2010年1月6日水曜日

Taylor 2003


ローマの建築に関する本というのは多数あって、エジプト建築の場合とは大きく違うところです。
要領よくローマ建築の建造過程が纏められた本で、ペーパーバックも出ています。

Rabun M. Taylor,
Roman Builders:
A Study in Architectural Process

(Cambridge University Press, Cambridge, 2003)
xvi, 303 p.

Contents:

List of Illustration (p. ix)
Acknowledgments (p. xv)
Introduction (p. 1)
1 Planning and Design (p. 21)
2 Laying the Groundwork (p. 59)
3 Walls, Piers, and Columns (p. 92)
4 Complex Armatures (p. 133)
5 Roofing and Vaulting (p. 174)
6 Decoration and Finishing (p. 212)
Notes (p. 257)
Glossary (p. 275)
References (p. 281)
Index (p. 293)

建築にまつわる雑多な作業を、だいたい6つに収斂させ、解説。
150枚の図版を収め、代表的な、見逃せないローマ時代の建築を追っている点が特徴。パンテオンの屋根がどうなっているかはヴィオレ=ル=デュクがすでに19世紀の終わりに考察していますが、その構築過程を改めて考え、新たに図を描き起こしていたりします。カラカラ帝の公共浴場、バールベックの巨大な神殿やコロセウムなどを中心とした図版も豊富。

これらの図版の扱いがいささか小さくなってしまっているのが難点で、たとえばポン・デュ・ガールの水道橋の石の組積で「右」、「左」、「中央」の略号と数字が刻まれているさま(p. 181, Fig. 100)は、掲載された写真でははっきりと視認できません。

J.-P. アダムの本、"Roman Building"(Adam 2007, 5e éd.)から、いくらか図が引用されていますし、クレンカーの図も同様に引かれています(Krencker und Zschietzschmann 1938などを参照)。18世紀の版画家、ピラネージの図解までもある。
建築技術の本というのは子供向けの絵本ととても似たところがあり、寿命を延ばそうと思ったら絵の描き方と枚数に気をつかわなければならないということを再度、思わせます。

序文で面白いと思わせる下りがあり、

"To him I owe the awakenings of my interest in structural design; and while my interest is that of an engaged amateur, he gave me reason to believe, when others would not, that the two cultures of science and humanities can be assimilated in interesting and refreshing ways." (p. xvi)

と記されています。ここには著者の飾らない気持ちと、広く世界を見渡そうとする意欲との両方がうまくあらわされています。

2010年1月5日火曜日

Krencker und Zschietzschmann 1938


「シリアのローマ神殿」という題の本。実際にはシリアとレバノンとの間に拡がるベカー高原を中心として、点々と両国のあちこちに残っている古代ローマ時代の神殿、その他の遺構を報告しています。
バールベックはそのベカー高原の中心に建てられたとてつもない大神殿で、もちろん別扱いとなり、この本では扱われません。バールベックに関する建築資料を補足するために書かれた2巻本。

テキスト編に収められている説明図は400枚を超えており、筆者たちの力量を伝えています。復原図も適宜作成されており、この作業量はすごい。建築調査は大変であったはず。

Daniel Krencker und Willy Zschietzschmann,
Römische Tempel in Syrien.
Archäologisches Institut des Deutschen Reiches,
Denkmäler antiker Architektur, Band 5.
2 Bände. (Text und Tafeln)
(Walter de Gruyter, Berlin, 1938)
xxv, 297 p. + vii, 118 Tafeln

図版編の最後の2枚の図面集は、縮尺を揃えて各遺構の平面図を並べて見せており、こういう提示の仕方をしないといけないんだと反省させられます。比較的大きなもの3つの基壇の規模はほとんど同じであるようにうかがわれ、規格のようなものが存在していたのではないかという点を疑わせます。

小さい建物を扱う場合のメリットというのは、少人数の隊でもじっくりと調べることができるという点で、ここでも随所に挿入された詳細図や写真から、足早に駆け回ったであろう調査の合間に、よく見ることがなされた跡を看取できます。エジプト様式を持つ大きな祭壇も報告されていて、大いに興味が惹かれるところ。

小神殿などを扱う書籍ですが、古代ローマ建築の豊饒さの片鱗がここでも明瞭に伝わる内容です。
冒頭にはO. PuchsteinB. Schulzへの追悼献辞があり、この2名はバールベックの報告書の執筆を、Krenckerとともに進めた人たち。古代エジプトのカルナック大神殿の報告書を出すような企画ですから、その苦労は並大抵ではなかったと思われます。
日本で喩えて言うならば、奈良六大寺大観の建築報告書を書く、そういうことに相当するでしょうか。

ドイツ隊による調査の成果を、後年になって纏め、出版した経緯が序文で書かれていますけれども、この過程の途中には第一次世界大戦を挟んでおり、ドイツ人研究者たちによる粘り強い姿勢を垣間見ることができます。
なお、1978年には再版も出版されました。

イタリア人研究者のL. クレマも古代ローマ建築に関する分厚い本をいくらか遅れて書いており、当然のことながら、この2巻本に目を通していることが分かります。この人の本(Crema 1959)もすごい。
D. クレンカーの名前は、Schiaparelli 1927でも出てきます。

2010年1月4日月曜日

Aufrère, Golvin et Goyon 1994-1997


「復原されたエジプト」というタイトルを持つ3巻本。多数の図版を収めており、きわめて有用。フランスの研究者たちが、非常にたくさんのエジプトの建築遺構に関し、復原された姿を提示しています。この本を際立たせているのは、多数掲載されているカラーの水彩画。ゴルヴァンによる作品です。
第1巻は上エジプトを、第2巻はカルガ、ダクラ、バハリア、シーワなどの砂漠のオアシスを、第3巻は中・下エジプトを扱っています。

Sydney Aufrère, Jean-Claude Golvin, Jean-Claude Goyon,
L'Égypte restituée, 3 vols.
(Editions Errance, Paris, 1994-1997)

Tome I: Sites et temples de Haute Égypte.
De l'apogée de la civilisation pharaonique à l'époque gréco-romaine
(Paris, 1ère éd. 1994; 2e éd. 1997), 270 p.

Tome 2: Sites et temples des déserts.
De la naissance de la civilisation pharaonique à l'époque gréco-romaine
(Paris, 1994), 278 p.

Tome 3: Sites, temples et pyramides de Moyenne et Basse Égypte.
De la naissance de la civilisation pharaonique à l'époque gréco-romaine
(Paris, 1997), 363 p.

ゴルヴァンはチュニジアのカルタゴや、リビアのレプティス・マグナなどの復原図も精力的に描いており、絵の達者な研究者。第1巻のみが版を重ねているのは、この巻が人気の高い観光地であるルクソールを含んでいるからだと思われます。
カルナック神殿については延々と詳しくその増築過程を説明しており、複雑な構成を見せるこの建物の変遷を見やすく提示。
カルナック神殿に関しては、

Jean-Claude Golvin et Jean-Claude Goyon,
Les bâtisseurs de Karnak
(CNRS, Paris, 1987)
141 p.

が重要。同じ著者たちがもっと詳細に解説していて、この本のドイツ語版もすでに出版されています。
上エジプトとは風景が異なって、ナイル川がいくつもの支流に分かれるために土地が島状に点在する下エジプトの様子を、例えばアヴァリスの復原図はうまく伝えています。

建物の復原図を描く場合に問題となるのは、複数の復原案がある時にどうするのかということですが、ここでは取捨選択がおこなわれており、案を並列させるということをしていません。
ディール・アル=バフリーのメンチュヘテプ2世の記念神殿の場合はアーノルドの復原案が採用されており、ピラミッドを上に載せたウィンロックの案、あるいは人工的に造られた丘に木を生やしたシュタデルマンの案は不採用。

アスワーンやアレキサンドリアなどに触れられていないのは残念なところ。しかし綺麗な復原図の魅力が3巻にわたって生かされており、ポスターとして復原図が別売りされている理由も良く分かります。

2010年1月3日日曜日

Naumann 1971 (2nd ed.)


小アジア、つまり現在のトルコ地域の建築を扱ったもので、内容は500ページを超え、図版も600点余りを収めます。著者はインスタンブールのドイツ考古学研究所の所長だった人。

Rudolf Naumann,
Architektur Kleinasiens von ihren Anfaengen bis zum Ende der hethitischen Zeit
(Verlag Ernst Wasmuth, Tübingen, 1971. 1. Auflage 1955, xi, 439 p., 491 Abbildungen)
xiii, 508 p. mit 615 Abbildungen, 2 Falttafeln.

本の題名は「小アジア建築、その始まりからヒッタイト時代の終わりまで」。数千年間に及ぶ建築の歴史が述べられます。
ヒッタイト帝国の首都であったハットゥシャ=ボアズキョイを自分で発掘調査をおこない、報告書まで出版している人の本なので、非常に詳しいのが特徴。類似する書籍は未だ出ていないはずです。
初版から第2版に至り、図版が100点以上追加されました。

ヒッタイトと言えば鉄ですが、この帝国が一番最初に鉄を自由に加工することを始めました。この国が衰えると、密かに隠されていた鉄の製法は世界に拡がっていきます。すなわちヒッタイトが滅びる紀元前12世紀というのは、人類史において非常に大きな意味を持ち、古代史では青銅器時代の終焉と鉄器時代の始まりを告げる画期的な時代をなすものですから、紀元前12世紀前とその後とに大きく2分して語られることがあるぐらいです。
ちなみに古代エジプトではラメセス時代に相当し、この国は田舎でしたから鉄が入ってくる時期が遅れました。王朝時代には鉄の製法が伝わっていないと見るのが通説です。

最初にトルコの地理や気候などに触れているのは、フェルナン・ブローデルの「フェリペニ世の時代における地中海と地中海世界」(1949年)を意識しているのかもしれません。次には建築材料として石や木、土、アスファルト、石灰などが紹介されます。
続いて建物の構造に話を移し、基礎から石積み、煉瓦積み、木材との混構造、柱、天井、窓や扉、階段、また水に関わる設備など事細かに類例を挙げていき、住居、城塞、塔、王宮、神殿などに話が及びます。

第2版は入手困難になりつつあります。
1970年の著者の60歳を祝う本も出ているようですが、未見。

Rudolf Naumann zum 60. Geburtstag am 18. 7. 1970.
Istanbuler Mitteilungen, Band 19/20.
368 p., 97 Zeichnungen, 78 Tafeln mit 233 Abbildungen.

