応関係を探る試みは、実はあまり多くありません。

2010年1月17日日曜日

Sakarovitch 1998


スペインのラバサ・ディアス(Rabasa Diaz 2000 (Japanese ed. 2009)を参照)と双璧をなす研究。扱われる時代も重なるところがあります。
ただ、こちらの方は建築書あるいは建築図面というものにこだわっているのが大きな特徴。最初の方で正投象・軸側投象・斜投象・透視投象の簡単な図解が示されています。

Joël Sakarovitch,
Épures d'architecture:
de la coupe des pierres à la géométrie descriptive XVIe-XIXe siècles.

Science Networks. Historical Studies, Volume 21
(Birkhäuser Verlag, Basel 1998)
xii, 427 p.

Table des matières:

Introduction (p. 1)

Chapitre I - La double projection dans le dessin d'architecture: une question de détail ? (p. 15)

Chapitre II - Taille des pierres et recherche des formes: L'ememple des descentes biaises (p. 95)
Les descentes biaises: (p. 149)

Chapitre III - La géométrie descriptive: une discipline révolutionnaire (p. 185)
Les leçons de l'Ecole normale de l'an III (p. 189)
La

à l'Ecole du génie de Mézières (p. 218)
Une discipline scolaire, une discipline révolutionnaire (p. 247)

Chapitre IV - Heurs et malheurs de l'enseignement de la géométrie descriptive au XIXe siècle (p. 283)
Diffusion et influence d'une nouvelle branche des mathématiques (p. 287)
Les applications de la géométrie descriptive (p. 299)
L'enseignement de la géométrie descriptive au XIXe siècle et la formation des ingénieurs en France (p. 319)

Conclusion (p. 343)
Annexes (p. 355)
Bibliographie (p. 399)
Index des noms cités (p. 421)

メソポタミアやエジプトといった古代の建築図面をいくらか紹介しているのも面白いところです(17〜31ページ)。しかしこの領域に関して第一に挙げられるべきHeisel 1993の本は参考文献に載っておらず、残念。情報が分断されている学問領域ですから、仕方ありません。

22ページの図4に掲げられているオストラコンは古代エジプトの建築図面として良く知られているもので、何人もの学者が言及していますが、この図面の最新の研究は2008年のClaire Simon-Boidotによる論考となります。Gabolde (ed.) 2008(Fs. J.-Cl. Goyon)を参照。
関東学院大学の関和明先生も、この図面については論文を書いていらっしゃいます。ダウンロードが可能。

関和明
「陶片に描かれた祠堂の図について:
古代エジプト建築における設計方法の研究3」
日本建築学会大会学術講演梗概集F、
1993年9月、pp. 1375-1376.

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004201658

31ページからは、中国の建築書「営造方式」 Ying Tsao Fa Shihが簡単に紹介されています。情報は基本的にニーダムの著書に負うところが多いから、あまり詳しくは論じられていません。Haselberger (ed.) 1999のところで「営造方式」が扱われていることに触れましたが、日本の建築書(木割書)についても世界で知ってもらいたいところ。

著者はTechniques et Architecture (April 1999)など、現代建築を扱うフランスの商業雑誌などにも立体截石術(ステレオトミー)の紹介記事を書いています。ラバサ・ディアスとはお互いに論文や著書の引用をし合っているさまが、特に巻末の参考文献の欄を見比べると良く了解されます。
21ページも続くこの参考文献のページは、ステレオトミーの分野に興味を抱く者にとってはきわめて重要。


2010年1月16日土曜日

Curto 1984


トリノ博物館に収蔵された古代エジプトの名品を次々と紹介する分厚い大型本で、高さは32センチ。図版を多数収めており、カラー写真も時々交えています。イタリア語で書かれていて、Scamuzzi 1963、またその2年後に出された英訳版のScamuzzi 1965の後に刊行されたもの。Scamuzziの本については、López 1978-1984 (O. Turin)を参照のこと。

Leospo 2001のところで触れた、Donadoni Roveri (ed.) 1988-1989による3巻本が出る前に出版された本で、Scamuzziによる本をどう改新するかが考えられています。
Curtoのこの本を乗り越えるため、3つのトピックを立ててさらなる書籍が4年後に出されている点も面白い。

Silvio Curto,
L'antico Egitto nel Museo Egizio di Torino
(Tipografia Trinese Editore, Torino, 1984)
367 p.

Indice generale:

Introduzione
La riscoperta dell'Egitto antico (p. 9)
Il deciframento (p. 14)
La ricostruzione della storia (p. 20)
Il Museo Egizio di Torino (p. 22)
Cronologia (p. 29)
Il sistema grafico egizio (p. 32)

La vicenda storica
Le origini (p. 41)
L'Antico Regno (p. 53)
Il Primo Periodo Intermedio (p. 77)
Il Medio Regio (p. 88)
Il Secondo Periodo Intermedio (p. 105)
Il Nuovo Regio (p. 109)
La XVIII dinastia (p. 109)
Il tempio di Ellesija (p. 135)
La XIX e XX dinastia (p. 141)
Deir el-Medina (p. 177)
Kha, architetto della necropoli reale (p. 201)
La religione (p. 219)
I credi e gli usi funerari (p. 244)
Le tecniche e le arti (p. 259)
Il Terzo Period Intermedio (p. 277)
L'epoca tolemaica e romana (p. 289)
L'Egitto bizantico e cristiano (p. 320)

Schede degli oggetti illustrati (p. 337)
Indice alfabetico dei nomi personali (p. 363)
Fonti iconografiche (p. 365)
Note (p. 366)

目次で明らかなように、年代順に、丁寧に追っていく構成がうかがわれます。トリノ博物館では新王国時代の遺物の点数が非常に多いため、このように古代エジプトの歴史を均等に論述することには困難が伴うかと思われるのですが、それをうまくこなしています。
Vassilika 2009ではまた別のやり方をとっていて、思い切って一般向けにハンディなガイドブックを供給しようとしたもの。同じ収蔵品を扱いながら、本としての表現がさまざまに変えられている点が非常に興味深い。
Moiso (ed.) 2008はまた、この博物館に貢献した偉大な考古学者に焦点を当てた本で、トリノ博物館から出版された本のリストも所収。

収蔵品を紹介する本というのは、規模の大きな美術館であるほどやりにくくなるわけですが、トリノ・エジプト博物館ではうまくおこなわれている方です。大英博物館、ルーヴル美術棺、あるいはメトロポリタン美術館などと違って、古代エジプトという時代に収蔵品が特化されている分、利点があるように見受けられます。

2010年1月15日金曜日

Loubes 1984


奇妙な題名の本ですが、「穴居住宅」というほどの意味の造語。地面を掘ってその中に住むというのは現在の日本ではなかなか考え難いことですけれども、ヨーロッパでは今でもそうした住居に住んでいる地域があります。イタリアの世界遺産、マテーラの洞窟住居はその典型。隣の中国でも見られます。もちろん日本でも、竪穴式住居が一般的な時代が続きました。

Jean-Paul Loubes,
Archi troglo.
(Parentheses, Roquevaire, 1984)
124 p.

Chapitre I: Fiction en architecture souterraine: de la realite a l'image
Chapitre II: Origines de l'architecture enterree
Chapitre III: architecture animale et troglodytisme
Chapitre IV: Typologie des formes troglodytiques
Chapitre V: L'Habitat troglodytique dans la peninsule iberique
Chapitre VI: Les troglodytes en Tunisie
Chapitre VII: Urbanisme troglodytique en Cappadoce
Chapitre VIII: L'habitat troglodytique en Chine
Chapitre IX: Urbanisme et troglodytisme: typologie des groupements
Chapitre X: Les espaces de l'architecture troglodytique
Chapitre XI: Illustrations
Annexe: Les parametres du climat souterrain

"Troglodyte"という単語が目次の各所に見受けられますが、ギリシア語に由来する「洞窟に住む人」のこと。近年、地球環境の変化が原因だと言われる異常気象の熱波や寒波で、ヨーロッパではたくさんの人が亡くなっています。穴居住居はそれ故、環境に優しい伝統的な住居として見直されつつあり、真面目に研究が進められています。
問題は上下水道や電気など、各種のエネルギーの供給で、それさえ解決すれば、室内が気候に左右されにくい穴居住宅は有利に働くという考え方。最後の付章では気候と室内環境を比較する分析をおこなっています。