2010年1月2日土曜日

Davies 1999


古代エジプトの新王国時代末期に栄えたディール・アル=マディーナと呼ばれる村にはどのような人が住んでいたのか、その人名録。こういう特殊な字引が造られるというのが面白い。オランダのレイデンを根城としている、ディール・アル=マディーナ研究シリーズのうちの一冊。およそ3200年前の村にいた人たちの調書でもあります。
J. チェルニーが創始し、J. J. ヤンセンが拡張したディール・アル=マディーナ学とも言うべき分野が、堅実に継承されていることを示す本。

Benedict G. Davies,
Who's Who at Deir el-Medina:
A Prosogographic Study of the Royal Workmen's Community.

Egyptologische Uitgaven XIII
(Nederlands Instituut voor het Nabije Oosten te Leiden, Leiden, 1999)
xxiv, 317 p., 47 charts.

ディール・アル=マディーナについてはサイトも開設されており、重要。
イギリス・フランス・アメリカ・ドイツ・ロシアなどにもこの村を調べている研究者たちがいて、オランダ語やイタリア語による既往の研究もあり、これらを辿ろうと志す初学者には試練となります。ヒエラティックで記されたオストラカは総数で一万点以上あるはずで、全部が出版されていない状態。グリフィス研究所にあるチェルニーのたくさんのノートにも全部は記されていなくて、未刊行資料をどれだけ知っているかがカギとなる世界。
著者は第19王朝の厖大な文字史料を概観する本も出しています。KRIの簡略版。

Benedict G. Davies,
Egyptian Historical Inscriptions of the Nineteenth Dynasty.
Documenta Mundi: Aegyptiaca 2
(Paul Åströms Förlag, Jonsered, 1997)
x, 363 p.

その前には、第18王朝の史料を訳してもいます。Urkunden IVの、ヘルクがやった仕事の英訳。

Benedict G. Davies,
Egyptian Historical Records of the Later Eighteenth Dynasty, Fascicles IV-VI
(Aris & Phillips, Warminster, 1992-1995. Translation from the original hieroglyphic text as published in Wolfgang Helck, "Urkunden der 18. Dynastie", Hefte 20-22).

Fascicle IV (1992)
xv, 78 p.

Fascicle V (1994)
xx, 103 p.

Fascicle VI (1995)
xxvi, 129 p.

2010年1月1日金曜日

Butler 1998


ピラミッドに関してはここ10年ほどで多くの本が出版されており、たいへんな興隆を見せています。アビュドスの初期王朝の王墓U-jの発掘報告書がドイツ隊によって刊行されたりした(1998年)のもひとつの要因。また、塚を含み持つようなマスタバの存在が再認識され、階段ピラミッドのかたちが出現した経緯が語られるようになりました。こうした近年におけるピラミッド学の前進はしかし、日本ではあまり紹介されていないのが残念です。

この本は第4王朝に光を当てて、その遺構群に幾何学的な分析を試みています。
ベンベン出版社はカナダの研究グループと繋がりをもっており、かつては縮尺を揃えたエジプト建築の図面集の刊行を予告したりしていましたが、最近は目にしないところを見ると断念された様子。メソポタミア建築ではこうした図面集がすでに出ており、非常に有用ですから、この種の企画は是非、実現してもらいたいところ。


Hadyn R. Butler,
Egyptian Pyramid Geometry:
Architectural and Mathematical Patterning in Dynasty IV Egyptian Pyramid Complexes

(Benben Publications, Mississauga, 1998)
xvii, 242 p.

ちょっと荒い図ですが、100枚以上の分析図を収めており、キュービット尺による完数が多く示されています。古代エジプトの数学についても紹介を2章にわたっておこなっており、丁寧です。第7章の、ギザ台地の高さ関係についての分析は珍しく、面白いところ。第4王朝のピラミッドだけではなく、第11章では続く第5王朝、第6王朝に属するものについても言及しています。

ただ、ひとつの考えに収斂を見せないのが弱く感じられ、どこまで行っても完数計画の実例を延々と並べ立てているような印象がなくもない。四角い建物の平面の完数を探るのは比較的簡単で、問題は少ないと思えます。
これがピラミッドとなると、平面は正方形になるけれども、角度にもまた簡単な決め方が求められ、それは高さの完数計画にも決定的な影響を与えるから、さまざまなヴァリエーションが生み出されます。特に、高さの計測はものさしを当てて測れるようなものでないから、平面の一辺を定める時とは違う精度が求められたはずです。

著者は在野の地質学者であるらしく、苦労がしのばれますが、ここでも建物がどのように計画され、また造られるのかという実際上の問題がまったく触れられていません。これがいつでも課題となり、多くの混乱を招き寄せているように思われます。

2009年12月31日木曜日

Haselberger (ed.) 1999


人間の眼は垂直や水平の線の知覚に敏感である一方、想像される重量感など、周囲の状況を含んで脳が判断するために、時として曲がったり傾いたりしているという誤った認識がもたらされることがあります。建築を造る際にはこれが支障となり、わざと真っ直ぐであるべき床や梁材をごく僅か、曲げたり傾けたりという視覚矯正がなされる場合が見られ、これが「リファインメント」と呼ばれます。
パルテノン神殿には直線がどこにもない、と言われるのはこのため。

Lothar Haselberger ed.,
Appearance and Essence:
Refinements of Classical Architecture; Curvature.

University Museum Monograph 107, Symposium Series 10.
Proceedings of the Second Williams Symposium on Classical Architecture, held at the University of Pennsylvania, Philadelphia, April 2-4, 1993
(The University Museum, University of Pennsylvania, Philadelphia, 1999)
xvi, 316 p.

意図的に歪ませるというこの手法について、専門家たちが集まり、世界で初めて開催されたシンポジウムの記録。J. J. Coulton, M. Korres, M. Wilson Jones, P. Grosなど、古典古代建築の研究において、とてもよく知られた学者たちによる発表が含まれています。
このシンポジウムを纏めているHaselbergerは、トルコにあるディディマのアポロ神殿に残されていた、柱が曲線を描きながら先細りとなっている設計の下図を報告した人。

Lothar Haselberger,
"Werkzeichnungen am Jüngeren Didymeion: Vorbericht",
Istanbuler Mitteilungen 30 (1980), pp. 191-215.

は日本でも伊藤重剛氏によって紹介されたりしていて、知られた論文。
「リファインメント」というのは、実は建築の事典に載っていないことが多く、

"This book focuses on curvature and other refinements of Classical architecture - subtle, intentional deviations from geometrical regularity, that left no line, no element of a structure truly straight, or vertical, or what it appears to be."
(p. v)

と冒頭にわざわざ説明が改めてなされてもいます。xvページに"Introductory Bibliography"が設けられており、ここでリファインメント研究の先駆者、F. C. PenroseW. H. GoodyearA. K. Orlandosたちの著作が挙げられています。

中国建築におけるリファインメント、としてHuei-Min Luという人が中国の建築書「営造方式 Ying-tsao Fa-shih」(1103年)を扱っています(pp. 289-292)。
この建築書については、竹島卓一「営造方式の研究」(1972年)が有名。J. ニーダムによる紹介もありますけれども、世界で本格的な解説書はこれしか出版されていません。日本人だけが「営造方式」の注解書を読むことができるという状況にあるため、この研究者もSsu-cheng Liang, A Pictorial History of Chinese Architecture (Cambridge, Mass. 1984)の図版を挙げつつも、日本語からの翻訳も掲げています。柱を中心に向けてごく僅か、傾けるという手法を簡単に紹介。

「営造方式の研究」の分厚い手書き原稿は、いったん1942年に完成されたものの、第二次世界大戦の空襲によって消失。にも関わらず、再度の執筆が開始され、1949年に学位論文として提出されたという経緯が知られています。及び難い、不屈の精神。
中央公論美術出版社から出された3巻本の「営造方式の研究」は、2000ページを超える大著。

会議が開催された1993年以降の研究も付加されており、また19世紀・20世紀の建築で見られる同様の手法が巻末にリストアップされています。建築意匠の普遍的な手法としてこの矯正を見ようとするあらわれで、面白い。

2009年12月24日木曜日

Bierbrier 2008 (2nd ed.)


M. L. ビアブライヤーによる古代エジプト歴史事典の改訂版。全体の約2/3が事典で各項目の短い解説。これにアペンディクスとして参考文献リストなどの諸情報が加わります。
図版はほとんど掲載されていません。

Morris L. Bierbrier,
Historical Dictionary of Ancient Egypt.
Historical Dictionaries of Ancient Civilizations and Historical Eras, No. 22
(The Scarecrow Press, Lanham, Maryland, 2008, second edition. First published in 1999)
xxxix, 427 p.