第3章で、動物の巣を扱っているのは面白い。巣を「建築」と呼んでいます。地中に営巣する昆虫の活動に光を当てており、その合理性を強調しています。著者の姿勢がうかがわれるところです。
第5章はイベリア半島、すなわちポルトガルとスペインの住居を扱い、第6章はチュニジアのベルベル人たちの家、第7章ではお馴染みのカッパドキアの住居、第8章では中国の穴居住宅が登場します。

この著者は4年後に、中国の穴居住宅に注目した別の本を書いており、併読が望まれるところ。

Jean-Paul Loubes, preface de Pierre Clement,
Maisons creusees du fleuve jaune:
L'architecture troglodytique en Chine

(Creaphis, Paris, 1988)
140 p.

いずれも図版が多数含まれ、特に地下に掘り込んだ複雑なかたちを呈する不定形な平面図と断面図とが楽しめます。

2010年1月14日木曜日

McKenzie 1990


ヨルダンのペトラ遺跡に関する報告書で、何度も再版が出されている重要な本。マッケンジーによる本の紹介は2冊目です(McKenzie 2007を参照)。
レヴァントと呼ばれる東地中海岸地域は、古くから交通の要衝で良い場所であったため、諸民族が取り合いを長年続けています。「岩」という名を持つこのペトラも、その名残を伝える遺跡のひとつ。当方が持っているのは再版。

Judith McKenzie,
The Architecture of Petra.
British Academy Monographs in Archaeology, No. 1
(Reprint. Oxbow Books, Oxford, 2005.
Originally published by Oxford University Press,
Oxford, and in the United States by Oxford University
Press, New York, 1990, reprint 1995.)
xxii, 209 p., 245 plates, 9 maps

数多くの遺跡の図面と写真が収められています。と言っても高い懸崖に造立されたものがたくさんあるので、実測はほとんど不可能の状態。そのため、主なものはセオドライトによる簡単な測量と写真撮影から立面図を起こしています。
この点は妥当な判断と言うべきで、そうでなかったらいつまで経っても終わらない調査になっていたはず。

今だったら3Dスキャンという手があるけれども、これだって高価な精密機械を砂漠地帯へ持ち込む作業となり、面倒な問題がいくつも発生します。
成果を逆に考え、安価で簡単な作業の方法を後で決めていったふしが見られます。
墓の形式は比較的簡単で、単室の周囲に小部屋を配する形式が少なくないから、実測作業もそれほど大変ではなかったはず。

この報告書に厚みをもたらしているのは考察の部分で、アレキサンダー大王死後のヘレニズム文化を代表する遺構群であるために、エジプトのアレクサンドリアに残る建築との比較などをおこなっています。
ペトラの建築のファサードをタイプ別に分け、それぞれを図示している点も周到で注目されます。用語集として建築装飾を図入りで説明する丁寧さも見受けられます。
報告書はこうやって作るんだという、お手本のような本。
不満があるとしたら、徹頭徹尾、美術史学的な記録が図られた書だという点です。建築学的には、まだ記述すべき部分がありそうです。

なお、Oxbow Booksは中近東における考古学関連の書籍を扱う非常に有名な本屋さんで、研究者の多くが利用しています。

http://www.oxbowbooks.com/home.cfm/Location/Oxbow

メールを登録すると月1回の新刊案内などを送ってくれます。

2010年1月13日水曜日

Jacques (and Freeman) 1997


カンボジア・アンコール遺跡の解説書はたくさんありますが、日本で出ているものは観光の紹介に偏りすぎていたりする本が多く、あまり使いものになりません。この本を書いているクロード・ジャックは、アンコール遺跡の編年研究に筋道をつけたG. セデスの弟子で、碑文学者。プレ・アンコール時代から13世紀以降までを包括して取り扱っており、カラー写真が豊富に収められています。

Claude Jacques, photographs by Michael Freeman,
translation by Tom White,
Angkor: Cities and Temples
(Asia Books, Bangkok, 1997)
319 p.