すでに同じく改訂を重ねている「大英博物館古代エジプト百科事典」、つまりShaw and Nicholson 2008 (2nd ed.)の存在が強力であるため、項目説明の部分はどうしても見劣りがするかもしれません。しかし各々の説明を短くすることで、逆に項目数を大幅に増やしています。

例えば117ページから"KV"(テーベの「王家の谷」の略称)の説明が始まり、その直後の"KV1"から128ページの"KV63"まで延々と続いているのが典型。また私人名、タイトル(職名・肩書き)などをたくさん取り入れており、"High Priest of Ptah"などという項目があるのも本書の特徴。 アペンディクスAでは、紀元7世紀まで及ぶ支配者たちの人名が列記されるなど、工夫されています。ビザンティン時代の皇帝たちなどをも含んだ長いリストです。
アペンディクスBは古代エジプトの遺物を収蔵している世界の博物館の住所録。とは言え、日本の博物館はふたつしか掲載されていませんが。 そのひとつは東京の"Ukebukuro"にあるそうです。併記されている郵便番号は3桁しか無く、一体いつ頃に得た情報なのかと疑われるところ。インターネットで確認することがおこなわれていません。

311ページから最後まで続く参考文献リストに、本書の特色が最もあらわれているかもしれません。ほぼ100ページにわたって、エジプト学に関する基本的な文献が網羅されているからです。古いもの、また英語で書かれたもの以外はなるべく外されるという手続きがここでも取られていますけれども。 全体は「歴史」、「美術と建築」、「宗教」、「言語と文学」、「数学と天文学」、「科学と技術」、「博物館の収蔵品」というように20項目ほどに分けられており、最初の"General Works"ではいわゆる「総記」が扱われています。
特に"Archaeology: Excavations and Surveys"では遺構名がアルファベット順に並んでいますから、ポーター&モス(Porter and Moss (PM), 8 Vols.)の簡略版がここに挿入されているともみなされます。有用です。 膨大な文献リスト。
ただし、文献の選択眼には揺らぎが感じられ、今ひとつ中途半端な感じが否めません。重要な書籍をすべて網羅しようとした訳ではない、ということは承知されますけれども、もう一工夫があっても良かったのではないかと惜しまれます。

村上 2006


美術家の本。金儲けと美術とを直接結びつけたとして注目を浴び、また反発を覚えた向きもあったのではないかと想像しますが、しかしそのこと自体は、たぶん建築の分野ではあまり珍しいことではありません。建築というのは、基本的に人のお金で建物を造る作業ですから。
そこが個人的には面白いところです。

村上隆
「芸術起業論」
(幻冬舎、2006年)
247 p.

芸大の美術学部日本画科を出て、博士課程修了という経歴を持ちます。
日本画の世界は江戸時代からの流れを未だに脈々と汲んでおり、たとえば美術年鑑を見たことのある人ならば、そこに系統図が載っていたりしたのを御存知かもしれません。
淋派や狩野派という言葉は、まだ生きています。先生の先生の先生…というように遡ると、江戸時代まで行くということです。

長く続く伝統の良さもあるのですが、一方でこれを束縛と感じる学生も、もちろんいるかと思います。昔、芸大卒制展と東京五美大卒業制作展が合同で上野の東京都美術館にて開催されていました。芸大、武蔵美、多摩美、女子美、造形大、日芸、各大学の作品を見比べることができましたが、当時は芸大日本画科の人たち、自由に出品ができなかったのでは。

記されている内容はしかし、ブルーノ・ラトゥール「科学が作られているとき:人類学的考察」(1987年)ときわめて近い部分があるかもしれないと思わせます。そう言えば、ラトゥールの本に繰り返し出てくるヤヌスのふたつの顔と、この本の装丁はそっくりです。
心を打つものを制作すれば、それは自然に注目されるようになるという考え方を真っ向から否定していますが、これは、学問において真実を発表すれば必ず広く認められるという大きな誤謬を突くラトゥールの考え方と酷似しています。

起業という言葉に鋭く反応するよりも、ここでは現在という時代における回路の積極的な恢復がめざされているのだと考えた方が分かりやすいと思われます。「ほんとうのこと」が今日では深く疑われており、それに対する過激な、また現実的な処方箋が提示されているのだということです。
本人がそれを実践しているのだから、説得力がある。

著者が芸大に提出した博士論文が「意味の無意味の意味」を巡る考察、というのも非常に興味深い。概念とメタ概念とを分ける考え方。
時代の空隙を見定める作業を続けている人なのだと言うことが、この題名だけでも伝わってきます。頭の回転が速い人なのだなと言うことも、同時に分かる題名の付け方です。

「です・ます」調で書かれているので、非常に読みやすい。海洋堂のプロ集団に認められていく経緯も面白いけれども、終盤のマチスとピカソとの対比がとても示唆的です。ウォーホールのやり方は分かる、という言い方にも興味が惹かれます。

Davies and Gardiner 1936


古代エジプトの絵画に関して網羅を図った代表的な著作で、第1巻と第2巻は高さが60cm以上もある大判の書籍。それぞれ50枚以上のきれいな図版を収めています。これもまたルーズリーフ形式で、各図版をバラバラにして見ることができます。全部で104枚の画集。第3巻は文章にて解説。
ニーナ・デーヴィスはエジプト学者の奥さんで、旦那と一緒にエジプトへ行くようになってから壁画の模写の仕事を覚え、有名な模写担当となりました。共同執筆者の相方は、優れた文字読みの研究者。

Nina M. Davies and Alan H. Gardiner,
Ancient Egyptian Paintings, 3 vols.
(The University of Chicago Press, Chicago, 1936)

Vol. I: I-LII Plates.
Vol. II: LIII-CIV plates.
Vol. III: Descriptive Text. xlviii, 209 p.

フランス語版も出ており、

Nina M. Davies, avec la collaboration de Alan H. Gardiner,
préface et adaptation de Albert Champdor,
La peinture égyptienne, 5 tomes.
Art et Archéologie
(Albert Guillot, Paris, 1953-1954)

はしかし、本の大きさも半分ぐらいに減じられているし、各々の巻に10枚ずつの図しか収めていません。
この2人による刊行物は他にもあって、ツタンカーメンに関するものでは

Nina M. Davies,
with explanatory text by Alan H. Gardiner,
Tutankhamun's Painted Box
(Oxford University Press for the Griffith Institute, Oxford, 1962)
22 p., 5 looseleaves.

を挙げることができ、これは長さ62cmほどの薄い木箱に入っている本。エジプト学に関する刊行物の中でも、こうした体裁はとても珍しい。
テーベの墓、アメンエムハト(TT82)についての本も彼らによるものです。夫やガーディナーたちに支えられて出版されていることが明瞭。

Nina de Garis Davies and Alan H. Gardiner,
The Tomb of Amenemhet (No. 82).
The Theban Tombs Series: Edited by Norman de Garis Davies and Alan H. Gardiner.
First and Introductory Memoir
(Egypt Exploration Fund, London, 1915)
vii, 132 p., XLVI plates.

彼女は単独で、テーベの墓の壁画についての抜粋も出しています。

Nina de Garis Davies,
Private Tombs at Thebes IV:
Scenes from Some Theban Tombs (Nos. 38, 66, 162, with excerpts from 81)
(Griffith Institute, Oxford, 1963)
xi, XXIV plates.

「エジプトの絵画」という、薄くて小さな本も1954年に執筆していますが、これはもう顧みられることが極めて少ない刊行物。

2009年12月23日水曜日

Jéquier 1911


新王国時代のテーベにおける私人墓の天井画を集めた画集。フリーズ文様も扱っています。
高さが40cmほどの本で、カラー図版を印刷したルーズリーフ形式をとり、バラバラにして見比べることができます。
古くはオーウェン・ジョーンズによる名高い「装飾の文法」(Owen Jones, The Grammar of Ornament. Messrs Day and Son, London, 1856)でも、古代エジプトの天井画とおぼしき文様がカラーで見られますが、ここではもう少し詳しく紹介がなされているのが特色。
お墓の天井画を集めようとしている本というのはなかなかなくて、この他にはElke Roik, Das altägyptische Wohnhaus und seine Darstellung im Flachbild, 2 Bände(Peter Lang, Frankfurt am Main, 1988)などがあるのみですけれども、Roikのこの本には残念ながらカラー図版が掲載されていません。

Gustave Jéquier,
L'art décoratif dans l'antiquité décoration égyptienne:
Plafonds et frises végétales du Nouvel Empire thébain (1400 à 1000 avant J.-C.)

(Librairie centrale d'art et architecture, Paris, 1911)
16 p., XL planches.

G. ジェキエと言えば、マスタバ・ファラオンやペピ2世の葬祭建築を扱った報告書が知られています。建築と装飾に関する資料の収集を心がけた学徒としても有名で、以下の3冊による写真集は50cmを超える高さを有し、20世紀の中葉には良く参照されました。
これもまたルーズリーフ形式で、研究者の便宜を図っていることが分かります。ただ図版はモノクロ。最近ではカラー図版を豊富に載せている本が多数出版されているので、古写真を集めた本として逆に価値が高まっているかもしれません。

Gustave Jéquier,
L'architecture et la décoration dans l'ancienne Égypte (3 tomes)
(Albert Moranc, Paris, 1920-1924).

Les temples memphites et thébains des origines a la XVIIIe dynastie
(1920)
v, 16 p., 80 planches.

Les temples ramessides et saïtes de la XIXe a la XXXe dynastie
(1922)
v, 11 p., 80 planches.

Les temples ptolémaïques et romains
(1924)
iii, 10 p., 80 planches.

主著はおそらく、以下の書。
日本建築史でいうならば、天沼俊一博士を彷彿とさせるエジプト学者でした。

Gustave Jéquier,
Manuel d'archéologie égyptienne:
Les éléments de l'architecture

(Picard, Paris, 1924)
xiv, 401 p.

2009年12月22日火曜日

Frankfort (ed.) 1929


フランクフォートによるアマルナの壁画集。王宮だけではなく、住居の壁画も掲載しています。
F. G. ニュートンを追悼した刊行物。模写を担当したニュートンのカラー作品の他、デーヴィス夫妻によるものも載っています。
現在では入手の困難な書籍のひとつ。もし今、市場に出たとしても、おそらく10万円ほどは覚悟しなければなりません。

Henri Frankfort (ed.),
with contributions by N. de Garis Davies, H. Frankfort, S. R. K. Glanville, T. Whittemore,
plates in colour by the late Francis G. Newton, Nina de G. Davies, N. de Garis Davies,
The Mural Painting of El-'Amarneh.
F. G. Newton Memorial Volume
(Egypt Exploration Society, London, 1929)
xi, 74 p. XXI plates.