平面図が多く紹介されているだけでなく、タ・プロームやプレア・カン、バイヨンなどについては複数の図面を用い、増改築の過程を説明しています。他の本では見られない、大きな特色です。
ただバイヨンについては建造過程の解釈に誤りがあり、J. デュマルセやO. クニンの考察を無視していますので、注意が必要。ジャックとデュマルセたちとの意見の相違は、第一回廊と第二回廊との間に立ち並んでいた16棟の「祠堂」の扱いに顕著です。Clark (ed.) 2007も参照。ジャックはこれらの創建を初期にまで遡らせたいようですが、痕跡からはそのように考えることのできる余地がまったくありません。

アンコール地域の遺構だけを扱っているため、サンボール・プレイ・クックやコー・ケル、あるいはコンポン・スヴァイのプレア・カン、プレア・ヴィヘア、バンテアイ・チュマールについては触れられていません。これらやカンボジアの外にあるピマイなどの遺跡については、また別の本が必要となります。出版社は異なるものの、姉妹巻として扱われるものに、

Claude Jacques and Philippe Lafond,
The Khmer Empire:
Cities and Sanctuaries from the 5th to the 13th Century

(River Books, Bangkok, 2007)
279 p.

があり、こちらもカラー写真がふんだんに掲載されています。

アンコール遺跡に関するガイドブックでお勧めしたいのは、

Jean Laur,
Angkor: temples et monuments
(Flammarion, Paris, 2002)
391 p.

で、英語版も出版されています。著者は建築家で、アンコールにおける保存修復にも携わりました。100ページあまりを費やして、最初にクメール文明の流れを説明し、石材の運搬経路を地図で示してもいます。こういう図は他の本には載っていないはず。このため、O. クニンの博士論文にもこの箇所が引用されているわけです。
クメールの遺跡にはすべて番号がつけられているのですが、それが明記されているのもLaurの本の特徴です。マイナーな「486」と呼ばれる遺跡も平面図が掲載されています。アンコール・トムの域内にあって、ラテライトで造られた基壇が後に砂岩で覆われている面白い建物。

なお、「踊り子の綱」として知られるプラサート・スープラの年代は13世紀ではなく、もっと遡って12世紀であろうと今日では判断されます。

2010年1月12日火曜日

Bruguier 1998-1999


カンボジアに残存するすべての遺構に関し、情報の網羅をめざした基礎台帳。最も基本となる文献です。東南アジア建築研究に際しては必携の書。遺構名からも、また著者名からも文献資料を検索することができます。第1巻は著作リストです。また第2巻は遺構番号や遺構名から引くための索引集。
エジプト学における、PMPorter and Moss, 8 vols. に相当する本。

Bruno Bruguier,
avec la collaboration de Phann Nady,
Bibliographie du Cambodge ancien, 2 vols.

Vol. I: Corpus bibliographique
(Ecole Francaise d'Extreme-Orient, Paris, 1998)
338 pp.

Vol. II: Tables et index
(Ecole Francaise d'Extreme-Orient, Paris, 1999)
367 pp.

例えば上智大学の石澤良昭先生による海外に向けた研究業績を調べたいのであれば、第1巻で "Ishizawa (Yoshiaki)" を引きます。
すると、pp. 172-179にかけて、延々と論文リストが並ぶさまを見ることができます。

また、アンコール・ワットについてどれだけ既往の研究資料があるのかを調べたかったら、第2巻を見ます。"Angkor Vat"の項を引くと、pp. 74-78にわたって数字・英文字の羅列が続きます。
これらはパリに本部があるフランス極東学院(EFEO: Ecole Francaise d'Extreme-Orient)に収蔵されている調査日誌のページ数や、省略して書かれた数多くの著作・論文名を列記したもの。
図面がどれだけ存在するかも同時に分かります。

ただし、10年前に出版されたものなので、最新の研究成果は反映されていません。
さらに問題なのは、未刊行資料が多いということです。実際に資料を見ようとすると、パリに行かなくてはならない(!)場合も出てくるように思われます。