Contents:

Francis Giesler Newton. A biographical note by Thomas Whittemore (vii)
Note (ix)
List of Plates (xi)
I. Francis Giesler Newton (Frontispiece)
II. "Green Room," East Wall
III. The Doves (Detail from Plate II). In colour
IV. "Green Room," West Wall
V. Pigeons and Shrike (Detail from Plate IV). In colour
VI. Kingfisher (Detail from Plate IV). In colour
VII. Three fragments of border designs: A and C, Details from Plate II; B, From east half of south wall of North-eastern Court. In colour
VIII. Kingfisher and Dove (Details from Plates II and IV)
IX. Shrike (Detail from Plate II); Vine-leaves and Olive (unplaced fragments). In colour
X. Geese and Cranes, from West Rooms of North-eastern Court of Northern Palace
XI. Goose (Detail from Plate X). In colour
XII. Various Fragments from the Northern Palace
XIII. Paintings from the Palace of Amenhotep III near Thebes
XIV. Plan of the Northern Palace
XV. Detail of flowers and fruit in Fayence and Wall-paintings
XVI. Garland designs on Mummy Cases
XVII. Ducks from House V.37.1. In colour
XVIII. Mural Designs from Houses
A. A Garland Fragment, House V.37.1
B. Frieze, Official Residence of Pnehsy
C. Garland, House R.44.2
XIX. Garland and Ducks, House V.37.1. In colour
XX. Garland and Ducks, House of Ra'nûfer
XXI. False Window Frieze, House V.37.1

Chapter I. The Affinities of the Mural Paintings of El-'Amarneh, by H. Frankfort (p. 1)
Chapter II. The Decoration of the Houses, by S. R. K. Glanville (p. 31)
Chapter III. The Paintings of the Northern Palace, by N. de Garis Davies (p. 58)

Index (p. 73)

50cmに迫る高さの本で、大判。
「グリーン・ルーム」という名で知られている部屋の壁画の詳細を見ることができます。
アマルナ型住居の彩色に関しても、この本を見ることが必要。第2章にその解説があります。関連書としてはまず、Wheatherhead 2007が重要で、この他にKemp and Weatherhead 2000Weatherhead and Kemp 2007もあります。

最後に掲げられている「疑似窓」の図版は資料として貴重。実際には外光を取り入れない、室内から見上げた時に窓のかたちに見えるように造られたニセの窓。扉だけではなく、部屋の対称位置にまがい物の窓も造られたようです。
ドイツ隊による報告書でも、カラー図版による巻頭の復原図の中で、このニセの窓の存在を確認することができます。

Ludwig Borchardt und Herbert Ricke,
Die Wohnhäuser in Tell el-Amarna.
Wissenschaftliche Veröffentlichung der Deutschen Orient-Gesellschaft (WVDOG) 91.
Ausgrabungen der Deutschen Orient-Gesellschaft in Tell el-Amarna 5
(Gebr. Mann Verlag, Berlin, 1980)
350 p., 29 Tafeln, 7 site plans, 112 plans.

とっくのとうに亡くなっているボルヒャルトの名前が著者として出されているものとしては最新刊です。アマルナ型住居に関する、もっとも詳しい図面集。

2009年12月21日月曜日

Kuentz 1932 (CG 1308-1315, 17001-17036)


"CG"は一般にコンピュータ・グラフィックスを指しますが、Catalogue Generalの略称、つまり博物館に収蔵されている遺物の目録を意味する場合が時としてあります。特にエジプト学において、"CGC"とはカイロ・エジプト博物館から出ている収蔵遺物カタログを指し、これは100年以上も前からすでに数十冊出ていますけれども、今もなお刊行が継続している膨大なシリーズ。しかし既刊分をすべて揃えている研究機関というのは、日本では皆無かもしれない。
そのうちの、オベリスクを扱ったもの。

Charles Kuentz,
Obélisques.
Catalogue Général des antiquités égyptiennes du musée du Caire (CGC), nos. 1308-1315 et 17001-17036
(Institut Francais d'Archéologie Orientale, Le Caire, 1932)
viii, 81 p., 16 planches.

博物館に収めることのできる程度のものの報告ですから、あんまり大きいオベリスクは扱われていません。報告は丁寧で、本来は各辺が等しくなるように造られるべきだったんでしょうが、実際はかなりの誤差があり、ここでは各辺の実測値が挙げられています。勾配も記されていますけれども、片側だけを測った値で、エンゲルバッハの考え方はまったく反映されていない点が興味を惹かれるところです。

CGCのうち、古いもののいくつかは今日、ウェブで見ることができます。もう入手することが困難なものも多く、古本屋ではかなりの高額で扱われていますので、こういう基本的な図書が簡単に見られるというのは非常にありがたい。下記のCGCリストはEEFの有志によって纏められているもの。

http://www.egyptologyforum.org/EEFCG.html

このCGCとは別に、20世紀の半ばに、"CAA"という出版企画も立てられました。このシリーズも、すでに数十冊の刊行がなされています。

Corpus Antiquitatum Aegyptiacarum (CAA)

というのは、世界の博物館が収蔵しているエジプトの遺物を、一定の記述項目の定めに従って順次出版しようという壮大な試みで、考えは素晴らしい。特色は各ページを綴じず、ばらばらにして読むことができることで、ルーズリーフ形式を採用しています。各遺物を見比べられるという大きな利点がここにはあります。
ただ、出版の進捗状況は思わしくなく、多くの人が見たいと考えているはずの新王国時代のレリーフや壁画片などはなかなか刊行されず、後回しにされている状況です。

もっと問題なのは、このシリーズを図書館が購入した場合、ページがなくなることを恐れて製本してしまう場合が多いことで、こうなるとルーズリーフで出版される意味がありません。不特定多数の人に公開する際に生じる盗難や攪乱などの問題の回避のため、不便な方法が選択されるという点が、ここでもうかがわれます。

2009年12月20日日曜日

Arnold 1999


古代エジプトの末期王朝からグレコ・ローマン時代までの建築を詳しく扱う本。ほとんど類書がありません。アレキサンダー・バダウィが古代エジプト建築史について、それぞれ古王国時代、中王国時代、新王国時代を述べた3巻本を書いており(Badawy 1954-1968)、末期王朝以降を扱う第4冊目の刊行が予告されていましたが、結局は出版されませんでした。
30年以上経って、それが実現されたことになります。

Dieter Arnold,
Temples of the Pharaohs
(Oxford University Press, New York, 1999)
viii, 373 p.

王別によって建物が豊富な図版とともに順次紹介されており、たとえば流されてしまって今は失われた、ヤシ柱の列柱室を前面に有するカウ・エル=ケビール(アンタエオポリス)の神殿、あるいはアルマントの誕生殿などは、コンピュータ・グラフィックスによって復原されているという具合。
計画寸法の話、木造屋根の復原考察、柱頭の装飾モティーフの配列など、怠りなく説明されています。

近年はHölblなどが出版を重ねて、グレコ・ローマン時代に関する文献も増えつつあります。

Günther Hölbl,
Altägypten im römischen Reich:
Der römische Pharao und seine Tempel.


Band I:
Römische Politik und altägyptische Ideologie von Augustus bis Diocletian, Tempelbau in Oberägypten
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2000)
v, 122 p.

Band II:
Die Tempel des römischen Nubien
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2004)
iv, 160 p.

Band III:
Heiligtümer und religiöses Leben in den ägyptischen Wüsten und Oasten
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2005)
116 p.

なども有用。
この人は1994年に"Geschichte des Ptolemäerreiches"を書いており、英訳された本、

Günther Hölbl,
translated by Tina Saavedra,
A History of the Ptolemaic Empire
(Routledge, London, 2001)
xxxvi, 373 p., 2 maps.

なども出しています。

2009年12月19日土曜日

Arnold 1991


古代エジプトの建築技術に関する、最も権威ある書。出版されてから20年ほど経ちますが、内容はさほど古びていません。

Dieter Arnold,
Building in Egypt:
Pharaonic Stone Masonry

(Oxford University Press, New York, 1991)
ix, 316 p.

序文を読むと、いろいろと考えていることが分かります。古代エジプトにおいては巨石文化が見当たらず、いきなり精巧な石造を始めたような印象があるという指摘がまずひとつ。この点は重要です。
また、他地域における建造技術についての出版物に注意を払っていることがうかがわれます。古代エジプト建築に関する本なのに、註にはミノア建築やインカ建築、また中世の建築の書籍にも触れられています。時代や地域に関わらず、石造建築の共通性を見ようとしている姿勢が示唆されています。
ただ本文においては、そうした意識はきわめて希薄。欲張りな願いですけれども、本当はクールトンの本などに言及が欲しかったところ。

中王国時代の建築は遺構例が限られることもあって、情報が比較的少ないのですが、この時代の専門家であるだけに、独壇場と言った感じ。これほど中王国時代の建築に詳しい人は今、世界にいません。
でもそれが逆に、他の時代についての記述との落差を生んでいる部分があって、この人が例えばフランス人と組んで本を出したりしたら、完璧なのにと思ったりします。フランス隊はエジプトと共同でカルナック神殿調査を永らく担当しており、その情報量は膨大です。
この本に対し、フランス側の威信をかけて出された本が

Jean-Claude Goyon, Jean-Claude Golvin, Claire Simon-Boidot, Gilles Martinet,
La construction pharaonique du Moyen Empire à l'époque gréco-romaine:
Contexte et principes technologiques
(Picard, Paris, 2004)
456 p.

で、比較すると面白い。

アーノルドのこの本の書評はいくつもすでに出ていて、それぞれベタ褒めです。しかし問題点はいくつかあるように思われます。そのひとつは建築計画について述べている章で、あまり深く立ち入って考察しているとは思われない。反論を試みようとするならば、ここら辺が問題になるかと感じられます。

註は充実しており、この本1冊を丹念に見るならば、ほとんど網羅されているので非常に有用です。ここ20年の情報は、自分で補わなくてはなりませんが。

2009年12月18日金曜日

Badawy 1965


「古代エジプト建築のデザイン」というタイトルが付けられた書。著者は古代エジプトの建築研究の分野では有名な人で、先王朝時代・古王国時代から新王国時代までにわたる、三巻に及ぶ通史を書いています(Badawy 1954-1968)。本格的な古代エジプト建築の通史を書いた、最後の研究者。
予定されていた四巻目、これは末期時代以降の建築が扱われる予定でしたが、結局は刊行されませんでした。この仕事はArnold 1999にて実現されます。
晩年に下記の本を出したのですけれども、出版から40年以上が経ち、現在はその評価を巡って意見が分かれるところです。

Alexander Badawy,
Ancient Egyptian Architectural Design:
A Study of the Harmonic System
.
University of California Publications, Near Eastern Studies Volume 4
(University of California Press, Berkeley and Los Angeles, 1965)
xii, 195 p., 1 sheet of "harmonic triangle".