半ば絶望を誘う書ですが,クメールの遺跡群に関する考察の糸口を見つけるための重要な本。書評では、ヨーロッパ主要国以外の研究者たちの論考が抜けている点などが指摘されてもいますが、PMだって初版はそんな感じのものでした。
エジプト学に関わる文献の一切を網羅しようとしているOEBOnline Egyptological Bibliographyのような試みが、次には模索されるかと想像されます。OEBの年間使用料は今、個人で申し込むと50ユーロ(7000円弱)。

2010年1月11日月曜日

Barletta 2001


古典古代建築におけるオーダーの起源をたずねる論考。5つのオーダーのうち、特にドリス式とイオニア式のオーダーについては不明な点が多いと従来、指摘されてきました。改めてこうした問題を探った書。

Barbara A. Barletta,
The Origins of the Greek Architectural Orders
(Cambridge University Press, Cambridge, 2001)
xi, 220 p.

Contents:
Preface
1. The Literary Evidence
2. The Archaeological Evidence: Proto-Geometric through the Seventh Century B.C.
3. The Emergence of the Doric "Order"
4. The Emergence of the Ionic "Order"
5. The Origins of the Orders: Reality and Theory
Conclusions: Interpretation and Implications
(以下略)

コリント式についてはある程度、資料があるのですけれども、ドリス式とイオニア式のオーダーのふたつに関しては、結論から言えばやはり分からないと言うことになりそうです。
石造のオーダー以前に木造のオーダーがあったかどうかについても、この人は否定しており、

"It is clear, however, that a direct translation of forms originally fashioned in another material, such as wood, cannot be supported by the archaeological evidence."
(p. 152)

と記しています。

著者は美術史を専門とする大学の教員です。
ここには不思議な分かれ道があって、建築を専門とする者にとっては「証拠がない」ことなどは、実は周知の事実です。建築にとって何が「真実」なのか、建築を構想することにおけるリアリティの問題がこの本ではすっかり抜け落ちていますが、これは逆の視点に立てば、建築の考え方において何を根拠として置いているのかが問われているわけで、その差異が面白い。

たぶん、建築の世界では想像すること、造る前に建築を想定することに大きな力点を置いているらしく思われます。それは他の分野の者から見れば、ただの空想でしかありません。
この、ただの空想でしかないと思われる事象に現実感を伴わせる空隙の充填、そういうところが建築の世界の面白さなのかもしれません。
「幻視者」、という言葉も建築史の世界ではしばしば用いられました。

オーダー成立に関わる資料を総ざらいしていますから、古代エジプト建築との関わりを考える際には有用な本となります。事実、エジプトの影響を示唆している箇所もありますが、明確な証拠は提示されていません。
建築の世界では、想像力で補強して架橋するということにも、一定の正当性を与えているらしく思われます。考え方の違いを浮彫りにする論考です。

2010年1月10日日曜日

Protzen 1993


インカ建築の技法書として、真っ先に挙げられる本。エジプトやミケーネなどの石造の例と適宜比較しながら、建造技術を丁寧に解説しています。
人間が石で建物を造る時、その扱いが時期や地域を問わず、半ば普遍的であったことが良く了解されます。
近年、スペイン語訳が出ました。

Jean-Pierre Protzen,
with original drawings by Robert Batson,
Inca Architecture and Construction at Ollantaytambo
(Oxford University Press, New York, 1993)
x, 303 p.