黄緑色のペーパーバックで、前半は副題にも明示されている「ハーモニック・システム」を論理的に考証し、後半の図面集にて検討と分析をおこなうというもの。
「ハーモニック・システム」とは何を意味するかと言うことですが、建築を建てる前にはその平面を地面に描く作業が必要となり、その時にはどのようにして正確に直角を定めることができたかが問題となります。古代から用いられてきたのは、各辺3:4:5の長さに縄で直角三角形を構成するという作図方法で、ここまでは疑念がないと最近まで思われてきました。
これに疑問を呈したのがRobson and Stedall (eds.) 2009に論考を書いているA. Imhausen です。

この直角三角形を2つ並べ、8:5という比例を重視して、黄金比である1:1.618との近似を指摘する当たりから、だんだんと見解が分かれることになります。19世紀にはこうした当て嵌めが流行しました。
けれども、精度をより重視した姿勢、また実際の建造工程を含んだ考察方法が今では主流になっており、平面図の上で幾何学的に作図した線が合致するというような簡単な説明で説得力を得ることはできなくなっています。

本の後半に収められている多数の建築の平面分析を示す図には、でもさまざまな教唆が秘められているように思われます。
まず第一に古代エジプト建築の主要な建築図面が揃っていない今日、未だこうした図面資料の類が貴重となります。図面の縮尺を当時の尺度であるキュービットをもとにしている点も、建築計画に関して知識があった人ならではの工夫です。

透明の小さなシートに8:5の直角三角形を印刷し、それを巻末のポケットに入れています。建築の図面に直接当てて確認してください、という趣向。
ここには不特定多数の人間に、古代エジプト建築にできるだけ触れて欲しいという願いが込められていると見るべきであって、彼の元から直接には傑出した弟子が特に輩出することのなかったことを考え合わせると、また別の感慨を感じることになります。

アメリカのボルティモアにあるジョンズ・ホプキンズ大学には「アレクサンダー・バダウィ教授職」という、彼の名を冠した地位があり、これは彼の業績を記念して創設されています。バダウィは後年、アメリカに渡って研究と教育を続けました。
現在はベッツィ・ブライアン教授(Bryan 1993を参照)がその役職に就任。

2009年12月17日木曜日

Raven 2003


エジプトのトゥーム・チャペル(神殿型貴族墓)の計画方法を述べている論考で、メンフィス地域の平地に建つ新王国時代の貴族墓の平面図を分析しています。エジプト学者に対するA. Badawyの本の影響力が知られる論文。
バダウィはAncient Egyptian Architectural Design: A Study of the Harmonic System (Universty of California Press, Berkeley and Los Angeles, 1965)という本を書いていて、近年はこの考え方に対する反論が出ている状況です。バダウィの他の本については、Badawy 1954-1968などを参照。彼はArchitecture in Ancient Egypt and the Near East (MIT Press, Cambridge, 1966)なども出しています。


Maarten J. Raven,
"The Modular Design of New Kingdom Tombs at Saqqara",
Jaarbericht Ex Oriente Lux (JEOL) 37 (2001-2002) (2003),
pp. 53-69.

1. Introduction
2. The tomb of Maya and Meryt
2.1. Reconstruction of the modular grid
2.2. Dimensions of the tomb as multiples of the cubit
2.3. Analysis of the tomb as a harmonic design
3. The tomb of Horemheb
3.1. Reconstruction of the modular grid
3.2. Dimensions of the tomb as multiples of the cubit
3.3. Analysis of the tomb as a harmonic design
4. The tomb of Pay and Raia
4.1. Reconstruction of the modular grid
4.2. Dimensions of the tomb as multiples of the cubit
4.3. Analysis of the tomb as a harmonic design
5. The tomb of Tia and Tia
5.1. Reconstruction of the modular grid
5.2. Dimensions of the tomb as multiples of the cubit
5.3. Analysis of the tomb as a harmonic design
6. Conclusions

4つの墓を対象としており、例えばティアの墓は平行四辺形に歪んでいるのですが、これを長方形に直して計画格子線を推定している点など、問題の在処を良く理解して考察を進めています。基本的に外壁の内々寸法をキュービット尺の完数で押さえているという計画方法を、うまく導き出しているところが眼目。他方で、マヤの墓では第一中庭が外々寸法で計画されたと考える点を併記しており、面白い。

5:8の比例が本当に用いられたかは、今後、検討されるべき問題。本当は実測値を逐一示して、キュービットの完数値とどれだけの誤差があるのかを示す方が望ましいのですけれども、本文中に主な計寸の値を出すだけで、他の研究者が詳しく確認できない状態にあるところは残念です。
しかし、歪んで見える平面も、正しく計画格子線の上に載るようだということを説得力を持って主張しており、これは大きな成果。

最後の註には、早稲田大学の小岩正樹さんによる論考が引用されています。ダハシュールにおけるパシェドゥの墓の平面分析が参照されているわけで、この方面の研究の進展が期待されます。

2009年12月16日水曜日

Schulz 1911 (reprint 1974)


イタリアのラヴェンナに建つテオドリクス霊廟は世界遺産にも含まれていますが、この建物に関する論考。
直径が10mちょっとの円筒形をした2階建てで、装飾も控えめな小さい建物ですが、これがなぜ、石造建築の技術を扱う専門書で必ずと言っていいほど登場するのかという理由はまず、ひとつの巨大な石板から刳り抜かれて造られたドーム屋根が載っているからで、度肝を抜く造り方をおこなっています。
1階のアーチ迫り石には、目地にずれ止めのためのわずかな段差が設けられ、これも大きな特徴。2階の入口上部に見られるフラット・アーチにも同じような工夫が観察されます。この2階の入口は、日本建築で言うところの「幣軸構え」を石造でおこなっており、外側から入口を見るならば垂直材と上部の水平架構材との接合で45度の斜めの目地を呈していますけれども、内側から見れば水平の目地がとられ、垂直材の上に加工材が載るかたち。
「幣軸構え」についてはCiNiiにて検索すると、平山育男氏による論文が多数ヒットするはずです。ほとんど全部が無償でダウンロードできます。

こうした石造の「幣軸構え」は古代ローマ時代の遺構でも見られ、リビアにおけるレプティス・マグナの広場やサブラタの劇場、トルコのアフロディシアスの劇場などでも確認されます。

Bruno Schulz,
Das Grabmal des Theoderich zu Ravenna und seine Stellung in der Architekturgeschichte.
Darstellungen früh- und vorgeschichtlicher Kultur-, Kunst- und Völkerentwicklung, Heft 3
(Curt Kabitzsch (A. Stuber's Verlag), Würzburg, 1911. Reprint, Mannus Verlag, Bonn, 1974)
(ii), 34 p., mit 34 Textabbildungen und einem Titelbild.

ヘレニズム期の霊廟建築などを参照しつつ、2階部分の柱廊について考察を進め、壁体に残存する痕跡を詳細に調べて復原図を作成、これを巻頭に掲載しています。奇妙で例外的な建物ですから、復元考察は大変です。他の研究者たちがすでに復原図を提示しているので、これを乗り越える試みがなされています。

1階の天井で見られる交差ヴォールトの組み方も面白いのですが、ここでは詳しく触れません。
残念なことに鳩が出入りする遺跡で、見終わった観光客は、「暗くて汚れているし、とても臭い」という意見を口にしていました。建築を見た感想としては最悪に属するもので、残念。
しかし石造建築の長い歴史の中においては名状しがたい異彩を放っている作品で、一見の価値があるように思います。

2009年12月15日火曜日

Urk. IV (Urkunden IV) 1906-1961


古代エジプトにおいて「ルネサンス時代」とも「バロック時代」とも比される、最も華やかな時期であった新王国時代の第18王朝の歴史的な史料を集成した重要な書。Kurt Setheがヒエログリフを全部手書きで写した本を出した後に、Wolfgang Helckがこの大仕事を引き継いで補完しました。

Urkunden IVは全部で22章からなり、Setheは1-16章を、またHelckは17-22章を担当。Helckは訳文までつけるという偉業をなし遂げました。
Setheのものだけを急いで挙げるならば、

Kurt Sethe,
Urkunden der 18. Dynastie.
Historische-biographische Urkunden (Akademie-Verlag, Berlin), 4 Bände
Band 1, vi, 1-314 p.
Band 2, vi, 315-624 p.
Band 3, vi, 625-936 p.
Band 4, vi, 937-1226 p.

と、1000ページ以上にわたる、手書きの本です。驚くべき書物。実際に見てその仕事量を確認すべき。
第18王朝の史料を集めたものが、どうして"IV"、つまり4番目となっているのかは説明が必要です。
もともとこれは、19世紀生まれの碩学Georg Steindorffの編纂による、ドイツで企てられた壮大な

"Urkunden des ägyptischen Altertums"

と呼ばれるシリーズのうちのひとつで、古代エジプト時代の歴史史料を集成しようとした目論み。
英語版のウィキペディアなどでは、8巻からなる構想が紹介されているはずです。ドイツ語版のウィキペディアはもっと詳しい。
"Urk. IV"、と専門家によって略されるこの巻については、まずは英語で書かれている

http://en.wikipedia.org/wiki/Urkunden_der_18._Dynastie

を参照のこと。
Helckによる分冊の英訳について、この英語版のウィキペディアでは、Barbara Cummingが3冊を出した後に、訳者が交代してBenedict G. Daviesが後続巻の3冊を担当し、10年以上前に最後の22章までが出版済みであることを記していません。

この出版物は非常に有名な書籍なので、多くのページで紹介されています。
Michael Tilgnerは、

http://www.egyptologyforum.org/EEFUrk.html

にてダウンロードの可能なリンクを張った最新版のページを作成しており、注目されます。今日、ほとんどの巻がダウンロードできることがこれで了解されます。

リンク先に注目。シカゴ大学のオリエント研究所(OIC: Oriental Institute of Chicago)に多く繋がっています。
この大学が開設している資料集、"ETANA"を使いこなすことはエジプト学のみならず、西アジア研究を進める上でもたいへん重要です。圧倒的な情報を収めたアーカイヴ。改訂の情報は主に"EEF"で配信されます。

Urk. IVの索引が出たのは、何と1988年。

Monika Hasitzka und Helmut Satzinger (Bearbeitet von) / Adelheid Burkhardt,
Urkunden der 18. Dynastie: Indices zu Heften 1-22 / Corrigenda zu den Heften 5-16
(Akademie-Verlag, Berlin, 1988)
119 p.

とても大がかりな仕事です。ですから"1906-1961"という表題における後者の年号は、あくまでもHelckがHeft 22を出版した年で、このシリーズが完結したことを意味していません。
先日、福岡キャンパスの図書館で、久しぶりに手に取って思い出した書。どうかこれらを使いこなす人たちがもっと出てきますように。

Adam 2007 (5e éd.)


古代ローマ時代の建造技術について、詳細をまとめた専門書。もともとはフランス語で書かれ、現在は第5版を重ねており、一方、英訳されたものは第2版をもとに出版されています。
700点以上の図版を収めており、古代ローマ建築の技術に関する基本図書という位置づけ。Lugli 1957Crema 1959などが類書として知られていますが、現在では双方とも入手が難しく、特に後者はほとんど市場に出ることがありません。

Jean-Pierre Adam,
La construction romaine:
Matériaux et techniques.

Grands Manuels Picard
(Picard, Paris, 2007, 5e édition. 1re édition: 1984. 2e édition: 1989. 3e édition: 1995. 4e édition: 2005)
368 p.

[English ed.:
Jean-Pierre Adam,
translated by Anthony Mathews,
Roman Building: Materials & Techniques
(B. T. Batsford, London, 1994)
360 p.]

Table des matières:

Introduction (p. 7)
1. La topographie (p. 9)
2. Les matériaux de construction (p. 23)
3. Le grand appareil (p. 111)
4. Les structures mixtes (p. 129)
5. Le petit appareil (p. 137)
6. Les arcs, les voûtes (p. 173)
7. La charpente (p. 213)
8. Les revêtements (p. 235)
9. Les sols (p. 251)
10. Les programmes techniques (p. 257)
11. L'architecture domestique et artisanale (p. 317)

Lexique illustré de modénature courante (p. 355)
Bibliographie (p. 360)
Index (p. 367)

建物の造り方といっても、計画方法については述べておらず、このトピックについてはWilson Jones 2000に委ねられることになります。石造だけでなく、混構造や煉瓦、また木造架構や瓦などに関しても概要を記述。ローマ時代の木工についてはUlrich 2007が唯一、まとまった情報を伝えており、重要。
なお、ローマ建築全般については、同じピカール社から

Pierre Gros,
L'architecture romaine.
Vol. I: Les monuments public
(Picard, Paris, 1996)
Vol. II: Maisons, villas, palais et tombeaux
(Picard, Paris, 1999)

が出ており、第2版も出されています。

Adamは古代ギリシア建築に関する本を著している他、Christiane Zieglerとの共著でピラミッドの本も出版しており、時代・地域を横断して古代の建造技術を語ることができる数少ない研究者のひとり。

2009年12月14日月曜日

Roueche and Smith (eds.) 1996


トルコの山中に位置する古代ローマ遺跡アフロディシアスの仮報告書の3冊目。広大な敷地に数多くの施設を有する都市遺構で、外周壁はおよそ1キロメートル四方に及びます。

Charlotte Roueche and R. R. R. Smith (eds.),
Aphrodisias Papers 3:
The setting and quarries, mythological and other sculptural decoration, architectural development, Portico of Tiberius, and Tetrapyron.
Including the papers given at the Fourth International Aphrodisias Colloquium, held at King's College, London on 14 March, 1992.
Journal of Roman Archaeology (JRA), Supplementary Series no. 20
(Journal of Roman Archaeology, Ann Arbor, 1996)
224 p.

本の全体は3つに分けられており、

Part I: Recent Work at Aphrodisias
Part II: The Setting and Development of the City
Part III: Aspects of Decoration

遺跡を都市として見ていることが、この目次でもはっきり打ち出されています。副題が示すように、さまざまな視点からの考察と報告がおこなわれているのが了解されます。これまで主流であった個々の建築、あるいは彫刻作品の美術史的考察は二義的なものとして退かされ、代わりに都市の成長や諸外国との交易、特に小アジア地域におけるこの遺跡の位置づけなどが多角的に検討されているのが特色。

石切場の調査報告が寄せられているのは興味深い。執筆者はPeter Rockwellで、この人は彫刻家でもあり、石造建築技術に関わる研究者の間では知られた人。石を実際に扱う人なので、独自の観点が提示されているのが見どころです。
技法が中心ですけれども、他に石材の搬出のルートも分析しています。石切場を4つのタイプに分類しているのは注目され、通常は露天掘りとトンネル掘り、つまりオープン・タイプとギャラリー・タイプに2分されるだけなのが普通ですが、検討してみる価値のある記述です。

劇場について発表をおこなっているTheodorescuの論文も建築の視点からは重要(pp. 127-148)。この論文はフランス語で書かれていますが、最後の2編の論文はドイツ語で執筆されており、このように3ヶ国語ないし4ヶ国語で一冊の本が書かれると言うことは決して珍しくありません。日本人にとっては辛いところです。ローマの遺跡だったら、さらにラテン語やギリシア語なども出てきます。
2008年には続巻の第4号が出ていますけれども、未見。

アメリカから出版されているJRAは古代ローマを扱う雑誌で、未だ若い雑誌ながら、重要な刊行物のひとつ。
多くのSupplementary Seriesを出版しています。

Rockwell 1993


古代エジプトや古典古代時代の石材の加工に関して詳細に述べたもの。著者は彫刻家で、実際に石を用いた彫刻作品を制作しており、彼自身のウェブサイトでそのいくつかを見ることもできます。
エジプトからギリシア、そしてローマ時代までにわたる長い歴史を扱う石の技法書は、きわめて稀有。

Peter Rockwell,
The Art of Stoneworking:
A Reference Guide

(Cambridge University Press, Cambridge, 1993)
x, 319 p.

Contents:

List of photographs (viii)
Acknowledgments (ix)

1 Introduction (p. 1)
2 Principles of stoneworking (p. 8)
3 Stone (p. 15)
4 Tools (p. 31)
5 Tool drawings (p. 55)
6 Methods (p. 69)
7 Architectural process (p. 89)
8 Sculptural process (p. 107)
9 Design and process (p. 127)
10 The project (p. 142)
11 Quarrying (p. 156)
12 Moving, transport and lifting (p. 166)
13 Workshop organization (p. 178)
14 Carving without quarrying and the reuse of stone (p. 187)
15 The history of stoneworking technology (p. 198)
16 Documentation I (p. 207)
17 Documentation II (p. 216)
18 Documentation of major monuments (p. 226)
19 Computer documentation (p. 243)
20 Conclusion (p. 250)

Photographs (p. 254)
Tables (p. 292)
References (p. 299)
Index (p. 309)

彫刻作品の違いに触れているのはもちろんのこと、建材としての石についても触れており、石切場の話、あるいは石材の運搬方法にも言及しています。実際に石を扱って作業をおこなう人ならではの視点が随所にうかがわれ、面白い。石を持ち上げる方法が時代とともに移り変わることを、明瞭な施工上の理由とともに記しているのは特に注目されます。

この彫刻家はトルコのアフロディシアス遺跡における大理石の石切場調査の報告(Roueche and Smith (eds.) 1996)を書いていますし、ミケランジェロの技法に関しても論文を書いている、珍しい作家。
現在は絶版で入手困難の状態。再版が望まれます。記録方法に関するガイド、またコンピュータを使った資料化にも最後に触れており、有用な書。

2009年12月13日日曜日

Rabasa Diaz 2000 (Japanese ed. 2009)


古代と中世とでは石造建築の造り方が著しく異なり、中世以降の石切りの方法は立体截石術(ステレオトミー)と深く関わることが増えていきます。これは古代の組積方法から変化し、整形した石を積んでいく方法がとられるからで、曲面を交えた複雑な形状を有する屋根を持つ構築物を建てようとする場合には、特に立体幾何学の素養が必要でした。
平明に言うならば、正方形や長方形の平面の上に、いかにして石材を用いて丸屋根を築いてきたか、その歴史を解説している本です。このため、柱を立ててその上に水平の梁を架け渡す、より簡単な構法については述べられていません。
この本はとても珍しい研究書で、あとがきで示されているように、当該分野については日本語で読める唯一の本、ということになります。

エンリケ・ラバサ・ディアス著、入江由香訳、
「石による形と建設:中世石切術から一九世紀截石術まで」
(中央公論美術出版、2009年)
(vi), 318 p.