Contents:
Introduction (p. 3)
I The Site and Its Architecture
1. The Archaeological Complex of Ollantaytambo (p. 17)
2. The Settlement (p. 41)
3. The Fortress (p. 73)
4. The Callejón and Q'ellu Raqay (p. 95)
5. The Storehouses (p. 111)
6. The Quarries of Kachiqhata (p. 137)

II Construction Techniques
7. Construction Materials (p. 157)
8. Qarrying (p. 165)
9. Transporting (p. 175)
10. Cutting and Dressing (p. 185)
11. Fitting, Laying, and Handling (p. 191)
12. Mortared Masonry (p. 211)
13. Details of Design and Construction (p. 219)

III Construction Episodes
14. Evidence of Construction Phases (p. 241)
15. Chronology (p. 257)

Conclusion (p. 271)
Appendix: Storage Capacity of Qollqa at Ollantaytambo (p. 289)
Bibliography (p. 291)
Index (p. 297)

この本の魅力を言うならば、何といっても多数掲載されている図版で、石組みの様子が写真や図面で豊富に紹介されている点が見どころです。
石切場、運搬方法などから、巨石を並べた壁体の組み方、隙間に挿入された細長い石の帯、運搬に用いられた突起、石と石とを固定するために加えられたクランプなど、話題は多岐にわたっており、さらに石の転用、増改築の痕跡などについても言及されています。

古典古代建築を見慣れた人にはあっと驚くような石組みの詳細が披瀝されており、興味が尽きません。
つまりはそれまでの知識を攪乱されているような感じがあるわけで、奇妙なことをやっている、という印象を強く覚えます。エジプトと似た加工技術もいくらか見られますが、加工痕のありさまは全く違っています。

冒頭に置かれた章で語られる、古代ローマ帝国とインカ帝国との比較も面白かった。基本的な構成は一緒なのだが、実際はまるで異なっているという名状しがたい感覚。
いくらでも別の世界はあり得るんだ、ということを改めて知らされる本です。

2010年1月9日土曜日

LÄ (Lexikon der Ägyptologie) 1975-1992


図書館学における分類では「総記」というものがあって、「本に関する本」という位置を占めます。これに相当する書籍をどれだけ活用できるかが、文献探索の大きな鍵となります。
通称「レキシコン」は、世界のエジプト学者たちが総力を結集させた全7巻のエジプト学事典。基本中の基本の文献です。エジプト学における事典の最高峰。

Wolfgang Helck und Eberhard Otto (Herausgegeben von),
Lexikon der Ägyptologie, 7 Bände
(Otto Harrassowitz, Wiesbaden, 1975-1992)

難点は高額なことで、今、これを個人で全巻揃えて購入するならば、30万円以上は少なくともかかるかと思います。特にさまざまなインデックス・地図などを収めた厚い第7巻は、一冊で10万円以上もする代物。
簡略版も出ています。

この百科事典の第一巻が出てからすでに30年以上が経ち、改訂版の刊行が問題になっていますが、あまりにも膨大な量であるために、作業はほとんど進んでいないように見受けられます。ドイツ系の人たちによって執筆者が多く占められたというのも、いささか問題でした。

この事典はエジプト学を進めている研究機関には必ず置いてあり、福岡キャンパスの図書館にも揃っていますから、この本に慣れることがまず肝要かと思われます。
各項目の下には誰が執筆したかを略して記載していますので、引用の際には巻頭でその名前の略称を調べ、執筆者名を明記することが望まれます。

個人で手が届く事典ということになると、次には

Donald B. Redford (ed.),
The Oxford Encyclopedia of Ancient Egypt, 3 vols.
(Oxford University Press, New York, 2001)
ca. 1800 p.

当たりかもしれませんが、これでもたぶん、10万円ほどします。
薄くて説明が簡単でもいいからもっと安いものをということであれば、

Ian Shaw and Paul Nicholson太字,
British Museum Dictionary of Ancient Egypt
(British Museum Press, London, 1995)
328 p.

で、これは和訳も出版されています。改訂版も出ました(Shaw and Nicholson 2008 (2nd ed.))。
小さくカラー図版が載っている、フランスから出版されたものも別にあり、

Georges Posener,
Dictionnaire de la civilisation égyptienne
(Fernand Hazan, Paris, 1959)
x, 324 p.

も便利でした。

一方、あんまりお勧めできないのは、

Margaret Bunson,
The Encyclopedia of Ancient Egypt
(Facts on File, New York, 1991)
xv, 291 p.