原著:
Enrique Rabasa Diaz,
Forma y construcción en piedra:
De la cantería medieval a la estereotomía del siglo XIX

(Ediciones Akal, Madrid, 2000)

西洋の中世以降において主流をなす宗教建築で、どのように石造の天井を架けたのか、その全般の変遷を追う偉業をおこなっており、めざましい労作。邦訳も大変であったことがしのばれます。
Fitchen 1961ももちろん出てきます。中世以降を対象としながらも、参考文献のページにはRockwell 1993も掲げられており、広く目配りがなされている点が知られます。

例えば冒頭の13ページの図3では、「ビザンティン様式による交差ヴォールトが生じるための回転」というキャプションとともに、天井の断面図と見上げ図の輪郭線とが示されていますけれども、これは正方形平面の上に架け渡された浅いライズを持つ交差ヴォールトの交点から、正方形の各辺までを覆う屋根の形状をどのように定めたかを問う説明図で、正方形平面における縦横2本の対称軸を手がかりとして円弧を連続させたことをあらわした表現。
こうやって文章で書くと、めちゃめちゃ複雑になります。

全体として図版が豊富で、素晴らしい。
ただし、立体的な形態の表示方法に見慣れていないと、いったい何の図であるかを理解するのに、しばらく時間がかかる場合が少なくないかもしれません。アクソノメトリックによる見上げ図がしばしば用いられており、これはA. ショワジーによる著作(Choisy 1899)以降、建築の本では馴染みのある描き方なのですが、通常はあまり見られない図法ですので、初心者にとっては、特にライン・ドローイングで示される場合に奥行きが反転して見えたりするかと思われます。

個人的には、206ページ以降の「平坦なヴォールト」(つまりフラットなヴォールト)がきわめて面白かった。まるで立体パズルです。ステレオトミーが充分に成熟し、また建築構造力学が発達して初めて実現が可能であった工夫。
「平坦なアーチ」(フラット・アーチ)とか「平坦なヴォールト」(フラット・ヴォールト)という言い方に矛盾を感じる向きもあるかと思いますけれども、それはアーチやヴォールトといったものを、単にかたちの問題であると誤解するからであって、本当は違います。これは建築構造と密接に関わる用語。この点が正確に説明されない場合もあるので、注意が必要。
アーチを直線に沿って平行移動させるとヴォールトになり、またアーチの頂点を通る垂直線を軸として回転させるとドームになるというかたちについての解説は、意匠の説明としては分かりやすい反面、誤解を招きやすく、平らなアーチやヴォールトの存在を埒外に置くことになりかねません。

巻末に用語解説がつきますが、併記されているのはスペイン語です。124~125ページには興味深い図版がいくつも並んでいますが、充分な説明が文中にてなされていない点は残念。
ここに出てくる「カスタネット」は、英語圏では"Lewis"として知られている装置で、スペインでこれを「カスタネット」と呼ぶところにこの国の文化を感じます。架構に関する建築技術の駆使の歴史を、改めて感じさせる貴重な厚い一冊。
Sakarovitch 1998も類書として挙げておかなければなりません。ともにステレオトミーに関する代表的な書となります。

Choisy 1899 (Japanese ed. 2008)


オーギュスト・ショワジーの名著「建築史」が和訳されました。
原著が出版されたのは100年以上も前で、世界中の建築の歴史を記述しようとした意欲作として良く知られています。日本や中国の建築にも、また「新世界の建築」として、新たに情報が伝わってきたメキシコやペルーの建築にも触れられています。当時の知識が総動員された大著。
今はこういうのをひとりで書くことはとうてい無理です。分野が細分化されているからで、たぶん別の方策が求められるかと思います。

オーギュスト・ショワジー著、桐敷真次郎訳
「建築史」上・下巻
(中央公論美術出版、2008年)

原著は

Auguste Choisy,
Histoire de l'architecture, 2 vols.
(Paris, 1899)
Tome I: 642 pp.
Tome II: 800 pp.

2巻本のリプリントについては、おそらく今日、安く入手が可能。
刊行当時、斬新な図面表現とともに非常な評判を呼びました。これは柱や壁の根本のところで水平に切って、見上げた状態を立体的に描く方法で、特にゴシック建築の複雑な屋根の形状を説明する中ではこの図法が多用されています。

研究にも流行り廃りがあって、その事情を訳者が冒頭で長めに記しています。
建築史研究が美術史研究とどのように異なるのかが分かって、とても面白い。これは設計方法に関する分析において特に無視することのできない点で、幾何学的な分析を主流とする美術史学の方法では円周率πや黄金律φの計画用法が提唱されたりもしたのですけれども、今日では劣勢だと見ていいかと思われます。
古代ギリシア建築の設計方法についてはCoulton 1977 (Japanese ed. 1991)を、また古代ローマ建築の設計方法に関してはWilson Jones 2000を参照。

Coulton 1977 (Japanese ed. 1991)


古代ギリシア建築の碩学クールトンによる名著。
20世紀初頭まで、建築の計画方法の分析と言えば、平面図や立面図の上に補助線をたくさん描いて、正方形や円(円周率πとの関連の模索)、簡単な比例値の長方形、ファイ(φ:黄金分割比・黄金律。1:1.618)などとの整合を見つけ出すというのが多くの方法でした。
それをひっくり返したのがこの本です。建築の設計というのは、一般の人が思っているよりももっと大ざっぱな部分があって、完璧な美のかたちがもともとあるわけではなく、曖昧模糊とした発想からどんどん手直しを重ねていく試行錯誤があるんだ、という実際の建造方法を理論の前提にしています。
専門家による和訳も出ています。

J. J. Coulton,
Ancient Greek Architects at Work:
Problems of Structure and Design

(Cornell University Press, Ithaca, 1977)
196 p.

邦訳:
J. J. クールトン著、伊藤重剛
「古代ギリシアの建築家:設計と構造の技術」
(中央公論美術出版、1991年)
318 p.

古代エジプト建築研究は、まだこの水準まで行っていません。この書が今なお取り上げられるべきなのは、そこに問題があるからです。
建造の経験を充分に積んでいくと、立てる前から建築の建ち上がった際の上方における細かな部分の不具合が予想できるようになり、それを建造前の段階から調整できるようになります。
つまり、柱の上にある部材の間隔を均等に揃えるために、柱の位置を最初からずらして計画するということをおこなうわけで、これは日本建築でも見られる方法。
古代エジプト建築の面白いところは、造りながら修正をおこなう場合がある点で、これは膨大な数の労働者が使えたから初めて可能な方法でした。
極端な例では、造りかけのピラミッドの位置を設計変更でずらすという場合も見受けられます。現代でこういうことをやると、建築家は業界で命を失います。

参考文献リストは、古典文献と近代の研究者による文献とが分けてあります。古典古代を研究する文献学者は、こういうふうに大別するのが普通。ただそれが他領域の研究者にまで浸透していない傾向があります。

専門用語の解説も図入りで付されていますが、必要最小限にとどめられており、ちょっと分かりにくいかもしれない。
例えばグッタエは項目で短く説明されていますが、図版では具体的に示されておらず、迷うかも知れません。

Lepsius 1865 (English ed. 2000)


古代エジプトで使われた尺度について述べられた、きわめて重要な本。にも関わらず、本当は誰も詳しく読んでいなかったという奇妙な経緯があります。
初めての英語訳です。編者が最初に、「世界で初版が9冊だけ確認されている」と書いています。再版も出ていましたが、この英訳が出たおかげでレプシウスの考えが広く知られることになりました。

Richard Lepsius,
The Ancient Egyptian Cubit and its Subdivision 1865.
Including a Reprint of the Complete Original Text with Two Appendices and Five Half Scale Plates.
Translated by J. Degreef, with expanded bibliographical notes on the works cited by Lepsius and brief biographical notes on their authors.
Compiled by Bruce Friedman and Michael Tilgner.
Edited by Michael St. John.
(The Museum Bookshop Ltd., London, 2000)
67 p. + 67 p., 5 Tafeln, xx.

Original:
Richard Lepsius,
Die alt-aegyptische Elle und ihre Eintheilung.
Abhandlungen der philosophisch- historischen Klasse der königl. Akademie der Wissenschaften zu Berlin
(Königlichen Akademie der Wissenschaften, Berlin, 1865. Reprint, LTR-Verlag, Bad Honnef, 1982)
(ii), 63 p., 5 folded figures.

大科学者アイザック・ニュートンの名がここで見られるのは面白い(Newton 1737)。ナポレオンによる「エジプト誌」の文章編にたくさん書いているジョマールの論考にも言及しています。
200年以上にわたってエジプトの尺度が考え続けられ、今なお結論が出ていないことを伝える不思議な書。

1997年に出たマーク・レーナーの"Complete Pyramids"では、アイザック・ニュートンに言及していなかったはず。
2007年のジョン・ローマーによる"The Great Pyramid: Ancient Egypt Revisited"(Romer 2007)ではしかし、ニュートンの業績について触れられています。最近でもMDAIKの発掘調査報告でニュートンの果たした役割について見かけましたが、編者のM. セント・ジョンの功績を称えるべきだと思います。
この人はポルトガル在住で、エジプトの物差しに興味を持っている方。新王国時代の物差しについての薄い本を出版しています。

Michael St. John,
Three Cubits Compared
(Estoi, Portugal, 2000)
i, 39 p.

長さ52.5cmの王尺(ロイヤル・キュービット)の他に、エジプトでは長さ45cmの小キュービットも用いられていた、という記述はあちこちで見受けられますが、その根拠が実はあやふやであることが、このレプシウスを読むと良く分かります。「王尺は建物に、そして小キュービット尺は家具などに用いられた」などという巷の説を、そのまま信じるべきではありません。建築と美術史とでは見方が異なる点にも注意。
エジプトの尺度について述べている文章で、この本に触れていないものは皆無であると言っていいと思います。あらゆる論考がこの本に戻ってきています。
でもその内容は入り組んでおり、今後も詳しく討議されるべき。

2009年12月12日土曜日

La Loggia 2009


大英博物館の古代エジプト・スーダン部局が出している電子ジャーナル、BMSAESの最新号(第13号)には、2008年に開催された先王朝・初期王朝に関する国際会議の議録が掲載されています。無料で配信されている、不定期刊行の専門雑誌。

http://www.britishmuseum.org/research/online_journals/bmsaes/issue_13.aspx

この号には、同僚でもある早稲田大学の馬場匡浩さんによる論考も載っていて注目されるのですが、建築とはあんまし縁のない、ナカーダ2期の土器の製造についての論文でもあることだし、ここではちょっと飛ばして建物に関わる別の論文を紹介。

Angela La Loggia,
"Egyptian Engineering in the Early Dynastic Period:
The Sites of Saqqara and Helwan",
BMSAES 13 (2009), pp. 175-196.
http://www.britishmuseum.org/research/online_journals/bmsaes/issue_13/laloggia.aspx

「柱廊」という意味の名前を持っているこの人の論文については以前、BACE 19 (2008)にて触れたことがあります。題名にも明らかなように、古代エジプトの初期における建築技術に関して述べられており、特に石と木の天井が構造力学的に妥当な寸法を有していたかを考察。数式を並べる論考ではないので、読みやすい。
グラフにも工夫が凝らされていて、壁体の実際の高さと厚さ、また計算された強度との関係を一枚の中に表現しようとしています。一方、図6の、木の梁の撓みを示した曲線は、建築の人間だったらこういうふうには描かなかったはず。
計算が大ざっぱではないかという見方もあるかもしれませんが、でも結論としてはどちらにせよ、「現代から見ても建材の用い方が理にかなっている」、そういうことになるかと思います。5000年前の遺構に、現代の構造計算を当てはめようとする試みで、意欲は買うべきかと思われます。

Walter B. Emeryの素晴らしい図版が何枚か、転載されています。巨大な建物なのに、煉瓦の目地も全部描き入れ、なおかつ屋根を一部分取り除いて内部の構成を見せるという、カットアウトが施された詳細なアクソノメトリック・ドローイング。
出版されてから50年以上経つのに、未だ引用され続けている有名な図版で、こういう図が描けるかどうかは勝負のしどころ。

2009年12月11日金曜日

Robson and Stedall (eds.) 2009


「私たちは、この本が皆さんの期待したものとは違っていることを願っています」という、風変わりな書き出しから序文が始められています。数学史に関する分厚い最新刊で、東欧に研究拠点を移した安岡義文さんから教えてもらいました。

"Instead, this book explores the history of mathematics under a series of themes which raise new questions about what mathematics has been and what it has meant to practice it. The book is not descriptive or didactic but investigative, comprising a variety of innovative and imaginative approaches to history."
(p. 1)

オックスフォード大学出版局から出版されているハンドブック・シリーズのうちの一冊。40名弱による執筆陣がうかがわれます。
この本の中ではたったひとり、日本人が論考を書いています。801~826ページの、大阪府立大学の斎藤憲先生による"Reading ancient Greek mathematics"ですが、勝手ながらここでは他の時代に属する内容を紹介。

Eleanor Robson and Jacqueline Stedall eds.,
The Oxford Handbook of the History of Mathematics
(Oxford University Press, Oxford, 2009)
vii, 918 p.

Table of Contents:

Introduction (p. 1)

Geographies and Cultures
1. Global (p. 5)
2. Regional (p. 105)
3. Local (p. 197)

People and Practices
4. Lives (p. 299)
5. Practices (p. 405)
6. Presentation (p. 495)

Interactions and Interpretations
7. Intellectual (p. 589)
8. Mathematical (p. 685)
9. Historical (p. 779)

About the contributors (p. 881)
Index (p. 891)

古代エジプトに関しては、C. RossiとA. Imhausenの2人が分担執筆をしていて、どちらも興味深い考察を記しています。双方の論考とも古代エジプト建築に深く関わるので、見逃せません。
この研究者たちについてはRossi 2004、またImhausen 2003Imhausen 2007を参照。

Corinna Rossi,
"Mixing, building, and feeding: mathematics and technology in ancient Egypt"
(pp. 407-428).

Annette Imhausen,
"Traditions and myths in the historiography of Egyptian mathematics"
(pp. 781-800).

順序は逆になりますが、後者を先に見た方が分かりやすい。
彼女は

"Since the 1990s, the aims and methodology of ancient Mesopotamian, Egyptian, Greek, and Roman mathematics have been undergoing radical change, as part of larger developments in the history of mathematics (see for example Bottazzini and Dalmedico 2001). The move towards cultural context in the historiography of ancient mathematics has improved the interpretation of Egyptian mathematical writings. It is now recognized that it is no longer adequate simply to re-express their mathematical content in modern terms. When instead the formal features and cultural context of a text are taken into account, a whole new range of interesting questions can be asked (Ritter 1995; 2000; Rossi 2004)."
(pp. 785-786)

と指摘して、これまで流布してきた古代エジプトにおける数学の神話を例として5つ、挙げています。
建築の側から言うならば、この中で最も重要なのは"Myth no. 3: rope stretching, right angled triangles, and Pythagoras" (p. 791)で、3-4-5の比からなる直角三角形について問いかけており、これはピラミッドの断面計画でも実測値としてうかがわれるわけですが、再考を求めています。

Rossiの論考では、特に412~417ページに書かれた"stone"の項目が面白い。そこでは煉瓦の量を見積もるpReisner Iの記述が扱われ、また石切場における掘削量も同時に出てきます。

"As already mentioned above, papyrus Reisner I, suggests that the cubic cubit was subdivided into 'volume palms' corresponding to 'slices' of cubic cubits 1 palm wide, rather than small cubes with a side-length of 1 palm (Rossi and Imhausen, forthcoming). Such a subdivision would have been useful both in theory for performing calculations and in practice for quarrying trenches or rock-cut chambers."
(p. 412)

でもこの考え方は、アイザック・ニュートンがとうの昔に書いている「煉瓦が古代尺に合わせた大きさであったなら、建物全体での使用量の積算に便利であったろう」という透徹した見方と、結局はとても近いように思われます(Newton 1737)。
予告されている続編が楽しみ。

2009年12月10日木曜日

Imhausen 2007


古代・中世における、数学についての史料集。最も紙数が割かれているのは、中国の数学についての解説です。

Victor J. Katz (ed.),
The Mathematics of Egypt, Mesopotamia, China, India, and Islam: A Sourcebook
(Princeton University Press, Princeton and Oxford, 2007)
xiv, 685 p.

Contents:

Preface (ix)
Permissions (xi)
Introduction (p. 1)

Chapter 1 Egyptian Mathematics (p. 7)
by Annette Imhausen
Chapter 2 Mesopotamian Mathematics (p. 58)
by Eleanor Robson
Chapter 3 Chinese Mathematics (p. 187)
by Joseph W. Dauben
Chapter 4 Mathematics in India (p. 385)
by Kim Plofker
Chapter 5 Mathematics in Medieval Islam (p. 515)
by J. Lennart Berggren

このうち、最初の古代エジプトに関する章を書いているのがImhausenで、この人の博士論文についてはImhausen 2003で触れました。
紙幅に限りがあって、3000年のエジプトの数学の歴史を書くには苦労が伴ったと思いますけれども、リンド数学パピルス(RMP)やモスクワ数学パピルス(MMP)だけでなく、 ディール・アル=マディーナの労働者たちによる岩窟墓の掘削作業記録を記したオストラコン oIFAO 1206や、あるいは中王国時代に遡るライスナー・パピルス pReisner I などを紹介している点が珍しい。これらは時折省略を交え、掘削量や煉瓦の量といったものに関わる積算を求めた記録ですけれども、こうしたものも重要だという視線が感じられます。
古代エジプトの諸活動において、算術がどのように用いられたのかをじっくり眺めようとしており、古代ギリシアの数学の水準にどこまで追いついているかを問うてはいません。

オベリスクの計画方法などが唯一、まとまった文書として残されているpAnastasi Iを、ここでも冒頭に引用しています。
ただ、A. ガーディナーの訳と異なるのは、オベリスクの勾配の記述を「1キュービット1ディジット」ではなく、「1キュービット」としていること(p. 10)。Fischer-Elfertによる研究を踏まえ、oDeM 1012:9に「1ディジット」が記されていないことなどを勘案していると思われます。もともとアナスタシ・パピルスのこの部分の「1ディジット」という記述には気がかりなところがありました。ガーディナーが「1ディジット」と訳した見識の高さも、ここで改めて感じられるわけですが。

"All of them have met difficulties, which are caused not only by the numerous philological problems but also by the fact that the problems are deliberately "underdetermined." These examples were not intended to be actual mathematical problems that the Egyptian reader (i.e., scribe) should solve, but they were meant to remind him of types of mathematical problems he encountered in his own education."
(pp. 11-12)

というように、意図的に現実を外れた数値を含んだ問題が扱われているところが重要で、そこから何を見出すかが問われています。

2009年12月9日水曜日

Clagett 1989-1999


10年をかけて刊行された「古代エジプトの科学」の全3巻本。アメリカ哲学学会から出版されています。3冊で2000ページ近くに及びますが、ペーパーバックでも出ていますから、比較的安価で入手できるはず。

Marshall Clagett,
Ancient Egyptian Science: A Source Book, 3 vols.

Vol. I. Knowledge and Order.
Memoirs of the American Philosophical Society held at Philadelphia for promoting useful knowledge, Vol. 184
(American Philosophical Society, Philadelphia, 1989)
xx, 863 p.

Vol. II. Calendars, Clocks, and Astronomy.
Memoirs of the American Philosophical Society held at Philadelphia for promoting useful knowledge, Vol. 214
(American Philosophical Society, Philadelphia, 1995)
xvi, 575 p., 106 figures.

Vol. III. Ancient Egyptian Mathematics.
Memoirs of the American Philosophical Society held at Philadelphia for promoting useful knowledge, Vol. 232
(American Philosophical Society, Philadelphia, 1999)
xi, 462 p.

古代エジプトで展開した科学技術は、ギリシア世界にも畏敬の念を持って迎え入れられました。エジプト人たちは自分たちのことを古代エジプト語で「ケメト Kemet」と呼びましたが、この語はもともと「黒い土」という意味で、「赤い土=砂漠」である「デシェレト Desheret」と対概念をなします。

「ケメト」という語はその後、物質をさまざまに反応させて姿や性質を変えさせる技術である化学「ケミストリー Chemistry」の語源となったという説が良く引用されます。アラビア語の定冠詞「アル al-」がつくと「アルケミー Alchemy」となり、これは「錬金術」のこと。
「賢者の石」でファンタジーでもしばしば取り扱われる有名な技術ですが、近代科学の父であるアイザック・ニュートンも、実は真面目に取り組んでいました。
第2巻は古代エジプトにおける時間概念を扱った本。暦や天文学が主題とされています。

第3巻の、古代エジプトの数学を述べた巻は有用で、概観するには便利な本。代表的なリンド数学パピルスを詳細に紹介したピート、あるいはチェイスによる刊行物は、現在、入手が難しい状況です。ロビンスとシュートによる簡便な本も出ていますが、場合によっては端折り過ぎと見られるかもしれません。
古代語が読める数学者によって書かれた本、Imhausen 2003は詳しいものの、ドイツ語で記されており、敷居は若干高くなります。