などで、たいして役に立ちません。
大事なことは、事典も複数見るということだと思います。

2010年1月8日金曜日

Linley 1996


そのままズバリ、「ヘンな家具」というタイトルがつけられた本です。常識の度を超した大きな家具、えらく緻密な細工が施された家具、またあちこちが可動で、ハシゴや引き出しが隠されていたり、机の天板が広がったりするもの、その他という内容。

David Linley,
Extraordinary Furniture
(Reed International Books, London, 1996)
192 pp.

ほとんどのページでカラー図版が所収されており、中世から現代までの家具の中から、着目されるものを選んでいます。
著者は自分でも家具を作るために、会社まで立ち上げた人間。はっきり言って、長さが20メートルもある会議用のテーブルを手がけたりしている札付きの変人なので、家具の選び方がもう尋常ではなく、図版を見るだけで楽しめます。

「ただただ、好きなだけで資料を集めたので、学問的でも何でもない」という序文の記し方が、著者の姿勢を良くあらわしています。面白いものについては、皆で情報を共有しましょうよという考え方が明らか。

この本は、トランジットで寄ったタイ・バンコクのドンムアン空港内の本屋で見つけたものです。
買おうか、買わないでおこうかと、書店の棚で本を見つけて迷った際、今では事情の許す限り、できるだけ購入することにしています。あの時に無理してでも買っておけば良かったと、あとになって後悔したことがこれまで何度もありますので。
本屋で新しいものを見つけた、その楽しかった時間を後にもう一度繰り返したいという、その想いだけなんですけれども。

自分の仕事に直接は役立つはずもない書籍ですが、珍しい家具がかつて作られ、またそれに注目するごく少数の熱狂的な人たちがいて、さらに本の出版まで考えてしまうような、とっても奇矯な方もいる、そうしたことに改めて感慨を覚える佳作。

2010年1月7日木曜日

Bierbrier 1995 (3rd ed.)


エジプト学者の総覧です。物故者のみが対象となっていますけれども、きわめて便利。
例えばF. ピートリーがどのような本をかつて出版していたか、調べたい時にはまずこの本から見ればいい。特に弔辞の記事が注目されます。そこでは生涯で1000タイトルほど書いていることが、確か触れられているはずです。
学者が亡くなった時に書かれる弔辞にはたいてい、これまでの研究業績が長々と記されていますから、その参考文献の欄を追えば、リストはすぐさま入手できることになります。
小さな赤い本ですけれども、研究者必携の著作物。
英国のEESから出版されているという点は、面白く思われます。分厚い「紳士録」を出している国からの刊行物です。

M. L. Bierbrier,
Who was Who in Egyptology
(Egypt Exploration Society, London, 1995, 3rd ed.
First published by Warren R. Dawson in 1951)
xiv, 458 p.

日本人の物故者も、新版では掲載されるようになりました。たいへん喜ばしいことです。
最近EESから送られて来た”News and Events: Autumn/Winter 2008”, p. 6を見ると、改訂版が予定されているとのこと。
編者は変わらずBierbrierで、ただこの第4版の題名は、

"A Biographical Index of Egyptologists: of Travellers, Explorers, and Excavators in Egypt; of Collectors and Dealers in Egyptian Antiquities; of Consults, Officials, Authors, Benefactors, and others whose names occur in the Literature of Egyptology, from the year 1500 to the present day, but excluding persons now living"

となるそうで、2010年の出版予定だと書いてあります。
しかし19世紀でもあるまいし、本当にこんな途方もない長い題のまま出版されるのかどうか、はなはだ疑わしい。1500年からの文献も含めるという強い意欲は買いますが、編者のBierbrierももう若くはないはずで、2010年に予定通り、本当に出版されることを望みます。

「版が変わるに当たって、新しい本に誰を掲載するか推薦してください」、と募集しています。新たな情報や写真も欲しがっている模様。当然のことながら「送られてくるもの全部が掲載されるとは限りません」、という断り書きが一方でしてありますけれども、あるいは日本人研究者に関するまとまった情報を送る良い機会かもしれません。

似たような題を持つ本に、

Michael Rice,
Who's Who in Ancient Egypt
(Routledge, London, 1999)
lxi, 257 p.

があります。
こちらの方は、古代エジプトを彩る人物に関する簡単な事典。